第5話

 家に帰って、お風呂につかりながら、「同クラになったら~」のくだりを思いだしていた。その中で思ったのは、わたしが知っている先輩のこと、それはすごく限られているということ。

 先輩は十八歳。三年生。オカルトが好き。この研究会を作った人。春になるとくしゃみをよくするから多分花粉症。わたしより背が高くて、中肉中背。…このくらい。指で数えられるほどしか知らない。一年の差があることで、先輩について知る場面が圧倒的に少ない。必死に追いつこうとしたって決して追いつけない差がそこにはずっと横たわっている。

 しかも先輩は男子、わたしは女子、それもなんとなく「知りたい」という気持ちにストップをかける。まあ、親しい人のことを知っているようでいざ情報を並べ立てるとあんまり知らなかった、というのは意外によくあることだと思う(あくまでわたしの中で、ではあるけれど)。

 何が好きで何が嫌いか、どんな人生を送ってきたかなんて、本人が正直に言わなければ、わからない。そして推測することは、よっぽどその人が好きな場合や人間という生き物に興味がある場合を除き、ただの徒労として終わる。とりこし苦労と似ている。だから、人のことを無理に探ろうとはしない、そういうふうにできているのではないか。


 だから無神経な発言を、自分の話を聞いてほしいだけで成り立っている会話を、教室や学校、…いや、社会全体が行い、受け入れて肯定し、何の疑問も持たない。そんな感じで、だれもかれも、言葉をぼんやりと浮かべているような気がだんだんとしてくる。結局、噛み合わない会話、それは「自分の話をしたい」というドロドロした欲望から生まれているだけなんだ。会話、という名ばかりの自分の話は、すればするほど、エゴや誤解が毛糸玉みたいに絡まりあっていく。それを解こうと引っ張れば余計にかたくもつれて、ほどけなくなっていく。しょうがないのだ。周りをきちんと客観的に見ることなど出来やしないから。


――三年前から、それを感じ始めた。


「出席番号順に放課後、教育相談をします」


 教育相談は、進路や勉強、部活のことだけでなく、友人関係を探る場だった。みんな、どんな話をしているのだろうか。人によって時間はまちまちで、次の人を呼ぶときの表情も異なる。

 わたしの順番が来て、教室に入った。先生がぽつんと、教室の前側の席に座っている。四つの机がくっつけられていて、わたしは先生の斜向かいの席に座った。勉強も進路も先生はそこまで言うことがないだろうから、すぐ終わるだろうと高を括っていたわたしは、先生の怒ったような、深刻そうなかたい表情を見てぎょっとした。

「ええと、羽崎さん、ね。何か相談したいことはありますか」

「あ、えっと。…いえ、ありません。特に」


 わたしは先生に何とかしてほしいことなんて何もなかったので、そう答えた。教師や学校全体に諦めすら覚えていたのだ。

「羽崎さん、他の人とうまくやれてる? 」と向かい側の大人は訊いてくる。分かっているくせに。変に遠回しな言い方が気に食わず、

「はい、大丈夫です」とクリーンな感じに答え、小さな反抗を示す。

「あら、そう。もうちょっと、他の人と仲良くして。協調性を大切にしたいから」

 金属のように冷たく跳ね返ったその言葉に、笑っていないその目に、心を捻りつぶされて泣き出してしまいそうになる。蛍光灯が白く光る教室がいつもより広く見えた。

「あなたは周りがよく見えていますね」

 泣きそうな私を知ってか知らずか、先生はそう言った。褒められている感じではなく、何らかの含みを持った――面倒なことを押し付ける時の言い方だ。

 周りがよく「見えている」のではないのだ。疎外された場所から、必死に「見て」いただけで。周りを見て人に合わせることで、目立つのを避けていただけ。みんなと違うわたしは「まちがって」いて、欠陥がある、そう思っていたから……いや、今でもそう思っているけれど。

 目立とうとしていないのに、いつも普通に擬態することが下手で、飛び出して、「普通」という車にはねられる。みんなが当たり前にできていることがひどく難しくて、自分がつまらない人間で、無能、そう思っているんです。

 そんなことを先生に訴えようかと思ったが、先生の疲れ切ったぱさぱさの髪の毛を見て、やめた。

「もう、帰っていいですか? 」

 わたしは息苦しくてそう言った。先生はクラスに馴染めない人間と仲良くしてほしい、そんなことをわたしに頼んだ。面倒ごとを頼まれる前に帰ろうとしたのに結局、押し付けられて頭が痛くなる。

 わたしは一人でいることを貫いていた。というのも、中学校という小さなコミュニティの中ではちょっとでも仲良くなれば、いつの間にか罪を着せられ、加害者にされるからだ。そんな人たちを、たくさん見てきた。

 わたし、ただの便利な道具じゃん。教師の怠慢が生んだものの処理係じゃないんですけど。

「はい、分かりました」

 わたしは思ったことと反対の返事をした。

 わたしは好きなように生きる。今までと同じように。そう誓いをたてて。


 いま、わたしが死んだとしても、誰も悲しむことなく、自分の保身を考える人が生まれたり、下賤な話のネタになったりすること、それだけだろうな。なんとなく、中学生のわたしは、そんなことをずっと考えていたように思う。

 教育相談が苦手だった。どうして、苦しんでいる人間が、真面目に大人しくやっている人間が、割を食うようなことを簡単に言えるのか。人の傷口をさらに開いて、詳しく知ろうとするのか。どろり、と怒りが流れ出る。


 先生に仲良くするように言われたその子は、話しかけたって「うん」としか言わなかった。「男なの? 」と聞いたら女なのに「うん」と言いそうなくらい。

 修学旅行で出かけたときに、同室だった。無言でいるのも苦しくて、不登校になってしまった友だちのことを話すと、あの子、問題ばっかり起こしてたから、と答えた。わたしからすればあんたの方がよっぽど問題児だよ、と思った。「うん」以外の言葉を言ったことへの驚きよりも、その一言がすごく悔しかった。

 中学校の時は、四月が来ると、悪いのがわたしのように、毎年クラス替えで担任が変わった。たらいまわしにされているのだ、きっと。末端クラスの三組は、どうしようもない問題児ばかりで、自分が問題児扱いされていたのは明らかだった。先生は休憩時間までわたしが一人でいるところをずっと見て、監視していた。

 先生に監視されるようになってから、わたしはそれまで感じたことがないような息苦しさを覚えるようになった。先生がいくら監視したとしても、わたしは「普通」になれないのに。むしろ、それまで以上に疎外感の輪郭がはっきりした気がする。

 いつも思う。「普通」がいやなんて贅沢なはなしだ。違う物からして普通をどれだけ望んでいるのか、知らないのだ、と。ふつう、というほど難しいものはない。「みんな」というよく分からない単位で測られるそれは、どこにもマニュアルはなく、だれも教えてくれないから。

 流行りの音楽とか、番組とか、インフルエンサーのチェックとか、時間をかけていろんなことを記憶していく。自分にとっての「面白い」とか「かわいい」とか「かっこいい」とか、どこかへ置いたままにして。自我とか忘れてきちゃって。勉強より何倍も大事なものに見えているから。過不足のない答えを探すような会話をする。



 ……また、思い出してしまった。昔のことを思い出してばっかりだ。

 にんげんなんて、信じちゃだめなのよ、と、誰かが言っているのが遠くから聞こえた、気がした。

「うん。わかってる、ずっとわかっているから」

 わたしは決して後戻りできない同意書に判を押したような気がした。

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