第23話 「ねぇ貴方」
曰く。ムカデは確かにこの街を狩場としているようだ。そして同時に、今まさに狩りの真っ最中であると。
娼館立ち並ぶ色通りに、正体不明の美女の情報が最近浮上し始めている。語る者は様々で、情報も不確か。
やれ鈴蘭のような可憐な女がいただの、やれ月下美人のような儚げな女がいただの、やれ百合のように力強い女がいただの、やれ薔薇のように華やかな女がいただの。
彼女は本当の自分の情報を決して残さない。いつも彼女が狩場に残すのはハンティングトロフィーのように、男を落とす為に演じた架空の女の情報。それらが一つに結び付き、全てがムカデの犯行だと知れたのもつい最近のことなのだ。
冒険無くして前進は無し。そうしてフォニーは、色通りに訪れた。
「お盛んですねぇえ」
コートの襟元を鼻先が覆える程の高さまで持ち上げる。
店先で、この季節のこの街にしては露出が多い女たちが歩く男を誘っている。殆どがそれを断り、だが一部は女の腰に手を回し店に入って行くようだ。通りを歩く者の中には、娼婦を連れ歩いている裕福そうな男もいる。
漂う香りは香水のもの。しかし、ただの香水の匂いではない。それぞれの女が身に振りまいた様々な香水が、入り交じり一つになったものだ。独特な不快感を抱かせるそれは、フォニーでも鼻を摘まむ他無かった。慣れている者なら平気なのだろうか。
さて、ここからどうムカデを探すか。
荒野を逃げる賞金首であれば楽だったものを、と内心後悔しつつも、この街まで来てしまったからには引き返せない。借りた馬代も飼料食料代も決して少なくはないのだ。
後の時代で言う、コンコルドの誤りである。
「お兄さん一人ぃ? 良かったら私と遊んでかない?」
ふと掛かる声に我に返る。
早速誘われた。見せつけるようなアクセサリーを見て、裕福な人物だと踏み声を掛けたのだろう。ここに薔薇が入れば、「あら、無駄に顔がいいのも困ったものね」と嫌味っぽく告げるに違いない。
林檎のような鮮やかな紅に、キャラメル色の髪色。絵に描いたような春売りの女が、フォニーの手を取り絡み付いている。
今女に用は無い。断ろうかと言葉を発そうとした時、ふと思考が巡る。
元々はそこらの男にでも話を訊こうとしていたが、色街で最も情報通といえば、やはりここらで働く張本人だろう。普通に遊ぶ訳にはいかないが、彼女と話す価値はある。
抱き着くように絡み付き、上目遣いでフォニーに熱い視線を送る女をやんわりと引き剝がし、彼女の手に何枚かの硬貨を握らせる。
「少し、情報をお聞きしてもぉ?」
「あら、お兄さん太っ腹! なんでも聞いて!」
「ありがとうございますぅ。最近この辺でぇ、新参者の美女が居るっという話を小耳に挟みましてねぇえ。その方がどぉのような女性なのかっ、何かご存じではありませんかぁ?」
先程までお金を握りしめ、嬉しそうな表情だった娼婦も、フォニーの質問を全て聞き終える頃には暗い表情をしていた。
どうやらムカデは、彼女等にとっても厄介な存在らしい。
「あぁ、アイツね。……お兄さんもアイツ目当て?」
「……そうでないとは言い切れませんねぇえ」
「じゃあやめといた方がいいよ」
フォニーの「と言いますとぉお?」の言葉に女は続ける。
曰く、この女は公娼。国に認められ確かな営業許可がある娼婦だ。店が管理し、しっかりと病の対策等もしている。対して例のムカデは私娼。公娼のその逆、個人が勝手に春を売るタイプの娼婦だ。
一般的に私娼は公娼と比べると、仲介する店の取り分が無い分安価にはなるが病の温床。男絡みのトラブルもよく聞く話である。
そんな私娼が街の外からやって来た挙句、噂に羽が生えたかと紛う程に広まる美貌で客を取っているのだ。彼女のような、正規の手順を踏んでいる公娼からすれば、鬱陶しいことこの上無いだろう。
公娼の彼女がやめろと言うのも当然のこと。毛嫌いしている上で忠告してくれているのを考えると、むしろ優しい方だろう。
「まぁ、私はちょっと訳アリでしてねぇえ。遊びたい訳ではないんですよぉお」
「……」
女の視線が、腰元のファルシオンを舐めた。
剣よりも射程が長く、強力な銃が広く普及している時代にわざわざ帯剣するような者など、賞金稼ぎのような変人以外おるまい。
「……アイツに会いたいって人はいつも、通りの南の方に行くの」
皆まで言われずとも分かる。通りの南のどこかに、彼女と逢引できる場所があるということだろう。
女に礼を告げると同時にチップを弾み、フォニーは再び通りを歩く。
そうして、七人余りの女に声を掛けられ、チップを弾み情報を得てを繰り返し。漂う空気が変わったことを機にその脚を止めた。
漂う香水の匂いは更に甘さを増している。嗅ぎ続けていると気持ちが悪くなる程だ。まるで、食虫植物が虫を誘き寄せるために用いる粘液のよう。
立ち並ぶ店の構えも明らかに質が悪い。剥がれた塗装、汚れたガラス。外装に金が使われていないのが一目で分かる。
同時に、幾つもの視線を感じる。
気付かれぬようにそれを辿ってみれば、その多くは娼婦のような恰好をした女ばかり。その眼は、まるで狙いを定める肉食獣だ。恐らくは、彼女らが私娼なのだろう。
辺りを見回し、その風景に納得する。
日の光が当たらないこの場所の適度な湿気と、迷い込んでしまった物を知らぬ男という適度な獲物。確かにこの場所ならば、土の下に潜るムカデも動きやすいだろう。
入れる店を探す。人と情報が集まる場所といえば、やはり酒場だ。
戸の蝶番は錆付いている。開けると、軋む音が響いた。間髪空けず漂ってくる蒸留酒の香り。毒のような甘い匂い。先刻から、鼻腔は刺激を受けすぎている。
閑散とした人気のない店内だ。大衆酒場と言うよりは、バーに近いかもしれない。中には男が数人と、カウンターには女が一人。恰好はボディラインが出るものだがフードを被っている。少し風貌が違うが、この女も私娼なのだろうか。
色通りの中央付近の活気と比べると、不気味なほど静かだ。これでは、「ある女を殺したいので居場所を教えて下さい」と訊き回るには少し難しいか。
冷やかしと思われるのも申し訳無いので、カウンターに腰を落とし適当な酒を頼む。注がれた琥珀色の酒を一口唇を濡らすように含み、あまりの度数の強さに軽く舌を出しながらグラスを机に戻した。
さて、これよりどうするか。
この辺りにムカデがいる。という情報はあるものの、その容姿や声質、背格好などの致命的な情報は無いに等しい。ここから先の情報に関しては、自力で見つけ出す必要があるだろう。
あぁ本当に、追いかけるだけの仕事だったら楽だったのに。と、心の中で溜息を吐いた矢先だった。
「ねぇ、貴方」
カウンターに座っていた女が、何時の間にやら隣に座っていた。
アルコールと、果実のような甘い匂いを着た鈴を転がしたような声。生温かい吐息の温度と――――……。
「贋作フォニーでしょう」
正体を言い当てる言葉。
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