少子高齢化社会に絶望した若者達が現代日本に革命を起こす物語

@gaia12

第1話 諦観

真夏の青空に白いわた雲がまばらに浮かんでいる。まばゆいばかりの太陽は燦燦と地上を照らす。ハトの群れが音を立てて地面から飛び立った。京王井の頭線、駒場東大前駅出口から、学生達がぞろぞろと出てきた。彼らは、連日のうだるような暑さにうんざりした表情で、皆一様に同じ方向へ歩を進めていた。その人混みの中に、周囲より頭一つ分高く、弱冠二十歳にしては成熟した顔つきをした青年がいた。男の名は東條聡(とうじょう さとし)という。東條は集団の波に沿ってキャンパスの門をくぐり、一限の授業が行われる大教室へと向かった。

東條聡は東響大学に通う大学生だった。昨年の春、東條は受験を終え、晴れて国内最高学府である東響大学の文科一類に合格し、福岡から上京した。なお、東響大学は、文系、理系でそれぞれ三つの類に分かれており、文系の最高峰は彼の所属する一類である。政財界の要人を多数輩出しており、彼の父もまた東大のOBで、卒業後は経済産業省に入省し、九州経済産業局局長まで務め上げた末、その地の電力会社に役員として天下った。彼の父は官僚のお堅いイメージとは全く異なっていたそうで、口が上手く、人たらしな部分もあり、要領よく物事を進めるタイプであった。四十二歳の時に、当時二十七歳でCAだった女と結婚したが、それまではそれなりに遊んでいたという話も聞く。彼の弁舌力には目を見張るものがあったそうで、それに加え、聞き手の心を掴むような演技力やカリスマ性も備えており、政治家や官僚、企業の役員など、関係する者達は皆、彼の主張に上手く丸めこまれないよう特段の注意を払っていたそうだ。いずれは事務次官 にまで上り詰めるのではないかとの噂もあったが、その優秀さと、自己顕示欲の強さが陰で嫉妬や反感を買い、それが官僚人事に影響し、結局、出世は地方局長に留まったらしい。

東條聡はこの父親と母親の間に生まれた一人息子だった。東條は幼い頃より両親から多分な愛情と手厚い教育を受けて育った。彼は、学習塾に始まり、ピアノ、水泳、体操など、他にも多くの習い事を経験したし、その他の時間はもっぱら読書に励み、高校卒業までには世界の有名な小説はほとんど読破した。その甲斐あってか、彼は学校生活の中でその優秀さを如何なく発揮した。いわゆる「いいとこの子」が集まる学校の中でも東條の学業成績は群を抜いており、またスポーツも、走れば校内一位、大して経験もないにも関わらず、何をやらせても経験者にも勝るほど運動神経に恵まれていた。そんな東條は、どんなコミュニティに所属しても必ずリーダーとなった。父親と違い、息子は積極的に皆の前に立つようなタイプではなかったが、その分、彼には包容力や他人を気遣う優しさがあり、皆が付いていきたくなるような魅力があった。集団が形成されれば自然とリーダーになる。そんな空気を生まれながらに持っていたのが東條聡という男であった。


東條はキャンパスを歩き、講義棟に入った。教室に着くと奥の方へ足を進め、後ろ寄りの、向かって左端の席に腰掛けた。大方、いつも決まった位置だ。まだ始業十五分前のため、教授は来ておらず、学生達は皆、談笑したりスマホに目をやったりして時間を潰している。東條は、背負ってきた黒のリュックを机に置き、レジュメ 、ノート、筆記用具を出した。そこへ、一人の男が東條の座る椅子の斜め前に立ち声を掛けてきた。

「お疲れ」

東條は顔を上げた。そこには、見慣れない姿の友人がいた。「上本? お前、髪どうした?」

「上本」と呼ばれたこの男は、東條が大学へ入学して初めてできた友人だった。知り合ったのは新入生向けのガイダンスでのことだ。

出会った頃の上本は、明るい茶髪にベタベタのハードワックスをつけて、限界まで重力に抵抗して髪を立てらせたようなヘアスタイルをしていた。服は白の七分丈のパンツに、「JOCK」という派手な筆記体がプリントされた黒のTシャツを合わせていた。他にも、いかにも意識してとってつけたような関西弁で話してみたり、無用なまでにテンションが高かったりと、とにかく大学デビューを試みてキャラの方向性に迷走しているというのが、東條の上本に対する最初の印象だった。そしてその動機は、上本の言葉を借りるならば、「とにかく女にモテてヤリまくるため」であった。しかし、東條は第一印象とは反して彼のことが嫌いではないなと感じた。上本は、言葉遣いや態度こそ軽薄に見えるが、相手の嫌がるような言葉は言わないよう気を遣っているのがわかり、彼は彼なりに、新しい環境に来て人間関係を構築するため努力しているのだろうと当時の東條は思った。

