5「Thermal Runaway」

 「ファンタジスタが消えた……!?」

それが夏樹の、流雫との通話で最初に放った一言だった。SNSでメッセージを送ったが、まどろっこしくなると思ってメッセンジャーアプリのリンクを貼っていた。そして、彼からの返事が返ってくるなり、通話ボタンを押した。……男同士だから、その辺りはそこまで慎重にならなくていい。

 「404エラーが出てるらしくて」

「一時的にアクセス不可能になってるだけじゃ……」

と、夏樹は流雫に被せる。例えばメンテナンス中などでアクセスできない時にも、表示される。尤もその場合はメンテナンス中の表記がされるハズだが、それも無い。

 「……ただ、どうしても気になるんだ」

「何が?」

と夏樹は訝る。

「昼間、篭川さんが言ってたこと。ネクステージオンラインとファンタジスタクラウド、そしてBTB……同じAIを使ってると」

「ゼウスのベース……ガイアだね。……でも、ネクステージの件も何故AIが暴走したのか、それすら未だ判明していないんだから。サーバの履歴も全部消えてて、追跡のしようが無いらしくて」

と答える夏樹。

 「……AIだって完全じゃないから、想定外の答えを吐き出すことはよく有る。だけど、こう云う形で暴走するとは誰も思ってなかった。いや、思っていたとしても、口を挟めなかったし、誰も聞く耳を持たなかったと思うよ。受ける恩恵の方が大き過ぎて、そして誰もが夢中になってるから」

「……ただ、ファンタジスタは……消失してないと思いたいよ。それこそ、日本のVRMMOは壊滅的になるから」

と言って、黒の少し伸びたショートヘアを弄る少年は溜め息をついた。……そうであってほしい。


 ガイア。5年前に設立された深圳のベンチャー企業、大力士高科技公司……ヘラクレスハイテックが開発した高性能汎用AIクロノスのうち、VRメタバースに特化したもの。

 独自のプログラミング言語を使用するが、一方でオープンソースとなり、VRMMOのデベロッパーを中心に多数採用されている。ゼウスもガイアをベースにカスタマイズされ、運用されてきた。そして、ファンタジスタクラウドのAIオケアノスも、ガイアをベースにしたものだった。


 通話を終えた流雫に、澪は

「……眠れなくなったわね……」

と言う。亜沙に問うのが早いのだろうが、この時間に連絡してみるのは流石に気が引けるし、そもそも自分たちとの遣り取りをしている場合ではないと思っていた。メタ部の担当なら今頃、情報を掻き集めるのに必死になっているだろうからだ。

 流雫は

「僕たちが気にしたって、仕方ないのは判ってるけど……」

と言ったが、何度そう言い聞かせても落ち着かない。

「と云うワケで、ホットミルク」

と言って澪はマグカップを手渡す。

「サンキュ」

と受け取った流雫は、熱いミルクを少しずつ喉に流す。

 無縁だったハズのVRMMOのことは、無理矢理でも忘れたい。今はただ明日……と云うより今日に備えるだけだ。


 翌朝、流雫と澪は秋葉原に向かった。

「あ、流雫くん!」

と夏樹が声を上げる。

「やっぱり来たんだ。VRが気になるの?」

と言った少年に、シルバーヘアの少年は

「まあ、ね」

と含みを持たせた答えを出す。気になる……が、ゲームをしたいワケじゃない。ガイアとRセンサーの件だ。

 「ところで、今日BTBの予選が有るんだ。上位入賞で全国大会。……意外とエントリーが少なくて……出てみない?」

と明澄はその隣から言った。無論、その目は澪に向いている。

「……数合わせ程度でいいなら」

とボブカットの少女は答えた。

 ……昨日チュートリアルを触った程度だから、出場したところで1回戦で終わるだろう。ただ、それはそれだと思った澪は、しかし流雫が気懸かりだった。蚊帳の外になっていないか。

