第7話
それは、入学式の次の日、部活の新入生体験に行く前だった。
「うちのクラスに羽崎さんって、話しかけにくくね? 」
「あー、わかる。なんか気まずくて、結局授業の時にしか話しかけたことないな、って学期末になるやつー」
「それ。まあ、生きてる世界ちがうよな。あ、そんなことより、明日からさぁゲームのイベント始まるじゃん」
「ほんとだ。徹夜の日々がまた始まるわ~」
「どうせお前、課金するんだろ? 」
――別に初めてではない。中学の時だって散々人から遠ざけられて、一人でいることが多かったから。
なのに、なのに今日は慣れない環境に疲弊していたみたいだ。ぞろぞろと部活を見に行く新入生の大きな流れに乗って階段を下りるのをやめた。教室は駄目だ、まだクラスの人たちが残っている。じゃあ、女子トイレは? ……きっと放課後の女子トイレには駄弁っていたり、部活の着替えをしたりしている人に会うだろう。丈が短いプリーツスカートと白い靴下が氾濫している世界にいたくない。どこか、ないか。
必死に居場所を探して、午前の教室案内の時に、中庭の上を通る廊下の先に教室があったことを思い出す。思いついた時にはもう、走り出していた。走る、はしる、ハシル。とにかく中庭の上の廊下を走った。リュックに入った教科書と大量のプリント類が重くて、走るたびに左右に、上下に揺れる。肩がいたい。息が苦しい。
必死に走ってたどり着いた「避難場所」には、学ランを着た人間がわたしの姿を見て目を丸くしていた。うそじゃん、と小さい声で言ったような、気がする。気のせいかもしれない。わたしは耳が悪いから。
「はあっ、はあっ」
わたしは全速力とは言わずとも、必死に走ったせいで息があがって、下を向いた。横腹が痛い。体力がないのがたたった。その視界の先に濃い青の草履が入る。一個上の人なのか。同級生じゃなくてよかった。
「もしかして、入部希望の人ですか? 」
落ち着いた声でわたしは話しかけられる。
「ニュウブキボウ? 」
頭に酸素がうまく回っていないせいか、突然話しかけられたことに驚いたせいか、うまく漢字変換ができない。
「ここ、オカルト研究会っていう名前で活動やっているんですけど、興味あったりしますかね? いや、入部希望なわけないですよね」
「オカルト……オカルト、ですか……」
――そういえば、一年一組の隣にある廊下の掲示板で見た、ような?
「まあ、何かの縁だし、とりあえず教室に入りませんか? それから詳しいお話をしますね。あっ、もしいやだったら全然帰ってもらっちゃって大丈夫なんだけど」と、敬語を崩しながら、その人は挙動不審なわたしを教室に誘う。
わたしはオカルトに全然興味がない。魔法、呪術、怪奇現象といった怪しげなものを信じていない。しかし、いま欲しいのは避難場所――それもわたしを知っている、もしくはこれから知ることになるであろう同級生のいない場所。
「お話、聞いてみたいです。」と、とっさに嘘をついていた。
「好きじゃない、入りたくない、と思ったら気ィ遣わずにすぐ帰ってもらっていいから」と言いながら教室のドアを開けた。
教室の中には授業で使うような、実に様々なものが置いてあった。黒板に円を描くための巨大なコンパスや、カラメル色をした大きな三角定規、日に焼けて色褪せた地球儀や、月と地球と太陽が並ぶ天体模型。長い間使われていないのか、チョークの細かな粉が落ちて、くすんでいる。そのどれもが新鮮なものじゃないのに、薄暗いこの教室にあるとなんだか特別なものに見えた。
「どうぞ。」
椅子を引いてくれたから、「あっ、ありがとうございます。」とおずおずと座った。わたしが座り、リュックを机の横のフックに掛けると、「ええと、」と言ってその人はしゃべりだした。
「オカルト研究会について話す前に自己紹介からしますね。俺は「つばめさわ」といいます。漢字で書くと、鳥の「つばめ」に「たくさん」の「たく」の字で燕沢。
この部活を作ったのは去年の五月くらいで……、えっと、オカルトとは言ってるけど、人を呪うとか、傷つけるとか、そういう系のことはやってないので、安心してほしいです。活動は不定期なんで、来たいときに来る、みたいな感じで……、不思議なことが起こったとか、そういうことを話す、探すって感じの活動がメインで。と、まあ、そんなところかな」
「燕沢」と名乗ったその人は、難しいことを話すかのようにそう言った。情報量が多すぎてあんまり頭に入ってこない。
次は君の番ね。そんな目線に応える形で、
「あっ、わたしは「はざき」って言います。鳥の羽に崎…えっと山へんに奇妙の奇がつくりの字で、」