それからの大学生活も東條と上本は行動を共にした。一年次から一緒にいた東條は、上本の髪の変遷をよく知っている。茶髪から始まり、赤や白など様々な髪色に染め、髪型は概ねワックスで派手に固められていたが、今、東條の前に現れた上本は、黒髪の七三分けと今までにない誠実そうな雰囲気を漂わせていた。

「ああ、これか?」上本は自分の髪を触った。「インターンの面接があるんだ。受かれば夏休みに行くことになってる。さすがに今までの髪で行くわけにはいかねえよ。まったく、インターンは採用とは関係ありませんなんてよく言ったもんだぜ。既にそこからガチガチに選考してるくせによ。お前は行くのか? インターン」上本は東條を一つ向こうの席に追いやり、机にカバンをドサッと置きながら答えた。

東條は上本の言葉から逃げるように、目線を教壇の方に向けた。あまり話したくない類のことだった。大学二年の夏となれば、一般的な大学生はまだ就職活動について特段意識するような時期でもない。しかし、ここは例外だった。東大には意識の高い連中が多かった。上本に限らず、近頃、インターンに行く予定を立てたとか、公務員試験の予備校に通い始めたとかいう話を学内の至る所で耳にしていた。向こう側の窓を見ると、大学に入ったばかりの一年生の男女五人組がはしゃぎながら中庭を闊歩している。なぜ、一年生というのは見ただけですぐに一年生とわかるのだろうか。それは、彼らの垢抜けない髪型や服装から来るものなのか。はたまた、受験から解放され、大学生活を際限なく楽しんでやろうとする心意気からか。東條は彼らを見ていて、まだ将来のことなど微塵も気に掛ける必要のない身分であることに嫉妬した。

「お前、将来どうするつもりなんだ? もしかして官 の方か?」東條の心情はいざ知らず、上本は畳み掛けた。

「まだ決まってもいないさ。上本はサラリーマンになるんだな。黒髪、意外と似合ってるよ」

「ああ、俺も三年後には社会人だ。一年の時は散々遊んで過ごしたが、そろそろ将来のことを考えて動き出さねえとな」

 東條は黙っていた。

「みんな、将来どうすんだろうな。例えば朝比奈は」上本は、今しがた戸を開け教室に入ってきた女に目をやりながらそう言った。女は白く美しい肌に黒の高級感のあるノースリーブのワンピースをまとい、一人、明らかに周囲の学生とは異なる優美な雰囲気を漂わせている。その姿は、男女問わず教室にいた多くの人間の羨望や好奇の視線を集めた。この女こそが、上本が今話題にした朝比奈であった。彼女は東條や上本と同級生で、一年時より、その飛び抜けた美貌で何かと注目の的になっていた。

「いいよなあ。同じ東大生でも美人ってだけで俺達とは雲泥の差だ。ミスコンに出たら確実にトップだろうな。やっぱり将来は女子アナとかになって、金持ちのプロ野球選手かどっかの社長とけっ……」

 朝比奈が二人の横の通路を歩いてきたため、上本は言葉を止めた。東條は朝比奈に目を向けることもなく、そのまま教壇の方を見て彼女が通り過ぎるのを待った。東條にとって、その時間は居心地の悪く、とても長く感じられるものだった。もう、一年もこんな状態でいるのだ……。

上本は知らないことだが、朝比奈と東條は一年時、同じサークルに所属していた。大学に入学して間もない頃の東條は、さしてやりたいことも見つからずサークル選びに苦労していた。それでも、何か人の役に立つようなことをすれば有意義かもしれないと思い、ボランティアサークルに入った。そこで出会った同級生が朝比奈だった。当時の朝比奈は、服装が地味で素朴な印象はあったが、それでも、今すぐにでも女優としてテレビに出演できそうに思えるほど透明感のある整った顔立ちをしていた。東條と朝比奈はサークルの歓迎会で席が隣であり、その後も共通の読書の趣味などで意気投合して仲を深めた。朝比奈は東條が出会った頃から人助けに対する意識が高く、明確な意思を持っていた。将来は国連やNGOに勤めて、貧困や児童労働の問題を撤廃したいと目を輝かせながら語っていた。そんな朝比奈に東條は恋心を持ち、彼の誘いにより、二人は三回ほどデートをした。東條自身、その頃は、二人の関係は上手くいっているという実感があった。