 「……流雫くんは」

と誘った夏樹に、流雫は

「僕は出ても……」

と拒否する。あの有様だし、何より気になることが有る。ただ、夏樹は

「数合わせでもいいから」

と引き下がらない。あくまで出場させる気でいる。……流雫は溜め息をついた。だが、やらざるを得ない以上は、目的を持ちたい。それは……。

 「……シュートどころか、ウェポンも手にしないよ?」

と言った流雫に、夏樹は

「走り回るだけ?それじゃ勝てないよ?出るなら目指せ1キル、初勝利!」

と声を弾ませる。流雫から事実上のプレイ宣言を引き出したことが嬉しいようだ。ただ、

「勝つ必要は無いよ」

と流雫は返した。

「ガイアをベースにしたAIを知りたいだけだから」

 ……数分プレイしたところでAIを判ることなんて、到底無理な話だ。対話型でもないし、ゲームシステムの内部に入れるワケでもない。ただ、その数分でもし何かが掴めるのなら。

 AIの暴走によるデータ消失、Rセンサーとの関係……。

「僕にとっては、あの一連の謎を追うためのツールの一つ……それだけの話だよ」

とだけ言った流雫に、最愛の少女は

「……流雫……」

と名を呼ぶだけだ。

「……サイバーテロに飲まれそうなのは判ってる。もし倒れそうなら、介抱して?」

とシルバーヘアの少年が戯けてみせると、澪は

「バカ……」

とだけ返す。

 ……深追いしたがるのは、流雫の悪いクセだ。尤も、それは自分自身もなのだが。ただ、サイバーテロと呼んだ……それは、夜中の件はその一種で、昨日流雫が戦ったのも、或る意味それだと思っているからだ。

 「……ところで、亜沙さんは……?」

「もうすぐ着く、そうメッセが入ってた」

と、澪の問いに明澄が答えた。


 亜沙がベッドに潜ったのは、朝方5時のことだった。その3時間後に起きると、コーンフレークを頬張り、グレーのスーツに着替える。トレードマークのローポニーテールは、最寄りの駅まで歩きながら束ねた。駅から今日の取材現場、秋葉原までは地下鉄でダイレクトに行ける。

 ……ファンタジスタクラウドのサーバトラブルは、事故のように見える。推測ながらその根拠も有る。ただ、ネクステージオンラインのケースでは、その兆候が何も無かった。もし、事故でないとするなら……。

 その疑問を、当事者にぶつけるだけだ。プログレッシブ日本法人の社内カンパニー、プレイバースジャパンカンパニー……略称PJCのトップが来場、プレイバースについての基調講演で登壇することになっていた。尤も、ファンタジスタクラウドの件で騒ぎになることは目に見えているが。

 鳥栖光俊とすみつとし。都内の工業大学を卒業後プログレッシブに入社、法人向けのシステム開発を手掛け続け、その手腕からPJCのトップに就任した。その人事は、プレイバースが個人のエンターテインメントに特化したものではないことを意味している。

 秋葉原駅前で張っていると、鳥栖が見えた。亜沙はパンプスを鳴らして40代後半の男に駆け寄り、

「TMNメタ部の篭川です。二つだけ質問を」

と迫る。少し痩せ型で眼鏡を掛け、ネイビーのスーツを着こなす男とは仕事柄面識は有るが、その程度だ。

「ファンタジスタの件か。後で会見の場を設けるから待て!」

と苛立ち気味に鳥栖は答える。ファンタジスタクラウドは厳密には別の社内カンパニーではあるが、プログレッシブ全体に与える影響は小さくないからか、ナーバスになっているようだ。

 だが、亜沙は最初の質問をぶつけた。

「……本当に、海底データセンターの損壊によるオケアノスの熱暴走でしょうか?」

眼鏡のレンズの奥、鳥栖の目付きが険しくなる。

「……待てと言ったろ!?」

とだけ言い残して、鳥栖は早歩きで去って行こうとする。不愉快極まりない、と言わんばかりに。

 「何故富山側のシステムは動かなかったの!?」

そう問うた亜沙の口調は、鳥栖の足を止めた。丁寧語ではなかったこと、それが彼女の記者としての正義感を表していた。


 夜中、タブレットを駆使して亜沙が調べていたのは、ファンタジスタクラウドのデータセンターだった。

 ヘラクレスハイテックも公に認めていたが、ガイアの最大の課題はハードウェアの排熱だった。

 高性能だが、同時に格納するサーバも相応のハイスペックが要求された。無論、プログレッシブは提携するメインフレームメーカーと共同で、ガイアに対応した新型サーバを開発し、ゲームチェンジャーにも販売した。

