第8話 とある専属従者の独白

 その日の深夜、私は屋敷からこっそりと抜け出して、少し離れた森の中へと来ていました。連絡そのものはすでに昼間に行いましたが、要件を伝える前に直接会って話したいと仰られたからです。

周りに誰もいないことを確認してポケットから便箋を取り出し、ペンを素早く走らせ、アークゲート家の家紋を指で3回押します。


 すると時間を置かずに金色の光が目の前に展開しました。これまでも何度か見ていますが、扱える人は彼女一人しか知らない魔法です。闇夜では眩い程の金色の光の中から黒髪を揺らして現れたのはアークゲート家の当主、レティシア・アークゲート様。


 彼女の背後に金色の光が展開しているので、まるで神がこの世に降臨したかのような神聖さすら感じます。ゲートが閉じて、彼女の黒い髪は夜の闇に溶けますが、表情は何故かよく見えました。いつも通りの、うさん臭さを感じると言ったら失礼ですが、そんな作り笑いを浮かべています。


「良い夜ですね、ターニャ・レストア」


 レティシア様の言葉に、私は反射的に頭を下げました。


「こんばんは、レティシア様」


 簡単に頭をあげることはしません。このお方がどれだけ恐ろしいのか、よく知っているからです。


「それで? 用件は?」


 他者を威圧する絶対強者の風格を見せるレティシア様の短い言葉に、私は静かに息を吐いて、気持ちを落ち着かせます。


「ノヴァ様からです。本人の言葉をそのまま復唱しても?」


「構いません」


 頭をあげ、ノヴァ様の言葉をそっくりそのまま口に出します。


「シアの予定を聞いてからになるけど、サリアの街なら俺もある程度詳しいし、ノーザンプション出身のシアを案内できると思うんだ、と。つまりノヴァ様は、レティシア様をデートにお誘いです」


 その瞬間、私の体を襲う重圧はまるでなかったかのように霧散しました。チラリと目線だけをレティシア様に向ければ、国どころか世界においても絶対者である彼女は破顔していました。


「ノヴァさんが……デート……」


 先ほどの作り笑いはどこへやら。やや顔を赤くして愛おしそうに微笑むレティシア様は、心からノヴァ様に懸想しているのがよく分かります。


「いつにいたしましょう?」


 レティシア様からの返事がOKなのは分かり切っていることなので日時を尋ねますと、彼女は表情を一変させて考え込みます。さっきまで年相応の恋する乙女の表情だったのに、急に神のような絶対的な雰囲気を出すのはやめて頂きたいところです。


「そうですね……明日でも構いません。朝の内にノヴァさんに伝えることは出来ますか?」


「問題ありません」


 予想通りの答えに私は頷きます。そもそもここ数日ノヴァ様に予定はありません。忌々しいフォルス家に冷遇されているからこそ、仕事も何も与えられない彼にあるのは剣技の鍛錬や独学での勉学だけ。それは本邸に居ようが、ノヴァ様の屋敷に居ようが変わりません。レティシア様とのデートを伝えれば、喜んでくれることでしょう。


「お話は以上です」


「そうですか」


 会話はこれで終わるかと思ったのですが、レティシア様は後ろで手を組んで静かに歩きだしました。ノヴァ様とのデートの約束を取り付けたのに、彼女の雰囲気は変わらないどころか、少しだけピリピリしたものになっています。


「それで? ノヴァさんやフォルス家の様子はどうですか?」


「ノヴァ様に関してはいつも通りです。一方でフォルス家はレティシア様がなぜノヴァ様に接近しているのか、真意を測りかねているようです」


「あら?ノヴァさんは話していないんですか?」


「おそらくですが、話すつもりはないのだと思います。ノヴァ様自身、フォルス家に思うところはあるようですし」


 私としても、ノヴァ様がレティシア様との過去を話さなかったことは良かったことだと思います。ノヴァ様は私のようなものにも優しいので今まで自分に冷たくしてきた家族に恩を感じているかもと思ったのですが、杞憂だったようです。


「ふふふっ」


 途端、息が詰まるような重圧と共に周りの気温が一気に下がったように思えました。背筋が凍るような笑みを浮かべて、レティシア様は歩きます。軽い調子でただ歩くだけ。けれどその途中で地面に落ちた枝を的確に踏みつけて、音を立てて折っていきます。


「ノヴァさんに出来損ないの札を貼りつけた、トラヴィス・フォルス」


 足を踏み出し、一歩。細い枝が音を立てて折れました。


「ノヴァさんをまるでいないもの扱いのカイラス・フォルス」


 さらに足を踏み出し、一歩。同じく細い枝が音を立てて折れます。


「そしてノヴァさんを痛めつけてきたゼロード・フォルス」


 最後の一歩はやや力強く。少しだけ太い枝が砕け散りました。絶対零度のごとき威圧感と身震いするほどの作り笑いを浮かべて、レティシア様は振り返ります。


「でも、もう大丈夫です。長くなってしまいましたが、ようやくノヴァさんに返すことが出来ます。ノヴァさんにもっとあげることが出来ます。そのために私はアークゲート家の当主になりました。そのために戦争もすぐに終わらせました。そのためにあなたに接触し、そのためにノヴァさんに縁談を申し込みました」


 普通なら、恐ろしいと思うでしょう。ただの人なら、恐怖に顔を歪めるでしょう。

 けれど私は自分が笑みを浮かべ、輝くような目でレティシア様を見ているのが分かります。私が心から忠義を捧げるのはノヴァ様のみ。幼い頃からずっと自分を犠牲にして私を助けてくれた偉大なる彼に他なりません。


