第64話 彼女がこれまで堪え続けてきたもの
「お嬢様……」
「オーロラちゃん……いいの? 全然、時間を置いてもいいんだよ?」
リサさんも俺もオーロラちゃんを気遣う。けど彼女はゆっくりと、でも確かに首を横に振った。
「いえ、話すわ。この前は突然の事で話せなかったけど、今は違うもの。それに、ノヴァお兄様には知っておいて欲しいから」
その手は、全く震えていなかった。
「……分かった。聞かせて」
「ええ」
大きく息を吸って、オーロラちゃんは気持ちを落ち着かせる。
そしてゆっくりと自身の過去を語り始めた。
「14年前、私はこのアークゲート家に生まれた。自分で言うのもなんだけど、生まれもった魔力の素質は当時の家族の中では一番だったみたい。その時はお姉様も力を隠してたっていうか、まだ目覚めてなかったみたいだから」
オーロラちゃんが生まれた頃、シアはまだ6歳だ。俺とも出会っていないし、今みたいな力も持っていなかっただろう。
「当時の人達は私の事を期待していたそうよ。でもその中で一番期待していたのはお母様だった」
「お母様って……確か、エリザベート・アークゲート……」
「そう。アークゲート家を繁栄させて、国内でも頭一つ飛びぬけた一族にした名当主……今でこそ歴代最高の当主はお姉様だけど、その時はお母様が歴代最高って言われてたの。北の女城主、アークゲートの魔女、魔法の深淵を見た女傑……お母様を賛美する色んな呼び名もあったくらい」
でも、と言葉を区切って、オーロラちゃんは悲しげに目じりを下げた。
「でもね……私にとっては、絶対に逆らえない恐ろしい人だった」
気付いていた事でもあるけど、やっぱりシアの母親はオーロラちゃんも苦しめていたのか。それを確信して、両手の拳を強く握りしめた。
「前に屋敷を案内したときに、図書室から塔が見えたでしょ? 私は2年前までずっとそこにいたの。たった一人で、生まれてからずっとね。
関わりがあったのは、世話をするために足を運んでくれたリサと、すごく厳しい先生。先生様って呼ばないと叩かれるくらいには厳しくてね……あとは本当に時折現れるお母様だけだった。
あの塔は、私のために作られたの。才能なんてものを持って生まれちゃったから、それを伸ばすために外界とは断絶して、ただ魔法の能力のみを伸ばし続ける。
小さいころから高度な教育をすることを英才教育って言うらしいけど、あれはそんなものじゃない。あれは教育の場所じゃなくて、歴代最強のアークゲートを作るための実験場……いえ、監獄なの」
あのとき、塔を見た俺の「どんな罪?」という質問に、オーロラちゃんが「何の罪なんだろうね」って返したのはよく覚えている。あれはオーロラちゃんの本心だったんだ。だってあそこに閉じ込められたオーロラちゃんには何の罪もないんだから。
「正直、あの塔での生活は地獄だったわ。少しでも間違えれば体罰、食事の減量。そして朝から晩まで魔法の勉強。ううん、勉強じゃなくてなんだろう? 育てるじゃなくて、作るって感じ。誰と会うことも許されなかった……正直、世話をする担当だったのがリサじゃなかったら、おかしくなってたと思う」
「……私は当時、お嬢様の世話を全て任されていました。あんなお嬢様見ていられなくて、こっそりと色々な話をしていたんです。私が外で触れられるものを一つ残らず、お嬢様に話す。バレそうになったことも何度かありましたけど、それだけは何とかバレずにやり続けました」
「……今でこそリサとはこんな気安い関係だけど、昔はお互いにギリギリだったの。特に私にはリサしかいなかったから、本当に感謝してる」
「お嬢様、私はあの時から今まで、ずっとお嬢様の専属使用人です」
「ええ、そうね……たまにお姉様に靡いてるけど」
「恐ろしさには勝てませんから」
そういって笑いあう二人には、確かな絆を感じた。きっとこれから先もリサさんは軽口をオーロラちゃんに叩くだろう。でもなにがあったとしても、絶対にこの人はオーロラちゃんの味方なんだなって思った。
「でもその地獄が変わったのは3年くらい前。毎日決まった時刻に来てた先生様が来なくなった。あまり詳しくは知らないけど、色々とごたごたがあったみたい。きっとこの時にお姉様がアークゲート家で頭角を現し始めたんじゃないかしら。
そして2年前に、私の元をお姉様が訪れた。お姉様を初めて見たときは本当に怖かったわ。だってお母様のが霞んじゃうくらい、比べ物にならないほど膨大で濃密な魔力を持っていたんだもの」
でも、とオーロラちゃんは続ける。