 ただ、問題になったのがその排熱だった。

 高性能故に消費電力も多く、ハイスペックのハードウェアを常時フルパワーで働かせている状態で、結果サーバの排熱も相当なものになる。それが1台や2台どころの話ではない。

 そこで、冷却用の消費電力を抑えつつ高効率な冷却を実現させるべく、データセンターを海底に沈めることにした。

 地球の7割を占める海水は、冷媒としては事実上無尽蔵に使用できる。海底に露出した形で設置されたデータセンターの建屋内に張り巡らされた無数の配管。其処に流れる冷却剤を大量の海水で冷やし、数度高くなった温水を排出する、その繰り返しだ。

 理論上は完璧な冷却システムだったが、想定外だったことが有る。夜中に発生した海底地震だった。

 震源地はデータセンターのほぼ直下。建屋そのものに被害は無かったが、冷却剤を運ぶためのポンプの電源ケーブルが地震の影響で切断された。それも、予備の電源装置からの系統も含めて。

 ポンプが停止したことで冷却が不可能になり、排熱によってAIが熱暴走を起こし、自己診断システムが破損したクラスタを片っ端から消去、その結果AI自身も消滅する完全消去に陥った。

 だが、それでも疑問は有った。こう云う災害に備え、富山の内陸の豪雪地帯に全く同じ構成のデータセンターを建設していた。気温が低く、また豊富な雪解け水に恵まれ、冷却効率は高い。

 それは、やがて国内最大手のVRMMOをVRメタバースへ移行させるための先行投資でもあった。災害時に即駆け付けることが難しい海底データセンターに問題が起きても、サービスを止めなくて済むように。


 ネクステージオンラインも同様に、2年後を目処にサービス終了、同時にネクステージライブと云うVRメタバースへ移行することが発表されていた。それは、VRMMOの運用そのものが、後のメタバース運用のための知見を蓄積することを目的としていたからだ。

 そして、新潟の内陸の豪雪地帯にデータセンターを置いていたが、別の場所に予備のデータセンターを置くことは無かった。発展途上のベンチャー故の資金的な問題が足枷となっていたからだ。だが、ゲームチェンジャーはデータセンター関連のトラブルが起きたとは発表していない。

 一方のファンタジスタは、富山側のシステムへのスイッチングもできなかった。……消失と言いながらも、富山側のシステムが動いていれば問題は無い。しかも、一瞬でスイッチングはできたハズだった。コネクションエラーも数秒で解消されるハズだった。何故作動しなかったのか。


 「富山も死んだ!」

怒りに任せた鳥栖が張り上げた声は、亜沙を硬直させた。……死んだ!?

「……じゃあ、あれは事故じゃ……!?」

そう震える声で呟く女記者に、鳥栖は自分が何を言ったか判り、一瞬顔が青ざめる。墓穴を掘ったと思った。だが、今更何を言っても遅い。

「……い、今のは無かったことにしろ。後で会見を設ける……!」

そう言って、鳥栖はイベント会場へ去って行く。その焦燥感に満ちた背中に、亜沙は想像できる限り最悪の一つの答えを見た。

 ……富山も。鳥栖は確かにそう言った。それは、海底データセンターも止まったことを意味する。

 「……まさか、富山のオケアノスも暴走……!?」

同時に2つのAIが暴走すること……それならスイッチングしてサービスを継続させられなかった理由は成り立つ。それも、片方は熱暴走などではなく、寧ろネクステージのケースに近い……。だとすると、海底データセンターのケースは、偶然海底地震と重なっただけ……!?

