第8話 成り行きで彼女と朝を迎えてしまった

 一度も目覚めることなくぐっすり眠り、次に気づいた時には、室内がうっすら明るくなっていった。

 朝が来たのだ。


 美味しいご飯を完食して栄養を摂り、薬を飲んでぐっすり眠ったのがよかったのだろう、体は驚くほど楽になっていた。

 昨日の気怠さは完全に消え去っている。


 ホッとしながら体を起こした俺は、ベッド脇の椅子で居眠りをしている花江りこを見つけて、思わず息を止めた。

 彼女は寒そうに体を丸めて、自分の上にかけたコートに鼻先を埋めている。


「え……。なんで……」

「ん……」


 俺の発した言葉で身じろぎをした花江りこが、ゆっくりと大きな瞳を開ける。

 少しぼんやりと顔を動かした彼女だったが、俺をその視界に入れた瞬間、ピッと音がしそうなほど勢いよく飛び起きた。


「ご、ごめんなさい、朝までいたりして……! あの、実は……っ、新山くんが眠った後、帰ろうとしたんだけど、雪で電車が止まっちゃって……」


 状況を理解した俺は、頭を抱えたくなった。


「うわ、そうだよな……!? ごめん……!」


 そういえば担任の車の中で流れていたラジオでも言っていた。


『東京二三区を含む関東甲信では、雪により大きくダイヤが乱れる恐れがあり、在来線では一部運休などの――……』


 無機質なアナウンサーの声を思い出しながら、小さくため息を吐く。


 信じられない……。

 なんでちゃんと気遣ってあげなかったんだ……。


 いくら風邪を引いていたからって、そんなの言い訳にはならない。

 自分のことばかりだった昨日の自分をものすごく恥ずかしく思った。


「新山くん、体調はどう?」

「あ、うん。すごく楽になった。熱ももう下がってるっぽい」


 花江りこは「心配だから」と言って、体温計を差し出してきた。

 素直に受け取って熱を測ると、三十六度六分。

 しっかり平熱に戻っている。


 体温計に表示されたデジタル数字を覗き込んできた花江りこが、ホッとしたように息を吐く。

 それからすぐに「でも朝の薬を飲まないと! ちょっと待っててね」と言って部屋を出て行ってしまった。


 俺はどうしたらいいんだろう。

 とりあえず着替えだけ済ませてリビングに向かおうか。


 そう考えて準備をしていると、なんと花江りこは、手作りの玉子サンドと一口大に切ったリンゴ、それから薬を飲むようの水をトレイに載せて戻ってきた。


「ああっ! だめだよ、新山くん。風邪は治りかけが大事なんだから。はい、お布団に戻ってください」


 優しい口調で諭され、言い返すことなんてできるわけがない。


 結局俺は、花江りこ手作りのめちゃくちゃ美味しい玉子サンドを平らげ、リンゴを頬張り、薬を飲んで、夢のように幸せな時間の延長戦を楽しませてもらったのだった。


 花江りこも俺の横に座って、サンドイッチを頬張っている。

 彼女は少し目を細めて、幸せそうに飯を食う。

 それがめちゃくちゃ可愛くて、つい何度も横目で盗み見てしまった。


 ◇◇◇


 ――食後、一息をついてから、俺は改めて彼女にお礼と謝罪の気持ちを伝えた。


「花江さん、何から何までありがとう。あと、本当にごめん……。……椅子で寝たの? 寒かったよな……。あー、ほんっと申し訳ない……」

「コートかけてたから大丈夫だよぉ。だからそんなに気にしないで。ね?」

「起こしてくれればよかったのに……」


 花江りこは俺の言葉にそっと微笑んだだけだ。


「新山くんが楽になったみたいで良かったあ。でも、体はまだ弱ってると思うから、もう少し安静にしててね」


 コートだけじゃ絶対寒かったはずなのに、彼女は恨み言ひとつ言わない。

 それどころか、俺のことばかり心配してくる。


 なんなんだよ、花江りこ……。

 どうしてこんなに優しいんだよ。


 彼女に対して申し訳ないと思う気持ちの中に、別の感情が混ざるのを感じた。

 今まで誰に対しても抱いたことのない想い。


 それは憧れの混ざった好意だった。


 胸の奥が微かに苦しくなる。


 馬鹿だな、俺。

 何考えてるんだ。

 ありえないだろ……。

 学園一の美少女に惚れたって?

 身の程知らずにも程がある。


 そうだ、まだ今なら引き返せる。

 だってきっと一瞬ときめいてしまっただけだ。

 好きになってしまったわけじゃない。

 胸の内で、そう自分に言い聞かせた。


「そろそろ雪やんだかな」


 花江りこは独り言のような声音でそう言うと、窓際に近づいていった。

 シャッと音を立てて、カーテンが開けられる。


 窓の向こうには、一面の雪景色が広がっていた。

 ここが大船だと言うことすら疑いたくなるような一面の白を前に、俺と花江りこは思わず目を合わせた。


「すごいな……」


 俺も立ち上がり、窓際までいった。


「どうしよう。これじゃあまだ電車は動いてなさそうだね……」


 俺の隣にいる花江りこは、言葉とは裏腹に瞳をキラキラと輝かせている。

 雪が嬉しいんだろう。

 彼女が見た目よりずっと感情表現豊かな子だということはもう知っているので、驚きはしなかったけど、ドキッとはなった。

 だって、はしゃいだようにキョロキョロと街並みを見回している花江りこは可愛すぎた。


「新山くん、もうちょっとここにいてもいい?」

「もちろん。花江さんが嫌じゃなきゃ、俺は全然」

「嫌なわけないよお」


 なんて返せばいいかわからず黙り込む。


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