さる老人は夢もなく目的もなくただ才能に恵まれながら生まれ落ち死に行く無意味な人生也

羊狩り

第1話 悔い無く生きた末路

 アーダム・アヒム・アッヘンバッハは、これから死のうとしていた。

 と言っても、老衰であるが。

 彼はこれまで悔いなく生きてきたつもりだ。

 生まれた時から才能に恵まれ、孤児院では群を抜いて魔法の才能があったし、大人になってからも邪魔する人間は完膚無きまでに叩きのめしてきた。

 彼には家族も友人と呼べる存在もいなかったが、それでも困ることはなく、何不自由なく暮らしてからこの世を去るのである。

 さて、そんなアーダムであるが、自身の死に場所を崖の上と決めていた。

 下からは海のさざ波が聞こえ、上には突き抜けた空がある。

 アーダムはこの場所を、とても開放的な場所だと思っていた。

「よいしょ…。」

 老齢故に、いちいち声を出さないと動くこともできない。

 これが歳を取った弱みというところだろうか。

 アーダムは魔法を使って作った、自分で装飾まで施した、デザイン性の高い棺の中に片足を突っ込む。

(やれやれ…。やっとこの世から去れる…。)

 思えばアーダムにとって、人生とはとても長いものだった。

 彼にとって人生とは、

 アーダムは棺の中で横たわり、胸の前で両手を組む。

 最後に、天色の青空を暫く眺めてから、魔法で棺の蓋を閉じた。


 ーーー………。

 ーー……。

 ー…。


 どれほどの時が経っただろうか。

 アーダムは、見知らぬ浜辺の上で目が覚めた。

(ここは…。)

 見たことのある青空が目の前にあった。

 とても高い位置で、一羽の鳥が空を横切っている。

(痛くはなかった…けれど、またか…。)

 アーダムは、折角自身にとって良い形で死ねそうだったのに、と悔しい思いでいたが、これまでの経験上、このままゴネていても仕方のないことだとも知っていた。

 アーダムはゆっくりと起き上がると、自分の身体を仕切りに触り始める。

 何か、違和感を覚えたのだ。

 アーダムは自分の身体がことに、身体を触りながら気付く。

(まさか…。)

 そんな都合の良いことなどあってもいいものだろうか。

 昔から不老長寿の薬の研究は続けられてきたが、特に興味を示さず、そのことに対して何もしてこなかったアーダムが若返ってもいいのだろうか。

 だが、アーダムは喜びを抑えられない。

 人間とは不思議なものである。

 事態がどうしようもなく諦めなければならない時はそれを受け入れられるのに、いざ目の前に機会チャンスが転がってくると、嫌々の振りをしながらもそれを受け入れてしまうのだ。

 アーダムとしても、不老長寿の薬を作るのは不可能だと心の中で断じていたから何にも取り組まなかっただけで、それが欲しくないという訳ではなかった。

(やはり、“これまで努力してきた人間”には、それ相応の対価があるということか。)

 などとアーダムにとって都合の良いことを考えながら、ふと目の前に手を翳してみる。

 そこには、棺の中で横たわっていたアーダムとは全く異なる、幼く小さな手の平があった。

 そこで、先程とは別の違和感に気付く。

(これは…。)

 と、その時後ろから声が聞こえてきた。

「カイン!!!」

 あまりの声の大きさに、アーダムは思わず振り向く。すると、そこには一組の男女の姿があった。

 声を上げたのは恐らく男性の方で、アーダムが振り向いた時には二人して静止していた癖に、目が合うと突然その男性が走ってきた。

(な、何だ…!?)

 アーダムは潜在的に恐怖を覚える。

 これまで目の前に迫り来る男の様な人間とは何度も対峙してきたが、ここまで恐怖を感じたことはなかった。

 何がアーダムの心境をそこまで変えたのだろうか。

 男性はアーダムの目の前まで来ると、直ぐにアーダムをキツく抱きしめた。

「!?」

 アーダムは何が起こっているか分からずその場に硬直してしまった。

「お前…お前どこ言ってたんだよぉ…。俺達を置いて行くんじゃねぇ…。」

 訳の分からないことを言われ、アーダムはとりあえずこの男から離れようと思った。

 それなのに、

(やはりか…。)

 アーダムはその時、何かを察した。

 だが、誰もアーダムがゆっくり考える時間を与えてくれない。

「もう、どこにも行くんじゃねぇぞぉ…。」

 などと、男は涙と鼻水を垂らしながら言ってくる。

 後ろから追いついた女も、その様子をただ黙って見つめながら泣いているだけだ。

 アーダムだけがその場の空気についていけない。

(誰かこの状況を説明してくれ…。)

 今アーダムが願ったのは、ただその一点である。


 なんやかんやで、アーダムは男女の家に連れて来られた。

 本当に、アーダムには何が起こったのか分からない。

 ただ気が付けば、男はまた突然泣き止み(この男はいつも突然である)、アーダムを軽々と抱えたかと思うと、

「こんなとこでずっと座らせてちゃ可哀想だ。まずはウチに連れて行こう!」

 などと言ってアーダムを連れて行ってしまったのだ。

 女は何も言わずただついてくるだけだった。

(なんてことだ…。)

 これではまるで誘拐ではないか。

 アーダムは、今自分の身に起こったことが信じられず、かつ状況も把握できず、ただされるがままに連れて来られたのである。


 そして現在。

 アーダムが連れて来られた家には、野次馬が沢山来ていた。

 皆男と女を囲み、「良かったな!」とか「今まで大変だったな!」だとか言っている。

(何が大変なのだろうか。)

 何も分からずこの場に居させられている自分こそが大変なのではないだろうか、とアーダムは思っている。だが、それは言わない。

「ありがとう…。ありがとうみんな…。俺、もう絶対見つからないと思ってて…。」

 大の大人が泣きながら周囲に感謝している。

 アーダムはただベッドに寝かせられながら、その光景をじっと見ていた。

「さ、みんな!このままじゃカイン君が可哀想だ!暫くそっとしといてやろう!」

 と集団の一人が言い、勝手に来た癖に勝手に解散していった。

(なんだったんだ…。)

 アーダムは目が覚めてから、訳が分からない事ばかりで混乱していた。

「カイン。」

 横から優しい声が聞こえてきたので振り向くと、浜辺で会った女がカインの横に座っていた。

「今はあまり食欲がないだろうけど、これはお食べ。」

 と言って、匙で粥を掬ってアーダムの口元に持って来た。

「……。」

 アーダムは、初めて会った人間が食べ物を与えてこようとしてくることに、困惑と疑いの気持ちが芽生える。

(気持ち悪い…。)

「いらないです。」

「え?」

「というか、貴方達は誰なんですか?」

 ずっと置いてけぼりを食らっていたアーダムは、少し苛ついていた。

「僕は貴方達のことなんて知らないのですが、どこかで接点でもあったのでしょうか?」

 アーダムはニコッと笑う。

 嫌味を込めて。

「……ッ」

 女は口に手を当てて驚いた様な表情をする。

 きっと余程ショックだったのだろう。

(コイツ等に世話をされずとも、私は一人でなんとかできる。)

 これまでも、アーダムは才能だけで世の中を渡ってこれたのだから。

 そこに社交性など一切必要なかった。

「……大変、あなた…ッ!」

「どうした!?」

「カインが、記憶喪失になっちゃったみたいなの!!」

(そう来たか。)

 アーダムは呆れた。

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さる老人は夢もなく目的もなくただ才能に恵まれながら生まれ落ち死に行く無意味な人生也 羊狩り @liar_shepherd

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