 亜沙はスマートフォンを取り出し、音声入力でノートアプリにメモを残しながら、すぐ近くの取材現場へと足を進めた。


 VRイベントは始まったが、昨日流雫や澪が最初に見た活気は無い。アクセス不能のまま夜が明けたファンタジスタクラウドの件について、プログレッシブがどう云う対応をするのか。最大の注目はそれだった。

 やがて亜沙が4人に合流する。寝不足ながら女記者は少し疲労が溜まっているようだが、そうも言っていられない。

「……澪さん、だっけ?私と1戦してみない?」

と亜沙は誘う。

「……え?」

と澪は声を上げる。

「昨日のプレイを見て、一度練習試合もいいかな、なんて」

「……あたしでよければ。練習相手になるか、不安ですけど……」

と6歳年上の亜沙に答えた高校生は、早速試遊台のプレイバースに手を掛けた。

 「……流雫くんも僕と」

と夏樹が言い掛けたが、流雫は

「それより、気になることが有るから……」

と言葉を被せ、恋人から目を逸らす。目線が捉えたのは、書類に目を通すネイビーのスーツの男だった。誰だか判らないが、関係者……?

 「……日本のプレイバースのトップだよ」

と、オッドアイの少年の目線を追った夏樹は言い、溜め息を吐きながら続けた。

「……ネクステージの時と同じことになるだろうね……」

 あの時も、壇上前に陣取るメディアの奥で罵声が鳴り響いていた。会見の生配信でも、マイクはその声を鮮明に拾っていた。……課金情報まで消えたのだから、情報の流出の懸念は無いとしても、憤るのは至極当然だった。

 その男子高校生から少し離れた場所で

「はぁ!?」

と明澄が声を上げた。

「義姉さんが……キルされた……!?」

手練れだと思っている自分でさえも歯が立たなかった、亜沙ことディードールに、これで2回目のプレイだった澪が、マシンガンでのヘッドショットで勝ったのだ。

 「油断したわ……」

と言ってプレイバースを外した亜沙は、しかし相手がビギナーだからと油断していたワケではない。ただ、ビギナーズラックで片付けられる話でもない。

「紛れですよ……」

とだけ言いながら、視界を元に戻した澪は亜沙の巧みな動きに驚くばかりだった。

 正直、自分ごとき瞬殺だと思っていた。1分保てば粘った方だと思っていた。だが気付けば勝っていた、それも後1発でキルされると云う追い詰められた中で、残り5秒で。

「ただ、流雫ならこう戦うかな……そう思っただけで……」

と澪は続けた。

 VRゲームの幸いな点は、プレイヤー自身の運動能力に左右されないこと。その部分がイコールならば、澪にも勝ち目は有る。後はどう戦うか、咄嗟の判断に掛かってくる。

 常識破りの部分は有りつつも、最後は犯人を仕留める流雫の戦いを何度も見てきた澪。だから、最愛の少年ならどうするだろうか……そう思うと、何となく相手の動きが見えてくる。そして、ゲームシステムの範疇で最も読めない動きをするだけだ。

 練習試合なんかではない、撃たれれば間違い無く死ぬ。そう云う極限の環境での戦いを強いられてきたことが、まさかこう云う形で役に立つとは思っていなかった。

 ……ボブカットの少女は、明澄にとって最大の番狂わせを実現させた。アスミックとして、彼女と対戦することになったとするなら、非常に手強く、厄介な敵になる。

 しかし、その戦い方に影響を与えた少年は、BTBゲームを拒絶しながらも、事件を追うツールとして触れようとしている。ゲームは遊びであり、そしてeスポーツプレーヤーにおいては職場でもある。だが、決して事件の捜査ツールではない。

 交遊関係を増やしたいのか、強引に誘う夏樹も夏樹だが、結局はそれに乗る流雫が明澄の癪に障る。一度練習試合でもして、ゲームを甘く見るなと牽制したい……。

 そう思っていると、予選会の飛び入り枠のエントリーが始まった。流雫と澪は、あくまでも数合わせ目的。ただ、それでもプレイヤーネームとアカウントは必要らしい。

 2人はそれぞれ、ルーンとウェイクと名付け、その場でアカウントを作成した。

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