第2話 実家からの呼び出し

「ノヴァ様! 朝ですよ、ノヴァ様!」


「……んん?」


 心地良いまどろみから覚めて瞼を開ければ、目の前に見慣れた顔が映った。呆れたようにこちらを見下ろす目に見つめられながら、俺はゆっくりと上体を起こす。


「おはようございます、ノヴァ様」


「あぁ、おはよう、ターニャ」


 綺麗に清掃された一人用のベッドの脇に立つメイド服の女性に挨拶をして伸びをすれば、昨日の疲れが完全に抜けきっていないのか、よく筋が伸びる感覚と共に鈍い痛みも走った。


「…………」


 いつもなら夢の内容なんて忘れるけど、今は鮮明に覚えていた。いや、この夢を見るときはいつだってよく覚えている。あれから10年は経つのに、自分の事ながら未練がましいなとは思うけど。


「ノヴァ様? なんだか嬉しそうですよ?」


「あぁ、ちょっと昔の夢を見てね」


「昔の……というと、初恋の人の夢ですか?」


 そう聞いてきたのは俺の専属侍女であり、さっきの夢にも出てきたターニャだ。

 本名をターニャ・レストア。俺との付き合いは俺が本当に小さい頃かららしいから、かなり長い。10年前のあの日に唯一俺を追ってきてくれた、俺を出来損ないっていう目で見ない数少ない一人だ。


 ただ、性格にはちょっとだけ難アリだけど。


 彼女はずっと俺の専属使用人だから、10年前のシアとの出会いのことも何度か話したことがある。10年も前にたった一度会っただけの少女を今も思い返すことから、彼女からは初恋の相手だと判断されて揶揄われることも多い。


 否定するのがいつもの流れだけど、受け入れられることは一度もない。従者としてどうなんですかね。そんなわけで今日もまた弄られるんだろうなぁ、なんて思っていると。


「そう……ですか。良かったですね。その夢を見た後のノヴァ様は機嫌がいいですから」


 ターニャは笑みを浮かべてそう答えた。そう言えばここ最近、彼女がシアの事について何かを言ってくることはなくなった気がする。きっと彼女としても、ちょっと飽きたのかもしれないな。


「こほんっ……それで? 今日の予定は?」


 ちょっとふざけてみようとやや大げさにふるまえば、絶対零度のごとき眼光がすぐに飛んできた。背中に氷を当てられたような冷たさを感じたくらいだ。


「いつも通り、何もありませんよ」


「だよなぁ……」


「領地と屋敷を持っているとはいえ、管轄は大旦那様ですし、領地業務は代理で請け負ってくれているジルさんがいますからね。そのジルさんも暇……いえ、時間に余裕があると言っていましたが」


「暇なんじゃん」


 はぁ、とため息をついて、頭の後ろを掻く。それなら、やることなんて一つしかない。


「まあ父上の領地の中のさらに小さい領地じゃ、それもそうか。それじゃあ、いつものように剣でも振るいますかね」


 剣の一族に生まれながら、一族の秘技を受け継げなかった出来損ない。それでも俺は剣が好きだった。稽古をするのも、訓練をするのもだ。だから暇なときは剣を振るいたいし、毎日欠かさず手に取ってきた。時間を忘れて没頭するくらいには、剣が好きだった。


「昨日はやりすぎだったので、今日は控えめにお願いしますね」


 長い付き合いのターニャに俺のそんな悪い癖について釘を刺されたときだった。ノックの音が響き、返答を扉に投げかければ執事が入ってきた。最近雇った優秀な執事さんだ。彼は頭を深く下げ、一礼する。


「旦那様、大旦那様がお呼びです。領地の屋敷まで来るようにと」


 父上が俺を呼ぶなんて、珍しいと思った。実家からこの領地に移って来てからは初めての事だ。何かやらかしただろうか?


「用件は聞いているか?」


「いえ、伝えられておりません」


「そうか、分かった。ありがとう」


 俺の言葉に執事はもう一度頭を下げて部屋を出て行く。扉が閉まる音を聞いてから、ターニャに目を向けた。


「父上が呼び出しって……なんだろう?」


「さぁ? 分かりませんね……ところでノヴァ様、話が変わるのですが、今現在、懸想する方はいらっしゃいますか? あ、婚約者にしたいほど、でお願いします」


「はぁ?」


 突然のターニャの言葉に訝しげな顔をして返す。こいつは一体何を言っているんだ?


「いや、いないけど。そもそもそんな人がいない事はターニャもよく分かっているだろ。嫌味か。

 ターニャの仕える主は行き遅れ寸前の、貴族の三男坊ですよ」


 ため息を吐くように返せば、「そうですか」と、とても短い言葉が返ってきた。

 いや、聞いておいて反応あっさりすぎない?


「っと、早く父上の所に行かないとな。それこそ、縁談の話ならまだいいんだけどな」


「さあ、どうでしょうか?」


 ベッドから立ち上がって、身支度を整え始める。さっきはああ言ったけど、縁談の話が来るなんて思ってもいない。誰が剣の一族の落ちこぼれを欲しがるっていうんだ。

 ただ、何とかしたいって言う気持ちは俺にもあるわけで。


「男として、貴族として、そろそろ婚約者どころか結婚を考える年だけど、出会いがないからなぁ。俺が婿に行くでもいいのかもしれないけど」


「ノヴァ様はフォルス家の人間ですので、婿と言うのは……」


「ってことは俺のところに来てくれる女性ってことか……やっぱり心当たりは全くないな」


 領地の仕事と国境付近の警備の仕事。それにたまに繰り出す街の事を思い返して見ても、そもそも関りがある女性が数えるほどしかいない。


「仕える身としても主人が独り身というのは心配です」


 よよよっ、と涙を流す素振りをするターニャ。こんな風にちょっとふざけるのはよくある話で、慣れてしまった。


「主人としては、長く仕えてくれる侍女が独り身なのも心配だけどな」


 だから俺よりも年上のターニャにそう返せば、「私の事はお気になさらず」と返されてしまう。揶揄い返したところで、ふと昔の事を思い出した。


「昔は『ターニャが貰ってあげる』って言ってたのにな。お姉さん風を吹かせて」


「……む、昔の話ですので」


「いや、分かってるけど……そこまで否定しなくてもいいだろ」


 子供の頃の話を蒸し返したが、逆にダメージを負ったのは俺の方だった。震えるほど嫌だというのは流石に心に来るものがある。


「……まだ死にたくないので」


「ん? 何か言ったか?」


「いえ……あ、コート持ってきますね」


 いつもの機敏な動きで、彼女は俺の外出用のコートを取りに行ってしまった。

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