しかし、一年の夏休み頃から、朝比奈とのメッセージのやり取りは途絶えがちになった。たまに返事が返ってきたとしても、それはそっけないものになっていた。そのうち、朝比奈はサークルに顔を出さなくなり、一年の十一月には正式に退会していた(東條はそれを先輩から聞いた)。東條はその間、彼女に何度か連絡をしたが、返信は返ってこないままだった。最後に送ったメッセージには既読すらついていない。東條には、朝比奈の態度が急変した理由がわからなかった。

それからキャンパスで見かける毎に、朝比奈の服装やメイクは洗練したものになっていた。彼女は学部内のみならず、大学内でも有名な存在となっていった。それにつれて、東條の耳には、彼女に関する噂が、真偽の疑わしいような話まで事あるごとに入ってきた。モデルの仕事をして有名な芸能人と付き合っているとか、将来は女子アナを目指しているとか、果てはパパ活をやって大金を稼いでいるとか。彼女の格好が日々豪華になっていくだけに、そんな噂も、なにか真実味を帯びているような気がした。そして、そういう噂を聞く度に、東條はなんとも言い表しがたい心地の悪い気分になるのだった。しかし、ただ一つ、はっきりと実感できる感情は焦りだった。噂の真偽がどうであれ、東條は、かつて恋焦がれた朝比奈という存在がどんどん遠いものになっていくように感じた。そして、自分がフラれたのは、自分が彼女に比べて何も持っていなかったからなのだと解釈した。

「それに比べて、見ろよ」上本の声にハッとして、東條は朝比奈に向いていた脳内の意識を再びこちらに戻した。「いつも教室の最前列にいる奴らを。噂じゃ大学の単位オール優を狙ってるらしいぜ。これまで死ぬほど勉強してきただろうに大学でもまだ勉強しようってわけだ。ドMにも程があるぜ。だがな、俺はもう自分の才能を見限った。俺はどう頑張っても元がいいやつらには絶対に勝てない。俺は残されたモラトリアムを有意義に過ごすぜ」

「才能、か」東條は意味ありげに呟いた。

「なんだよ。そうさ、才能さ。この世の中、何をするにもまず才能がなけりゃスタート地点にも立てねえ」

「上本は大学を卒業した後のビジョンとか決まってるのか?」

「ビジョン? 普通にずっとリーマンさ。東大に入った時点でどっかの有名企業に入れることは確定してるんだ。あとは少しでもいい大手に受かるように就活ガチればそれで終わりだよ」

「夢ないな」

東條はため息交じりに言った。冷めた立ち位置の上本だったが、彼は東條の言葉に少しムッとしたようだった。

「じゃあ、お前はどうなんだよ。東大生と言えど、所詮、俺達は何の力もないただの学生だ。東大には毎年三千人もの新入生が入って、それに押し出された三千人が世の中に出る。一年で三千人だぞ。別に俺達は東大に入ったからといって特別なんかじゃない。大体、少子高齢化によって衰退の一途を辿るこの日本という国で、夢を持とうなんてそりゃ無理があるぜ、兄さん」上本は諭すように東條に言った。

頭の禿げている年老いた男性教授が数冊の本を両手に持ち教室に入ってきた。もう間もなく一限の講義が始まる。今日も退屈で長い一日が始まる……。

「映画みたいな出来事が現実にもあれば、少しは人生楽しめるのにな」東條は大儀そうに筆記用具の準備をした。

「例えばある日、忍び込んだ研究所で特殊な蜘蛛に噛まれて超人的な力を得るとか?」上本はせせら笑って返した。

「いや、そうゆうのじゃなくて、もっと実利的で現実的な……。そう、例えば若者の力で革命を起こして今の日本を変えるとか」

「革命? それこそ無理だろ。周りの奴らを見てみろよ。今時そんな国士みたいな奴がいるか? 俺含めみんな考えていることは、次回の合コンのことだったり、もっと割のいいバイトはないかだったり、そういうことだ。今時、お前の言うような崇高な志を持ってる奴なんてこの東大を探してもそう見つからないだろうさ。俺達は普通に大学を卒業して、どっかの企業のリーマンになって、そのうち結婚して幸せな家庭を築くんだ。現実的に見えて、結構お前も夢見がちなんだな」

 上本に散々正論を吐かれ、東條は自分の発言を後悔した。東條とて、そんなことは百も承知である。その上で、上本ならどんな回答をするのか少し探ってみる目的で問いかけてみた。わかったことは、東條の想像以上に上本は堅実な奴だったということだけだった。始業のチャイムが鳴った。

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