フンコロガシの夜、探偵は二度死ぬ

筆折作家No.8

第1話 起scene1

「『スカラベ』? 伊乃木いのぎさんの恋人の仇っていう?」


 夏も過ぎたある日の朝。

 タバコをふかしながら無造作ヘアーをボリボリとかく細身の男性に、私は声をかける。


 窓辺のブラインドカーテンを指で曲げながら外を眺めている彼の名は伊乃木トオル。

 私が務める探偵事務所の所長で、年齢は聞いてないけどたぶん三十前半。

 常時ひどく疲れていて、下の瞼には大きなクマ、酷くやつれたその顔は、お世辞にも健康的とは言いがたい。

 まあ、昔はかっこよかったのかもって感じ。


 彼は言った。


「ああ。この十年追っていた、猟奇殺人者だ」


 鋭い目つきを向けられて、私はどきりとする。

 まるで、身内である私のことまで疑っているのではないかと思えるその視線に。


「伊乃木さんの恋人って最初の被害者なんですよね」

「ああ。宍戸ししど未來みらい。君とは同姓同名だったな」


 半年前まで高校に通っていた私が伊乃木さんに見初められたのは、この名前がきっかけだった。

 引越し業者のアルバイト中に仲間から名前を呼ばれた時、偶然その場に伊乃木さんが居合わせていたのだ。

 彼はきっと運命を感じたんだろう。

 驚いて、まんまるな目をしていたっけ。


 しかも、私と未來さんは背格好まで似ているらしい。

 小柄で引き締まった身体つき。

 大きくぱっちりした目もそっくりのようだ。


 ただし、ダークブラウンで長髪だった彼女と違い、私は黒髪のショートボブ。

 話を聞く限り性格も違う。

 私はどちらかといえばお調子者なのだ。


「いやだー、伊乃木さんってば私に彼女の面影とか感じちゃってますー?」


 からかう私に、彼は大きなため息。


「俺が君を見出したのは名前だけじゃない。その身体能力が役に立ちそうだったからだ」

「どーせ私は筋力バカですよー」


 ちなみにバイトの時は冷蔵庫を一人で担いでいた。


「見た目は可愛い系なのにな」

「またそーいうこと言う。褒めても何も出ませんぜ?」


 能力か見た目か、どちらを買われたのかは知らないけど、私は出会ったその場で伊乃木さんから熱い勧誘を受けた。

 私は提示された給与に目がくらみ……もとい私自身の目的もあって、卒業後、この事務所に就職したというわけだ。


 就職から半年。

 私の常人離れした身体能力は伊乃木さんに良いように使われている。

 脱走猫の捕獲だとか、ひったくり犯の捕物だとか、樹海の奥まで人を探しに行ったりだとか……って今思うとこれらは探偵事務所の仕事として正解なのかな。


「それはそうと、『スカラベ』がどうかしたんです?」


 私の問いに、伊乃木さんは不敵な笑みを浮かべた。


「ヤツの手がかりが掴めそうなんだ。今日はこれから実地調査に行こうと思ってな」

「じゃあいよいよ『スカラベ』相手に私の超パワーを使うつもりですねー? 良いですよー、どんな大男でも捕まえてみせます!」


 私は意気揚々としてファイティングポーズを作って見せるのだが、途端に伊乃木さんは私に険しい目を向けた。

 あれ、私何かまずいことでも言ったかなぁ。


「確かに宍戸君との格闘戦に勝てる人間はそういないだろうがな。だが、今はまだ調査の段階。身構えることもないだろう。それから……きっと、『スカラベ』は大男じゃない」

「どうしてわかるんです?」


 私の問いかけに、彼はふっと表情を柔らかにして、


「──しがない探偵の、ただの勘さ」


 小さく呟いた。


 私はこの人の、時折見せるこういう表情が好きだ。

 もういっそ、過去のしがらみなど忘れて健康的に生きてくれれば割と私好みのイケオジなのに。

 人生なんて肩の力を抜いていればいいのだ。


 ……なーんてね。

 彼が『スカラベ』を諦めるとなると、それはそれでヤツの正体にまとわりつく『私の目的』が達成できなくなってしまう。

 私のためにも伊乃木さんにはお疲れモードのままでいてもらわないと。


「そうと決まれば早く調査に行きましょーよ! ねーってば!」


 私がワイシャツの袖を引っ張ると、彼は困ったように頬をかき、やれやれと肩をすくめた。


「君がここまで興味を持ってくれるとは頼もしい限りだよ」

「へっへー。私、知りたがりなんです」

「君のほうがよほど探偵に向いているかもな」

「そーですとも。私だってこの事務所に所属する探偵には違いないんですから!」


 胸を張る私の頭を、苦笑しながら伊乃木さんが小突く。

 車のキーを指で弄びながら玄関へ向かって歩く彼の背中を、私は浮かれた気分で追いかけた。

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