 けれどもしも二番目に忠義を捧げる人を選ぶなら、迷いなく私はレティシア様を選ぶでしょう。一年ほど前に降臨し、私の後ろ盾となってくださったお方。彼女の力をほんの一部借りることで私は気力を取り戻し、少しずつノヴァ様を取り巻く環境を良い方向に変えることが出来るようになったのですから。


 今は何も怖くありません。

 ノヴァ様の悪口を影で言う使用人は叱りつけて辞めさせてやることができます。

 ゼロードというゴミの下種な誘いだって、一蹴出来ます。

 だってそれよりも恐ろしいお方を私は知ってしまいましたから。


 まあ、ノヴァ様に対して恋心がないかどうか確認されたときは死ぬかと思いましたし、今でもノヴァ様の冗談で死を意識することはありますが。それでも、私はノヴァ様が幸せならばそれ以外は何もいりませんし、それが出来るのはレティシア様をおいて他にないと思っています。


 そんな畏怖の対象たる絶対者に、私は尋ねます。


「レティシア様は、ノヴァ様をどこまで連れていくつもりですか?」


 全てを持っている彼女ならば、ノヴァ様を何にでもできることでしょう。それこそ、この国を丸ごと一つ捧げて、国王にすることだって可能なはずです。この国で……いえ、この世界で彼女に敵う人物なんて誰一人としていないのですから。


 しかしレティシア様は胡散臭い笑みを引っ込めて、首を横に振りました。


「私はノヴァさんが望むことを叶えるだけです。別に私がノヴァさんを連れて行きたいわけじゃありませんよ」


 その言葉の裏に「ノヴァさんが少しでも思うなら、連れていく」という意味が含まれていることに気づきましたが、何も言いませんでした。だってそれでも構わないのですから。


「そのためには、まずはノヴァ様の心を振り向かせる必要がありますね」


「え? ノ、ノヴァさん私の事何か言ってましたか?」


 これまでの息が詰まるような空気はどこへやら、おどおどとした様子で尋ねてくるレティシア様は、やはりどこからどう見ても恋に生きる普通の女性です。そんな彼女に心から微笑みならがら、首を少しだけ横に振ります。


「レティシア様との差を気にしているようです。レティシア様はアークゲート家の当主にして、英雄とまで呼ばれています。その一方で、ノヴァ様はフォルス家の三男でしかありませんからね」


「むぅ」


 これまでの様子からは想像もつかない、口を尖らせるレティシア様。

 国中で恐れられているレティシア・アークゲートの可愛らしい本性を出せるのが自分の主だけということはとても誇らしいことです。


「全てノヴァさんのためなのですが……久しぶりに会ったから気持ちの整理の時間が必要とは思っていましたが、そちらでも問題があったとは」


「あぁ、ノヴァ様から顔合わせだけだったと聞きましたが、そう考えていたのですね」


「はい、がつがつした女は嫌われる可能性があると、書物で知りました」


 人伝いではなく書物なんですね。まあ、レティシア様が自分の恋心の事を誰かに言うとは思えませんし。


「いえ、正しいと思います。ノヴァ様もまだ現状が受け入れきれていないようでしたので、余裕を与えたのは良い事かと。その証拠に、明日のデートはレティシア様のことをより深く知るための時間だとおっしゃってました」


「そんな、深く知りたいだなんて」


 顔を赤くして照れたように微笑むレティシア様を見ていると、これはさっきと同じ人なのかとたまに思ってしまいます。ノヴァ様が関わると人が変わりますからね、本当に。

 だって、さっきまで冷酷無慈悲な女帝だったのに、今では握りこぶしを作って気合を入れていますからね。


「じゃあ明日は頑張らないといけませんね」


 レティシア様は息を吐き、手を下ろします。その頃には彼女はまた、女帝のような雰囲気を放っていました。


「それでは本日はここら辺で。また明日」


 そう言ってレティシア様はゲートを出現させ、その中に足を踏み入れました。片足を踏み入れたところで首だけで振り向き、作り物の笑いを私に向けます。


「ああ、そうです。引き続き私とあなたの関係は周りには内密にお願いします。もちろんノヴァさんにも」


「心得ています」


 他の誰にも知られてはならない。それが私とレティシア様が最初に交わした契約です。時折確認してきますが、それを破るつもりは微塵もありません。あえてレティシア様との関係をノヴァ様に言わないことで、彼のちょっとズレたレティシア様に対する認識も聞くことが出来て楽しいですし。


 なので頭を下げて返答したのですが、レティシア様は何も言わずにゲートの中へ入っていってしまいました。本当にノヴァ様以外には全く興味もないお方です。

 光が見えなくなるのを確認して、深く息を吐きます。いつものことですが、レティシア様に会うのはとっても疲れる事なのです。


 ですが屋敷への帰路につく足取りは軽く、表情は緩んでいるのが自分でも分かります。これからが楽しみで仕方がありません。ノヴァ様の今までの不遇な境遇がなくなるなら……いえ、それ以上のものを取り返せるなら、これほど嬉しいことは他にありませんから。


 ちょっとだけ顔を上げれば、雲一つない空に満月が浮かんでいます。それを見て、初めて会ったときもこんな綺麗な満月の夜だったな、なんてことを思い返して、私は屋敷へと人知れず戻っていきました。

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