初対面の人と話すのに慣れていないせいで、うまく喋れている気がしない。自分でも何を言っているかわからない。
ええと、ちょっと待ってね。紙に書いていい?ピンと来ないから、と言って目の前にいる「燕沢」さんはリュックの中をごそごそしだした。
あんまりずっと見ているのもなんか間が悪いと思い、教室の中を見回す。……オカルト研究会なのに、オカルトっぽいもの――例えば、トカゲのしっぽとか、あやしげな分厚い書物とか、「こっくりさん」をする紙とかは何も置かれていない。人を呪うようなことはしない、というのは本当のことらしい。そして二周くらい教室を見渡しても、「燕沢」さんはごそごそしていた。
なかなか見つからないようだ。
見つからない?自分が教えるのが下手だから、この人は探しているんじゃないか。気が利かないとかのレベルじゃない。あわててクリアファイルから一枚の紙を取り出す。
あっ、あのっ、紙ならありますから大丈夫です、とキョドりながら見せたのは、入部届の紙だった。すでに部活を書く欄にはオカルト研究会、とシャーペンで書いている。
え。状況を把握できずにいる顔が目の前に。
「この研究会に入っちゃだめ、ですかね? 」
――この言い方、思い出しただけで気持ち悪い、と後に後悔することになる。ねこをかぶる、を通り越してる。度が過ぎた猫だ。
「え? うそ。いや、俺としては部員が増えて、すごくうれしいんだけどさ、ほんとにこんなところでいいの? 」
「こんなところって……。そんな言い方しなくても……」
「……」の先のいい表現がうまく見つけられずに、慣れた感じで紙に名前を書く。その人は紙を覗き込んで、
「ああ、なるほど。あんま意識したことなかったけど、確かに山に奇だ。奇って、奇妙の奇だし、まさにオカルト研究会って感じで最高にいいじゃん。……じゃあ、さっそくだけど呼び方決めていい? さて、どうやって呼んだものか……」
「ふつうに羽崎でいいですけど」
「それじゃだめなんだよ。仲良くなるのにはやっぱりあだ名は大事だから」
??? こんなわたしと仲良く? 意味が分からない。
そういえば、いつの間にか燕沢さんは、丁寧な話し方から砕けたしゃべり方になっている。
はざき、ざき、ザッキーとかどうかな?いい感じじゃない?うん、我ながらいい感じ、とぶつぶつ言っている。
まあ、何でもいいですけど。
そう言ったものの、「羽崎さん」と「さん」付けされていることに嫌な気持ちになった後だったから、すごく助かった。「あだ名」というものではじめて呼ばれた。なんだか落ち着かない。
わたしは「ザッキー」なのか。新しく生まれ落ちた生命、生まれ変わった「わたし」を作ってくれたみたいだ。わたしはあだ名で呼ばれたことがないだけじゃなくて、あだ名で呼んだこともないということに気づく。呼んでみようと思っても、いつも、あだ名で呼び始めるタイミングを逃している。呼んで、変な雰囲気になるのが怖いから。
クラスメイトを苗字で呼ぶのはなんだか余所余所しい。だからと言ってあだ名で呼ぶ勇気もコミュニケーション力もなく。最後に人の名前を呼んだのはいつだろう。十数年、人との距離うまく距離感をつかめずにいる。
わたしから見えるこの世界は、顕微鏡みたいだ。顕微鏡のピントも、明るさも合わず、ちゃんと観測できずにいるみたいな。確かにある教室という世界を、ぼんやりとしか見ることができない。耳の悪いわたしは声すらノイズが入ってうまく聞きとることができない。観測者であるわたしはスライドガラスの上にはのれない。
もしかすると、うまく見えないのは涙が浮かんでいるせいなのかもしれない。涙は視界を邪魔して、うまくみられないようにするから。見えづらい世界を必死に目を凝らして見ようとすればするほど、眉間に力が入ってこわい顔になっていく。
「……で、はざ……ザッキーは何て呼んでくれる? 」という言葉で現実に戻される。
「え、いや、わたしは……」
困惑。初めて会った人にどんなあだ名をつけたらいいのだろう。性格も、プロフィールもほとんど知らないのに。
今決めないと、呼びにくくなるよ、ほらほら、と急かされ、
「じゃあ、先輩、で」と答える。
「ええ~、面白くないなぁ。せめて名前要素欲しいんだけど。でも、まあいいや。オカ研に入ってくれたから特別ね」
まだ、そんなにこの人のことは知らないけれど、もしかしたら優しい人なのかもしれない。
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