エピソード17 柳沢の真意

 曹瑛は地下鉄駅への階段を降りていく伊織の背を見送ったあと、配車アプリ滴滴出行でタクシーを呼ぶ。

「銀座花椿通り、場所はついてから伝える」

 曹瑛はスマホの地図アプリを確認する。伊織と別行動なのは好都合だった。孫景の情報から鳳凰会柳沢組の組長、柳沢が週末に繰り出す店が銀座にあることを掴んでいた。曹瑛は胸元に潜ませた黒いケースを確認する。


 銀座七丁目交差点でタクシーを降りた。通りがかりのメンズカジュアルの店で目立つ白色のファー付きコートを買う。

「そのまま貰おう」

 曹瑛はその場でコートに腕を通す。店員はスタイルの良さをしきりに褒めているが、曹瑛は全くの無関心だ。


 黒御影石のエントランスを入ると、クラブ真珠星スピカの看板を見つけた。エレベーターで四階のボタンを押す。

 店舗はフロア全体を貸し切っており、天体をあしらったデザインの壁に真珠星と銀色の文字がデザインされている。狭い通路の奥に非常階段へ続く扉がある。ドアノブを捻り、施錠されていないことを確認する。


 黒塗りの扉を開けると、ラメ入りのブルーのドレスのホステスがすぐに駆け寄ってきた。ハーフアップの髪が揺れ、きつい香水の匂いが鼻を突く。

 曹瑛は目を泳がせて店内のレイアウトを把握する。窓際に並ぶ少人数向けのテーブル席、奥にはコーナーを利用したソファー席がある。その天井にはひときわ豪奢なシャンデリアが吊されていた。

 

 ソファー席の中央に座るのは壮年の男。その左右に白地に花柄の和服、ピンクのドレスのホステスが寄り添う。連れの男たちは総勢五名だ。

 曹瑛はソファー席を確認できるカウンターに座った。

「ソーダ水を頼む」

 灰皿を引き寄せ、真鍮のジッポでマルボロに火を点けた。カウンター背後の鏡に映るソファー席を観察する。


 ソファ中央の男は柳沢誠司に間違いない。ホステスを挟んで座るのは黒いスーツに派手な赤色の柄シャツ、首にネックレスをつけた軽薄そうな男だ。柳沢の太鼓持ちといった印象を受ける。

 さらにその脇に肩幅ががっしりした体格の良い男が二名、おそらくボディガードだろう。


 柳沢の斜め前に座る若い男はひときわ目を引いた。

 年は三十代前半、身体にフィットしたオーダーメイドの黒のシャドウストライプのスーツにダークグレーのシャツ、紺色のタイ。長めの前髪を後ろに流し、縁なし眼鏡をかけた影のある横顔は怜悧な印象を与える。若頭の榊英臣だ。

 男たちが談笑している中、迎合することなく別世界にいるように静かにブランデーのグラスを傾けている。

 この男は注意すべきだ、曹瑛は直感する。


「村尾もらおうか」

 柳沢が酒を注文した。バーテンダーがグラスにロックアイスを入れ、焼酎を注ぐ。ウエイターがグラスを盆に載せようとしたとき、曹瑛は横に立つウエイターのベストのボタンを瞬時に切り裂いた。

「ボタンが取れている」

 曹瑛は袖口に素早くスローイングナイフを隠す。

「え、本当だ。ありがとうございます」

 ボタンに気を取られている隙に、曹瑛はグラスに粉末を振りかけた。粉末はすぐに溶けて跡形も無くなる。


 ウエイターはグラスの異変に全く気づかず、トレイに焼酎のグラスを乗せて柳沢の席へ運ぶ。曹瑛はマルボロに火を点ける。柳沢はグラスを傾けながらホステスに持ち上げられて、豪気な笑い声を上げている。

 一本吸い終わるころに、柳沢が神妙な面持ちで席を立った。用心棒の強面の黒スーツがひとり後をついてくる。

 柳沢はトイレに駆け込んだ。用心棒は腕を組んでトイレ前で待機する。取り巻きがいる席からは完全に死角だ。


 曹瑛はタバコを揉み消し、席を立つ。トイレ前に立つ用心棒の横を通り過ぎざまに右脇腹に拳をめり込ませた。不意打ちで肝臓に鋭い一撃を食らった用心棒はぐ、と短く呻いて倒れ込む。

 曹瑛はいかつい男を軽々担ぎ上げ、掃除道具入れを開けてその巨体を放り込む。清掃中の立て札を見つけて扉の前に置き、鍵をかけた。


 柳沢は個室で唸り声をあげている。焼酎に混ぜた嘔吐誘発剤の効果はてきめんだ。

 しばしして、柳沢が咳払いをしながら個室から出てくる。手を洗っていると、背後に立つ長身で細身の男と鏡越しに目があった。男はサングラスごしに暗い瞳でこちらを見据えている。


「貴様、何者だ」

 振り向こうとした瞬間、黒光りする軍用ナイフバヨネットが喉元に突きつけられていた。驚くほど冷静で正確な動作に、柳沢は男がただのチンピラではない事を悟る。

「どこの者だ。ワシにこんなことをして、ただで済むと思っているのか」

 柳沢はドスを効かせた声で鏡に映る曹瑛を威嚇する。曹瑛は顔色ひとつ変えず、柳沢の首に当てがったバヨネットの角度を変える。首筋に冷たい刃先が押しつけられ、柳沢は恐怖に喉を鳴らす。


「な、何が望みだ。言ってみろ」

 極道の面子で柳沢は虚勢を張る。

「龍神から手を引け」

 曹瑛の言葉に、柳沢は唸り声を上げ身じろぎする。曹瑛は柳沢の右腕を背中で捻り上げる。骨が軋み、柳沢は苦痛の呻きを上げる。


「お前も知っているはず、龍神は猛毒だ。街を滅ぼすぞ」

「街中に粗悪品が氾濫している。値崩れして高校生ガキのバイト代でも手に入る始末だ。高品質のヤクを捌けば値が張っても欲しがる奴はいる。これはビジネスだ」

 柳沢は肩をゆすって笑う。

「生産元から独占販売の権利を買う。この取引で莫大な金が手に入る」

 柳沢は小物のくせに野心ばかり強い。鳳凰会一次団体への昇格に目が眩んでいるのだ。


「日本市場への突破口としてお前は利用されているだけだ。用済みになれば無慈悲に切り捨てる」

 法の締め付けをくらい、疲弊している日本の極道にはかつての勢いはない。

「わかってねぇな。お偉い一次団体の組織が奴らに喰われて共倒れすれば好都合だ。最後に立つのが俺ならそれでいい」

 柳沢は歯茎を剥き出しにして哄笑する。この男の身勝手さ、強欲さには虫唾が走る。曹瑛は唇を歪める。


「鷲尾を欺いたのは貴様か」

「お前に関係あるか。まあいい、教えてやろう。鷲尾はわしの経営に口出しを始めた。仁義だ道義だとクソの訳にも立たねえ」

 極道のシノギに仁義を掲げる鷲尾が邪魔になり、敵対組織に故意に情報を流した。柳沢が暗殺の手引きをしたも同然だ。


「榊も始末する気か」

「奴の資金集めの能力は馬鹿にできない。今は生かしておくが、油断ならない男だ。あの生意気な目が気に入らない。何を考えているやらわからん」

 柳沢は吐き捨てるように言い、大きな舌打ちをした。

 龍神の取引が軌道に乗れば、鷲尾と同じように榊を始末する算段だろう。この男はどこまでも腐っている。


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