第40話 二度目の恋を貴方と




 一週間が経った。

 湖に落ちた夜、リリアンは熱を出して二日寝込んだ。クロード、ソフィア、シャーロット、グレース……色んな人がお見舞いに来てくれたけど、その中にビビアンはいなかった。


「……姉さんを助けてくださりありがとうございました」


 ユリウスは相変わらずクロードが好きではないようだったけど、それでも頭を下げてお礼を伝えていたのを朦朧とする意識の中でリリアンは目にした。



 ペトロフ伯爵と夫人が現れたのは、熱が下がった三日目の事だった。ユリウスと、何故かクロードも立会いの下で会話をすることになったリリアンは、自分に頭を下げる二人に複雑な気分になった。


「この度はビビアンが大変申し訳ございませんでした。許して欲しいとは言いません。ですが罪に問うのはご容赦いただけないでしょうか」


 どうやら二人はリリアンがビビアンを告訴するのではないかと心配しているようだった。結局のところ謝罪は建前で、これが本題だったのだろう。怒りを抑えきれていないユリウスとクロードが爆発する前に、リリアンは同意した。


「分かりました。代わりに一つだけ――」




 ***




「これで良かったのか?」


 小さな高台の上から、遠くを眺めるリリアンにクロードは問いかけた。


「はい」


 リリアンは視線を固定したまま頷く。その先には一台の馬車が止まっていて、もうすぐ発つところだった。

 舞踏会の日の出来事が広まるのはあっという間で、ビビアンは領地に戻ることにしたらしい。


 それを聞いたリリアンは一つだけお願いしたのだ。「領地に戻る日付を教えてほしい」と。その質問に戸惑いつつも、ペトロフ伯爵は日程を教えてくれた。


「君が望めば彼女に会うことくらいできたはずなのに」

「……さすがにそこまで無神経じゃありませんよ」


 クロードの発言にリリアンは苦笑う。生ぬるい風が頬を撫でた。

 馬車に一人の少女が乗り込む。出発し、見えなくなるまでリリアンは見送った。


「あんなことをされたのだから、恨みごとの一つや二つ言ってやれば良かったのに」

「確かに、あの日あったことは無くなりませんが……それなら今までもらった優しさだって失くなりませんよね」


 ずっと嫌われていた事実に胸が痛みもしたけど、だからと言ってビビアンを恨みたくもなかった。例え偽りだとしても、彼女からもらった優しさがリリアンは嬉しかったのだから。


「馬鹿だって思いますか?」


 リリアンは視線をクロードへと向ける。クロードは困ったように眉を下げてリリアンの手を取った。


「君らしいと思うよ」

「褒め言葉として受け取ります」


 リリアンは笑って、今度こそ未練一つなく足を進めた。


「クロード様まだお時間があれば、これからデートしませんか?」


 リリアンの言葉にクロードは目を見張る。当然空けているし、寧ろ自分から誘うつもりだったのに。


「あの、無理でしたら……」

「いいや!無理じゃない!」


 前のめりで否定してしまったのが恥ずかしいクロードはごほんっと咳払いをして、仕切り直す。


「今日は夜まで休暇を取ってきたから問題ない。だから君が望むならいくらでも」

「じゃあすぐに行きましょう!行きたいところが沢山あるんですっ!」


 クロードから贈られたリボンを揺らして、リリアンは自分より大きな手を引っ張る。ベッドで安静にしている間、行きたいところを沢山考えていたのだ。一分一秒が惜しかった。


「ここです!」


 腕を引っ張られて連れて行かれたのは、高台から降りてすぐの街だった。どこか特別な場所へ行くのかと思いきや、いつでも来られる……というより既に何度も来ている場所でクロードは拍子抜けしてしまう。


「本当にこんな所でいいのか?」

「それは、クロード様はつまんないってことですかっ」


 一通り街を見て回った後。普段のデートと変わり映えしないカフェでコーヒーを飲みながら呟くクロードを、リリアンはじとりと睨みつけた。


「い、いやそんなことは決してない!ただ、君から望むのは初めてだったから、どこか他に行きたいところでもあるのかと思って」


 確かにいつもデートを誘うのはクロードからで、リリアンは連絡を待ってばかりいた。場所だって特段気にしたことはなかった。


「ここでじゃなく、ここがいいんです」


 リリアンは気が付いた。行きたいところをリストアップした時、行ったことのある場所ばかりあげてしまった理由を。


 多分それは、クロードと過ごした時間が楽しかったからだった。だから無意識のうちに似たような場所ばかり選んでしまったのだ。


「クロード様、そろそろ行きましょうか」


 窓から夕日が差し込み、顔を照らす。

 名残惜しかったけどリリアンは立ち上がった。

 話したいことは沢山あるのに、街からタウンハウスまでの間に流れる景色を、リリアンは無言のまま見つめていた。


「今日はありがとうございました」

「いいや、大したことじゃない。今日行けなかった場所には次に行こう。いくらでも時間を作るから。だから――」


「クロード様」


 次の約束を口にするクロードをリリアンは止める。まだ何も言っていないのに、もう全部分かっているようだった。


「……聞きたくない」

「ごめんなさい。私は、」

「聞きたくない!」


 クロードは手のひらで顔を覆い、顔を歪める。それでも真っ直ぐ見据えるリリアンに「はっ……」と息を吐いた。


「言わなくても分かるさ。君は分かりやすいから」

「……」

「俺の何が悪かった?君を守れなかったからか?」

「いいえ」

「ならユリウスを忘れられなかったからとでも言う気か?」

「いいえ、それも違います」

「ならどうして!……どうして、別れようと言うんだ……」


 クロードの悲痛な声にぎゅっと唇を噛み締めた。リリアンだって別れたいわけじゃない。この気持ちを隠しながら側にいることだって考えた。

 でもリリアンは嘘が得意じゃないから。きっといつかバレてしまう。嘘をついて軽蔑されるくらいなら、綺麗に終わらせたかった。


「……すきに、なってしまいました」

「は?」

「貴方のことを、好きになってしまいました」


 リリアンの告白に、クロードは口を開けてぽかんと呆ける。それもそうだ。自分を好きにならないと思って選んだ相手が告白をしてきたのだから。


「そういうことですので、恋人は解消してください。今までありがとうございました」


 責められるのが怖くてリリアンは背を向けた。エントランス前の階段を上がったところで腕を引っ張られ、重心が傾く。突然の浮遊感に心臓がバクバクした。


「――側に居られるなら、理由なんてなんでも良かったんだ」


 文句を言いたかったリリアンだけど、抱き締められながら呟かれた声に口を閉じた。


「君が好きだ」


 真っ直ぐ伝えられた言葉に、唇が震える。


「うそ……」

「こんな嘘つくわけないだろう。……だから終わりにしようなんて言わないでくれ」


 クロードはリリアンの目尻に浮かぶ涙を指先で拭いながら、あの時言えなかった言葉を口にする。


「君が好きだ。俺の恋人になってほしい。今度は偽物じゃなく、本当の恋人に」

「……っ、はい」


 夢みたいな一瞬に、クロードはリリアンを見つめる。「あの、本当に私が好きなんですか?」と未だに疑う彼女に目を細めた。



「いつも君のことばかり見ていたよ」



 そしてこの先も変わることはないだろう。

 遠回りした二人の恋は、今ようやく始まりを迎えた。



《完結》



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