好きな子の推しになりたくて
廿楽 亜久
第1話
世界は”悪”を必要としていた。
「お花は、いりませんか?」
雪が積もる寒空の下、大した防寒着もなく、やせ細った少女は、すっかり日も暮れた中、花を売り続けていた。
少女のか細い声に誰も足を止めない中、たった一人、足を止めた男がいた。
「どれだけ美しい花であっても、この暗闇では、誰の目も引き付けられないだろうよ」
「!! お花、いりませんか? 一本だけでもいいんです」
こちらに向いている足に、少女は花を片手に、黒いスーツの男を見上げ、表情を強張らせた。
シルクハットに、仮面。
世間を知らない少女であっても、その男が声をかけるべきではない相手だとは理解できた。
「おや、怖がらせてしまったかな。お嬢さん」
男は少女の前に膝をつくと、お詫びとばかりに、何持っていなかったはずの手から、突然大きく膨らんだ風船を取り出した。
「では、これで仲直りだ」
そう言って、風船を割ると、むせ返るような花の香りと共に、少女は意識を失った。
温かいシチューの香りが鼻をくすぐり、目を覚ませば、目の前に広がっているのは、シチューの炊き出しだった。
「起きたなら、こっちに取りにおいで。アンタの分もあるんだよ」
炊き出しをしていたふくよかな女性の手招きに誘われるように、少女が近づけば、手渡された温かなシチュー。
数日ぶりのまともな食事に、少女は齧りつくようにシチューを口に入れた。
「ジャックドアに感謝しなよ」
「ジャックドア?」
「黒スーツの仮面の男。会っただろ?」
少女の出会ったスーツの男は、”ジャックドア”と呼ばれているらしい。
「貴族連中から金を奪って、私ら貧乏人に施しをくれる。良い人さ」
ふと重みを感じたポケットに、手を入れれば、そこには一枚の金貨が入っていた。
音もなくカギを回し、部屋の中に入ったジャックドアは、すでに部屋の椅子で寛いでいた金髪の女へと恭しく頭を下げた。
「お早いお着きで。ラムダ卿」
そして、顔を上げると、ソファに乗せられていた足を掴み、背中を支えると、ソファに座り直させる。
「ソファに足を乗せるのは、夜を楽しむ時だけにしておいた方がいい」
ラムダの体から手を離す時、少し乱れた服を直し、そっと耳元へ口を近づけ、
「それとも、私と楽しみたかったか?」
そう囁けば、ラムダの青い瞳が見開かれ、揺れた。
「――――超、いいっ……!! 今日メチャクチャ調子いいわね!! サイコー! かっこいい!!」
ソファの上でもんどりを打っているラムダに、ジャックドアは、仮面の下に困惑した表情を隠したまま、もう一つのソファへ腰をかける。
そして、疲れたように仮面を外そうとすれば、勢いよく仮面を叩きつけられた。
「解釈違い」
先程までとは打って変わり、殺されるのではないかと勘違いそうな程の視線が刺さる。
「ひどい……!! じゃあ、少し後ろ向いててよ。着替るから」
「じゃあ、一回部屋出るから待って。振り返った程度で、気分変わるわけないでしょ」
「こ、こだわりが強い……」
ラムダが部屋を出た後、ジャックドアは急ぎ、服を脱ぎ、クローゼットの中にしまい、普段着へと着替えた。
「着替えたよ」
「そう」
そっとドアを開け、部屋の外で待っていたラムダに声をかければ、部屋に戻り、先程と同じ場所に腰掛けた。
「何か飲む?」
「報告を先に聞くわ」
ジャックドアこと、カクレヤ・ヒザシは、目の前の金髪の女ラムダ・ウェルカムに拾われた使用人だった。
「ティル家の不正に取り立てていた税金を回収。いつも通り、複数の商会・銀行を通じて、寄付と国庫への返還。帰宅途中に、女の子を炊き出し広場に連れて行ったから、少し帰宅が遅れた。以上」
「返還状況に関しては、明日確認させるわ」
どんな国にも、法に乗っ取った治安を守る組織が存在する。
もちろん、この国にも。
しかし、法に乗っ取っては、治安を守ることができないことも、この世界には存在した。
貧富の差が激しいこの国ではなおさら。
「最後の行動は、義賊”ジャックドア”として素晴らしいものだったわ」
王家に出入りすることのできる公爵家が、義賊を行う必要があるくらいには。
ウェルカム家は、この国の暗黒面を請け負ってきた影の功労者であり、自分が生まれるずっと前から、国を守るため、不穏分子を排除し続けてきた。
その役目を、自分も少しだけ加担しているというだけ。
「もう本当にさいっっこうだったッ!! ジャックドア様最高!!」
ラムダの好む、義賊キャラクターを演じながら。
「誰に対しても紳士的! でも、遊び心を忘れない! ミステリアスなのに、ふとした瞬間に憂いを感じさせる雰囲気を感じさせる立ち振る舞い! 今日の立ち振る舞いは、ホント、もうっっ完璧!!」
「うん。ありがとう」
もう遅いし、たっぷりミルクを入れた紅茶を用意しようかな。
「仮面に、高笑い、強者感! ビジュアルのカッコよさ! 他の義賊なんて目じゃないわね!」
「はい。温かいミルクティー。飲んだら、早くお休みになってください」
「少しは語らせてよ!?」
この仕事を引き受けるにあたり、夢でうなされる程聞いた話だ。
安眠のためにも、聞きたくない。
「ジャックドアは
文句を言い続けるラムダに、ジャックドアを演じている時と同じように、頬に触れようとすれば、
「は?」
それはもう冷たすぎる視線が刺さった。
「ゴメンナサイ」
殺されるかと思った。
「……萎えた。もう寝るわ。ヒザシも早く休みなさいよ」
「は、はい」
そう言って、ラムダは温かいミルクティーを一気に飲み干すと、部屋を出て行った。
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