第17話 ベイオフ・ローザント

 ハンドサインは「前進」。二人は見張りを避けながら城塞内を進んでいく。

 ひと昔前のものなのだろう。海賊如きが綺麗に掃除をする訳もなく、城塞のあちこちには当時の遺品がカビを生やして残っていた。

 マスケット銃に、戦斧。縄は微生物による分解が進み、流用は賢い選択ではないだろう。恐らくこの銃も、内部は錆とカビに浸食されているに違いない。

 服や、遺体もある。単眼鏡片手に壁にもたれかかりくたばっているこの様は、まさに絵に描いたような海賊。恐らくは大航海時代の人間なのだろうが、こうして時代が進んで再び海賊が住み着こうとは、どうも因果の因果たる所以を薔薇は感じた気がした。


「ベイオフはどこにいると思う?」

「セぇオリーなら最上階っ。もぉおしくは、最もあぁん全な場所でしょうかっ」

「もういいわ黙って。アンタいちいち声がでかいのよ」

「おやっ! お酷いっ! およよよよ……」


 とはいえ、どちらの目的地も探すには時間がかかる。この作戦はなるべく時間を書けないことが前提だ。虱潰しに探すのは現実的ではない。

 そう思いながら城塞内を探索していると、二人は壁に穴が空いた部屋に辿り着いた。

 誰もいないが、誰かがいた痕跡はある。空いた酒瓶と酒樽。いくつかのテーブルの上に食べ残しのチーズと、ワインが乾いた汚いグラス。薔薇は穴の前に立ち、外の景色を見る。

 どこまでも広がる水平線。フォニーが携えていた方位磁針で確認すると、どうやら東側を向いているらしい。ここから見る朝日が昇る景色は、相当のものだろう。

 ここはさながら、朝日を待ちながら仲間たちと酒を飲む宴会場。という訳だ。今日は薔薇たちの御蔭で宴会は行われていないが。

 ただ、薔薇は壁の穴に目を付ける。覗き込めば険しい壁と打ち付ける波が潮騒を奏でている。何かを落とせば一直線で海へダイブだろう。


「好都合ね」

「何にです?」

「尋問。簡単に誰かひっ捕らえるわよ」


 そうして、見事な手際で城砦内の警備を攫うと、穴と向かい合うように膝立ちをさせる。

 後ろからはフォニーが拘束。そして前に立った薔薇がナイフを喉元に突き付ければ、真実を話してくれる便利な口の完成だ。なお、保身の為に嘘を吐いたと判断した者は、指を切り落とすとする。


「ベイオフはどこ?」

「……」


 ナイフの刃が閃き、鮮血が噴き出した。痛みに叫びを挙げようとする口をフォニーが強く押さえる。苦悶に喘ぐ呻き声だけが広がった。

 ころころと転がる指を薔薇は後ろに蹴り、穴の向こうへと転がす。そのまま海に落ちるかと思われた指は、壁の穴から落ちる寸での所で、どこからか嗅ぎ付けたか海鳥が持ち去って行った。

 斬られた指の痛み。そして自身の指が持ち去られる様を眺め、警備の表情が恐怖と苦悶に染まる。

 指を落とさせた張本人は素知らぬ顔で、ナイフを警備の服で拭う。


「無視は良くないわよ。ベイオフはどこ?」

「ふ、船だ……」

「船? 船ってどこ?」

「ここの地下に、海と繋がる洞窟がある。そこに俺たちは船を泊めてるんだ。は、話したぞっ! これで命だけ――――」


 刃が首を掻き切った。断末魔を残す暇も与えられず、男は力無くだらりと手が下りる。


「騒いだら殺すしかないじゃない」


 フォニーが全裸に剥いた死体を穴から海に棄てさせている間に、薔薇は見張りの服に袖を通す。

 薔薇の薔薇たる所以、変装である。警備の長いパンツの中にしっかりと脚らしきふくらみがあるのを見てか、興味深そうな視線でフォニーが見つめていた。


「……どぉうやって背伸ばしてるんですっ?」

「……」

「んあれ? 無視はよくないって先程ぉ」

「黙れ」


 立った姿は、まさに先程薔薇が殺した人物と同じ容姿だ。鏡からそのまま出て来たと言っても違和感が無い程に再現性が高い。


「行くわよ。……地下通路の行き方を聞けなかったのは痛いわね」

「おぉやおやお困りですかっ?」

「アンタもでしょ」

「わぁたしは、大体分かりますよ」


 薔薇がフォニーを白眼視する。

「こぉう造を見たところ、この城塞の持ち主はぁ相当敵を警戒されていたよぉうですねぇ。分かりますよぉわ、た、し、も、命大だぁい事にがモットーですのでっ」

「あっそ。じゃあよろしく」


 軽くあしらった薔薇だったが、数分後。二人して地下室の入り口に立ってしまえば、もうフォニーの感覚を認めざるを得なかった。


「認めるわ。アンタは変人で声が大きくて無駄に背が高くて悪趣味な格好してるけど、感覚だけは頼りになるみたいね」

「ずぅっと思ってたんですがっ、もしかしなくても私のこと、お嫌いですねぇ???」

「そうだけど? 何よ今更」


 大口を開ける石造りの螺旋階段。底の見えない不気味さと、暗闇に対する根源的な恐怖が混在している。

 石煉瓦の壁にあるシミは、かつての流血なのだろうか。自分の最期くらい、自分で決めたいものだ。冷たい壁をなぞりながら、薔薇は頭の中で一人独白した。

 それは、いつ死ぬかも分からぬ賞金稼ぎ特有の想いなのか。それとも、眼前で死を選択できなかった人を見て来たからなのか。


「マッチある?」

「えぇえ」


 階段の底はただただ暗かった。

 灯りの一つもない。その代わり、人間の気配も無かったわけだが。

 か細い灯りは仄かに光を放つ。床、壁、その他には何も無く、道幅も人二人分程しかない。どうやら、狭い通路のようだ。


「アンタ前行きなさいよ」

「ぜぇぇったいに嫌ですっ」


 このような暗い道では、灯りがよく目立つ。事前に待ち伏せをしているのだとすれば、真っ先に狙われるのは前を歩く薔薇だろう。一歩一歩を確実に。安全確認をしながら先へと進んでいく。

 しばらく歩いていると、マッチの火が微かに揺れた。

 歩きによる揺れではない。明らかに不自然に、火が何かに揺り動かされたのだ。それが風だと気付くまで数秒も要さない。

 恐る恐る進んでくと、大きな空間が二人を待ち構えていた。


「成程。天然の波止場って訳ね」


 月自体は見えないが、月光が反射して灯りには事欠かない。

 広大な空間の一部、沈み込んだ場所に海水が流れ込んでいる。その上には、確かに見張りの言う通り何隻もの船が泊っていた。

 陸地の部分は簡単な拠点になっているらしい。木で組まれた簡単な部屋と窓。灯りは付いていない事から、人はいないか寝ているのだろう。

 何十、何百もの年月をかけて浸食され、このような空洞が出来たのだろう。よく見れば、沖へ繋がっている方は入り組んでいるようだ。外からでは簡単に見つけられないだろう。

 まさに秘密の波止場。命を大事にしていたという元城主の抜け道としては、これ以上無い程に完璧だ。

 後は、ベイオフを探すだけ。しかしそれも、すぐに見つかることになる。


「まぁ、不意打ちとは行かないわよね」

「既に兵隊を送られてますからねぇえ」


 船に向かう進路に立ち塞がるようにして、並び立つ何人もの兵士。得物も、先刻の先鋒と同じような物。所属が同じであることに間違いはないだろう。ただ、一つ違うところがある。

 薔薇とフォニーが目を見合わせる。

 立ち姿、視線の追う先、武器の構え方。姿勢に眼光、鍛え上げられた肉体。どの要素を取っても、その全てが素人のそれではない。

 警告として三人を襲った連中とは格が違う。この連中と比べれば、先の者達は前座にもならないだろう。それが、ざっと数えただけで四十を超す大軍を成している。


「随分歓迎してくれるのね」


 それを率いる者こそ、三人が探し求めていた人間だ。

 白い顎髭は、長い間蓄え続けていたもの。それらはしっかりと毛先を切り揃えられ、彼の顔を飾る装飾として際立っている。

 眼光は鋭く冷たい。人情の無い眼だ。そして同時に、何かを成す者の眼でもある。鼻は高く、肌は健康的な小麦色。巨大な両手剣ツヴァイヘンダーを背負い、彼は大群の前で腕を組んでいた。


「初めまして、ベイオフ・ローザント。残念だけど、貴方を殺すわ」


 薔薇の言葉に、ベイオフはフッと笑みを零す。

 大勢の私兵が後ろの控えているからか、もしくは別の理由がるのか。その立ち姿からは、余裕が滲み出ていた。


「こちらこそ残念だ。まさか、俺を忘れているなんてね」

「……あら、どこかで会ったかしら」


 怪訝な表情を浮かべる薔薇に、ベイオフは含み笑いを張り付けながら続ける。その不気味な笑みは、まるで薔薇の反応を愉しんでいるようだ。


「悲しいな。どうやら本当に忘れ去られているようだ」

「残念だけど、私興味ある人しか覚えられないの。アンタみたいなクソ木偶に割く脳のリソースが勿体ないわ」

「ハッ……では、改めて自己紹介をしよう」


 ベイオフは深く頭を下げる。恭しいその動作には、しっかりとした名前が付いている。ボウ・アンド・スクレープと呼ばれるそれは、貴族社会で歴史のある伝統的な礼法だ。

 記憶が蘇る。大剣を背負う男と、記憶の奥底にあった軍服の男が、彼女の中でまるでパズルのピースのように嵌った。

 薔薇が静かに目を見張る。


「アンタはッ……!」

「俺の名はベイオフ・ローザント。お目に掛かれて光栄です、メイアン殿下」


 彼女の顔から血の気が引いていく様を、ベイオフは心底面白そうに見つめていた。その名は今日までずっと薔薇と呼ばれる少女が秘匿し続けて来た、本当のなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る