「お姉様は私をあの塔から出してくれた。私ね、お姉様の事は怖いって思う。でもそれはお姉様が凄く強くて、ダメなことをしたらダメだって教えてくれるから。お母様みたいに、なんで怖いかが分からない怖さじゃないの。
だってそうでしょ? 強くなりなさい、アークゲートに相応しい子になりなさいって言われてきて、怖い怖いって思ったけど、それは納得できる怖さじゃないのよ。ただ、怖いだけなの。
でもそれとお姉様は違う。お姉様の方がお母様より怖いけど、私はお姉様の方が好き」
実際に味わったオーロラちゃんだからこそ、彼女の言うことが心に染みた。
自分と母親が似ているって、シアが思い悩んだことがあるけど、オーロラちゃんは二人の違いをちゃんと分かっていたんだ。
「私は塔を出て、こっちの屋敷に来た。ここは良いところよ。過ごしやすいし、閉じ込められてもいない。いつでも外に行けるしね。だからここ2年は、リサと一緒に出掛けることが多いの。知ってる? 私いくつかのお店を知っているけど、ほとんどリサに教えてもらったのよ」
「お嬢様のお世話はギリギリで、アークゲート家から与えられるストレスも酷いものでした。それの解消でよく街に繰り出していましたからね。それでも、誰にもお嬢様に関することは絶対の秘密で、それを厳守する必要があったために、あまり解消は出来ませんでしたけど。
ただ、こうしてお嬢様の役に立ったなら良かったかなとは思います」
オーロラちゃんにリサさんのような人がいて、本当に良かったって思う。俺にもターニャっていう存在がいたからこそ、こうした人が一人でも居てくれるありがたさはよく分かる。
「ですが、私に出来ることはそこまで多くなかったんです」
けど、リサさんはそう寂しげに笑った。
「私に出来るのは、お嬢様の……烏滸がましいですが母親や姉代わりですから」
「……私ね、お父様のこと知らないのよ」
リサさんの言葉を受けて、オーロラちゃんは語り始める。寂しそうな表情に、心が痛んだ。
「生まれてすぐに塔に幽閉されたから記憶にないけど、そもそも会ったこともないんだと思う。お姉様に直接聞いたわけじゃないけど、お父様はきっともう……」
「…………」
言われなくても分かる。きっともう、オーロラちゃんの父親はこの世にはいないんじゃないだろうか。あまりにも衝撃的な話に、俺は絶句するしかできない。
「あの塔で夜寝るときに、よく考えてた。お父様はどんな人なんだろうって。きっと優しくて、私を褒めてくれる人だって。お母様は恐いけど、お父様はきっと違うって……」
少しずつ、オーロラちゃんの体が震えはじめる。
「おかしな話だよね。会ったこともないのに、勝手にそんなこと考えて」
「……そんなことない」
「会ったことないどころか、もう会うことだってないのに……馬鹿だね」
「……そんなことないよ」
必死にそう言っても、オーロラちゃんには聞こえていないようだった。耳に届いていても、心に届いていないような、そんな気がした。
「えへへ……だからね、ノヴァお兄様ができて本当に嬉しかったの。お父様はいないけど、お兄様がいたらこんな感じなのかなって」
「オーロラちゃん……」
浮かべる笑顔は、シアが浮かべるものとよく似ているけど、泣くのを必死に堪えるような笑顔で。
「きっと……ダメなことをしたときにはあの時のノヴァお兄様みたいに叱ってくれて……そして良いことをしたときは……きっとノヴァお兄様みたいに褒めてっ……」
笑顔が崩れる。泣き顔へと、変わっていく。変わってしまう。
「お父様なんて……っ……どこにもっ……いないのにねっ」
それでも無理やり笑顔を保とうとするオーロラちゃんを見ていられなくて、俺は椅子から立ち上がって彼女を抱きしめた。そうすることしかできなかった。
「笑わなくていい……無理に笑わなくていいよ……泣きたいときは泣いていいんだ」
「でもっ……でも先生様は泣くなって……絶対に、泣くなって……」
「そんな奴の事なんか忘れていいんだ。アークゲートの事もどうしようもない母親の事も忘れて、今はただのオーロラちゃんでいいんだよ。泣いて……いいんだよ」
「……うぅっ……うああああぁぁぁぁっ」
強く抱きしめられて、そして頭をリサさんに撫でられて、オーロラちゃんは声を上げて泣いた。これまで14年間ずっと我慢していたものを吐き出しきるまで、泣き続けた。
泣き続けて、くれたんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます