小生も漫研の同人誌に、寄稿したりしていた。
大学時代は、ガチな体育会系部にも、ナンパなシースポ・テニサーにも所属していた。
他人の三倍は大学時代を確認した。
「そう確認作業だった」
当時から、漫画もオリジナルしか書けなかった。
背景は記号だと思い、漫画雑誌から切り抜いた。
周りからは白い目で見られたし、明らかに著作権法違反だ。
しかしもはや時効であろう。
そして、作画も似たような手法が当たり前の様の使われている。
しかし何を得て何を行って来ても、無冠のままだ。
それは明らかに、筆者の足元にも及ばない。
受賞者が胸を張れずして、私が張れるのはささやかな虚勢でしか無いのだ。
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信大変遅くなりまして申し訳ございませんでした……。
私は逆にオリジナルが書けなかったですね。二次創作書きだった当時は「完成度高い既存作のあのキャラやこのキャラたちほどに、自分で作ったキャラを愛せるわけがない」と考えていたように思います。
その後、主人公に自分で個性付けをするタイプのゲームで二次創作をするようになって、ようやく自分の創作人物に思い入れられるようになった感じです。
コンテストや公募で賞をいただけるかどうかは、多分に運の要素も絡むように思います。幸い私は何度も僥倖に恵まれていますが、賞の規定に沿わないものの中にも、独自の輝きを持つものはあるはずで。
一次創作小説の世界、完全に自由であるはずなのに、どうにも価値基準が不自由だなあと感じることは多々あります。
編集済
大切なことは、小説からは何も教わらなかったへの応援コメント
時代は残酷である。
当時本は世界を知るための唯一の手段だったので、とにかく本を読み漁り、真実を突き詰めていた。
小学生の頃には、資本主義社会の限界を知っていたし。
中学の頃には、民主主義が正しい政治手法では無く、ただマシなものだと知った。
高校の頃には知識を実践していたし、大学に入る頃には、自身の愚かさに失望した。
医学の分野も同様である。
かつて病気と認定できなかったものが、次々と認定され、処方箋が生み出されていく。
この世に、「完璧な円」が存在しないように。
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信大変遅くなりまして申し訳ございませんでした……。
> 当時本は世界を知るための唯一の手段だったので、とにかく本を読み漁り、真実を突き詰めていた。
これは、私もある意味でそんな感じだったかもしれません。
真実を突き詰める目的だったのかは、今となっては覚えていませんが。
ただ私は「いまここ」の世界に関心が薄かったので、歴史や自然科学にばかり詳しくなっていった覚えがあります。
今はインターネットが存在しますが、Webにあるものもまた真実とは言えない、本もまた真実とは言い切れない時代で、何に基づいてどう考えるかの判断はどんどん難しくなっていっているのかもしれません。
編集済
小生は、それこそ記憶が掠れているのだが、保育園が苦手だった。
たぶん、三年保育の二年目から通わされたからだろう。
何度も教室を脱走した。
自分の居場所では無いことを、本能が知らせたのだと思う。
そして記憶は薄れても、今に至るまで顔に残った古傷が証明するのだ。
中学に上がると、正義の味方であった。
かなりガチで危険な時代。
虐めを決して許さなかった。
周りを長ラン姿に取り囲まれても、一歩も怯まなかった。
最終的には、あの危険な連中が折れた。
多分相手のリーダーが優秀だったのだろう。
小生は唯の馬鹿に過ぎなかった。
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信大変遅くなりまして申し訳ございませんでした……。
子供の頃に放り込まれる「集団」について、自分の居場所でないと感じる人は多いのかもしれませんね。
当時は、自分だけが順応できていなくて、他の全員は集団の一部であるように感じていましたが、意外に「他の全員」もみな多かれ少なかれ、自分の居場所でない感を抱いていたのかもしれません、
編集済
たぶん小生は、こんな時に即答するための訓練を積んできたのだ。
「無意味な訓練」
記号は世の中に溢れている。
全ての記号を疑っている。
そして嗜好は、相対的評価されているものを自分の中で絶対評価に置き換えること。
そしてその形は究極の円だ。
しかしπが無理数である以上、完璧な円は存在しない。
この世界が、定説通り十二次元でも。
または更に高次の世界に於いても完璧な円は存在しない。
それ故、『究極の円』なのだ。
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信大変遅くなりまして申し訳ございませんでした……。
世界に完璧な円は存在しないのですが、「円に近似したもの」は俗世のそこらじゅうに多数存在するように思います。
ある意味で、それらに対して「それは本当に円なのだろうか」と自他のずれを感じるところから、すべては始まったのかもしれません。
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
自己分析もたまにはいいものだし、鏡なんてなくても困らない日があってもいいと思う。
どちらにしろ、ひいらぎさんの書く文章をもっと読みたくなりました。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
「鏡なんてなくても困らない日があってもいい」とのお言葉が何かぐっときました……文章を日々書いていると、どうしても映り込むんですよね自分の姿が。そこを深掘りするのが己の道のような気もしていましたが、たまには息抜きするのもありなのかもしれません。
そして、文章をもっと読みたくなったとのお言葉が非常に沁みます。本作、おそらくいちばん自分の素に近い形で書いてる文章なこともあり。
ここまで話を聞いてくださり、ありがとうございました!!
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
一気に読んでしまいました。
ひいらぎさんの想いが伝わってくるストレートな文章は胸に突き刺さります。
自分が何者か、かぁ。
輪郭は自分で形を変えていけるものかもしれませんし、いつのまにか思いもよらない形になっているかもしれません。
そう考えてみると、積み重ねたその先にどんな自分が見えてくるのかも興味深いですね(*^-^*)
心に残る素敵なエッセイでした!
作者からの返信
コメントありがとうございます!
今回の文章はほんとストレートに素で書いたと思います。脳直で書くとこんな感じのかなり固い文章になります、自分。
ほんと自分って自分ではなかなかわからないものですが、中身を積み上げていけるのは自分だけですし、その結果として変わっていく自分を見るのも楽しいですね。
そろそろ半世紀生きてますが、さだまった形(ある意味では「限界」かもしれません)は、まだ見える気がしません。
素敵とのお言葉に感謝です。
あらためまして読了ありがとうございました!!
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
「ブレード・カシナート」は「クイジナートのフードプロセッサー」の発展形などでは、断じて無い!
……というのが一読者として伝えたいことの全てです。
幼少期から触れてきた物語が、あなたの救いとはならなかったとして。
刊行され目に触れた物語が「世間に認められた証」であることで、あなたを傷つけたのならば、それはプロペラ型の長剣を受け入れる苦痛と同じです。
あなたはあなたの造り上げた物語で、受賞の栄誉を得て「世間に認められた証」を立てることに至りました。剣匠カシナートの美麗な意匠の長剣を完成させたのです。
あなたを救えなかった物語の群れに、あなた自身であなたを救える物語を加えることが、もしかしたら良かったのか、あるいは悪かったのかも知れませんが、こんな長文を残すほどには私の心を動かせて貰いました。
締めの決まらない駄文で恐縮なので、冒頭の宣言をもってお礼に代えさせていただきます。
作者からの返信
たいへん真剣で熱いコメントをありがとうございます。
行間からお気持ちが立ち上ってくるように思います。
ブレード・カシナート問題、確かにありましたね……
私もあまりうまく言えないのですが、「物語のかたち」というものは千差万別であり、己を傷つけるものを受け入れる必要はない……ということかと理解しました。
そして、私の書いたものを「剣匠カシナートの美麗な意匠の長剣」に例えてくださりありがとうございます。自分の作った「不確定名:けん」が何物なのか自分ではわからなくて、外に投げかけては鑑定してもらっている日々ですが(一発鑑定してくれるビショップがいればいいんですけども)、美しい見事な剣を作れているならいいな、と思います。
いつの日か、ムラマサブレード作りたいですねえ(笑)
あらためまして、真摯なコメントをありがとうございました!!
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
こちらが血を吐きそうな壮絶なエッセイでした。思わず息を止めて読み込んでしまいました。
私はコンプレックスの塊ですがここまで自分を見つめたことはありません。自分と向き合う、と言いながら鏡を見るのも苦手です。
共感できますとは容易く言えないほどの深い考察に圧倒されました。飾り気のない言葉に真実を見ました。なんというか、ただ、読ませていただきありがとうございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信が大変遅くなってしまい申し訳ございませんでした……
たいへん真摯で熱のこもったコメントをありがとうございました。
自分の場合、おそらく本質的な関心領域が「自分」に大きく偏っているのだろうな、という気はしています。話を書いて、そこに思いがけず表れた「自分」を見つけて、これはなんだろうと考えて……といった作業が好きなんだと思います。自分について考えるのが(時に相当苦しくもありますが)楽しいんだと思います。
関心領域はひとによってまったく違うので、他者との関わりで真実に至る方々も多いのだろうな、と思っています。
「読ませていただきありがとうございます」のお言葉が本当に嬉しいです。
本文中にも書いたとおり、私は私の話を聞いてくださる方が好きです。
たいへんに真剣に話を聞いてくださり、こちらこそありがとうございました。
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
自分の棚卸しか。
ちょっとやってみたいな、と思いました。
ありがとうございます!
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信が大変遅くなってしまい申し訳ございませんでした……
自分の棚卸し、楽しいですよ!
苦しい時もたまによくありますが、キツさの先に「自分のこの思考、たぶんここからきてるな!?」と気付いた瞬間の快感(らしきもの)は、何物にも代えがたいものがあります。
たぶん自分が「小説」って言葉を忌避してるのに近いんだろうなーと思いました(とはいえ避けると話が面倒くさくなるので、必要以上に避けたりはしない)
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信が大変遅くなってしまい申し訳ございませんでした……
そういえば波間さんが「小説」の言葉を使ってるのってあまり見ないかもしれませんね、確かに。
私はほぼほぼ「作品」は使わないですが、サイトの用語としての「作品ページ」とかは他用語で代替不可なので、そういう時だけはしかたなく使ってる感じです。
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
共感できる部分がとても多かったです。こんな風にストレートに文章化する技術、とてもすごいと思います。エッセイとして書くこと、お辛かったと思います。自分も去年やってみて、とても辛かったので。でも書かずにいられないんですよね。そして反応が怖いと思いつつ公開せずにはいられない。何なのでしょうね。自分は何者なのか、楽しみながらなぞ解きをしていく姿勢を見習いたいです。読ませていただきありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信が大変遅くなってしまい申し訳ございませんでした……
共感をお知らせいただき大変感謝しております。やはりこの場は「物語を愛する人」が多数だと思うので、なかなか理解される感覚ではないのだろうな、と思いながら公開したこともあり、共感をいただけたのにはとてもほっとします。
書かずにはいられない&後悔せずにはいられない気持ち、確かにあります。繭にくるまっている身としては大きな謎ではあるんですが、自分に問いかけながら自分の気持ちを探るうちに「ひょっとしてこういうこと?」と気付きを得るのは楽しいんですよね。その瞬間を夢見つつ、今後も探索は続けていきたいと思っています。
あらためまして、コメントありがとうございました!!
編集済
自分もたまに考えます。よくわからない自分、矛盾だらけの自分、なんのために書くのだろう。まだまだぺーぺーだし、賞をとったこともありませんが。謹んでお付き合いさせていただきたく思います。
作者からの返信
お越しくださりありがとうございます。
今回、自分の中の暗い部分を制御もせずに叩きつけた感がありまして、人によってはついてこられない感じを受けることもあるようです。そして書いてる私自身がとても辛かったです……
色々な意味で無加工の想念が剥き出しになってる感じですが、もし平気そうでしたらお付き合いいただければとても幸いです。
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
「自分」が何者なのか。
それは永遠のテーマなんでしょうね。
難しいところです。
我が身を振り返りました。
ではではノシ
作者からの返信
コメントありがとうございます。
近況ノートでのたうち回っておりましたが、本作、本当に書いてて辛いものがありました……過去の古傷全開感がありまして。
が、紆余曲折ありつつも現在はある程度安定しているので……少しずつ、これからも自分を探っていきたいなあとは思っております。
自分が何を考えているのか、何者なのか、本当にわからないへの応援コメント
ここまで読んで、応援コメントに呟いて、改めて考えざるを得ないのだ。
果たして『しょうたいふめいのそんざい』とは、小生のことでは有るまいか?
作者からの返信
コメントありがとうございます。返信大変遅くなりまして申し訳ございませんでした……。
おそらくですが、自分で自分のことをきちんと知っているという人は、世の中にほとんどいないのではと思います。
創作界隈に身を置いていると特に強く思いますね……自分の目的、自分ができることできないこと、自分の武器と弱点、などなどを、すっかり理解していそうな人はほぼ見かけません。
外部の基準に振り回されている方は多々見かけますが。
孫子は「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」と書きましたが、あれの前段って「敵も己も知らなければ百戦しても全敗する、敵を知らず己を知っていれば五分五分」みたいな内容なんですよね……逆に言えば、己さえきちんと知っていれば五分には持ち込める。
それほど己を知るのは難しく、そして重要なのだと思っています。
誰にとっても、最大の「しょうたいふめいのそんざい」は自分自身なのかもしれません。