第17話 過去2

 母の葬儀はすぐに執り行われた。

 しかしながら葬儀とは名ばかりで、ただ土葬されただけだ。参列者はバリーだけであり、あとは神父と母を埋める者が数人。

 王妃が亡くなったというのに、その死に慟哭したのはバリーだけだった。




 バリーは王宮内の廊下を走る。

 そして憎き仇の背中を認めると、大声で叫ぶ。


「どうして母上を守らなかったのですか!」


 不遜な態度を叩き付けられた竜人状態のルドルフが振り返る。

 すさまじい威圧感を受けるが、爆発した憎悪がそれを凌駕する。バリーの激憤は止まない。


「陛下が一言仰るだけで、母上はあんな扱いを受けることは無かった! 病に罹ることだって無かったかもしれない! 母上はあなたの妻でしょう! どうして葬儀に顔を出さなかったのです! 母上の死を悼む声明も出さなければ、追悼礼拝さえ無かった! どうしてですか!」


 バリーの瞳が憎しみ一色に染まる。

 対して、ルドルフは平然と述べる。


「妃など無数におる。貴様は日ごと葬式を開けとでも言うのか?」


 バリーはルドルフへ飛びかかった。

 しかし即座に蹴散らされる。腹に足がめり込み、床にくずおれる。

 バリーの血反吐が白亜の床を汚した。


「ぐう……っ! うううう……」


 息が苦しい。内臓が痛くて胃液が逆流しそうになる。それでもバリーは、ルドルフを睨み付けながら声を絞り出す。


「あんたは……。病床の母上に一度でも声をかけたことがあるのか……?」

「貴様は愚かだな、バリー。二度も言わねばならんのか? 妃など無数におるのだぞ。ある筈がなかろう」


 聞いた自分が間違っていた。バリーの瞳はルドルフを呪い殺さんばかりに歪む。


「あんただ……。あんたが俺のおかあさんを殺したんだ」

「逆恨みも甚だしいぞ。貴様の母は、貴様のような愚図を産んだから死んだのだ」

「……なんだって?」

「言われたのではないか? 貴様など産まなければよかったと」


 バリーは鼻白む。ルドルフは母のことを何も分かっていない。

 そのあまりに愚かな発言に、体の痛みが少しだけ緩和される。バリーは腹を抑えながら、ゆっくりと身を起こす。


「馬鹿げてる」

「なるほど、聞いたことは無かったか。では、貴様の前では言わなかったのだろう」


 バリーの動きがピタリと固まる。


「改めて記憶を辿れば、そんなことを言っていたような覚えがあってな。いや……やはり間違いないぞ。貴様の母はそう言っていた」

「そんな筈ない!!」


 バリーは裏返った声で叫ぶ。


「嘘を吐くな! この外道め!」

「貴様は騙されていたのだ。王妃であれば腹芸は巧みであろうしな」

「母上はあんたとは違う!」

「心当たりがあるのではないか?」


 確かにバリーは無能だ。しかし、だからといってあの愛情が偽物だったとは思えない。母はバリーを心配してくれていた。自分が一番辛く苦しい時に、息子の未来を嘆いてくれたのだ。

 ──何が腹芸だ。ルドルフの言葉はハッタリに違いない。第一王子であるにもかかわらず無能なバリーが厄介だから、その腹いせだろう。小癪な猿知恵を働かせているだけだ。


 そう頭では理解している。


 それなのに、どうしてか。

 理性に逆らって感情は高ぶり、泣きそうになる。


「母の死に目には立ち会えたのか? ──ふむ。その様子だと叶わなかったようだな。ならば知らないのも無理はない」


 涙目で怒気を燃やすバリーを、ルドルフは空虚な瞳で見下ろす。それから必死の抵抗をいとも容易く打ち砕く。


「貴様の母は、今際の際に言っていたそうだぞ。貴様が憎いと」

「嘘だ!」


 バリーは絶叫する。


「おかあさんは俺を愛してくれてたんだ!!」


 大粒の涙が溢れる。

 流してはならない涙が溢れる。

 ここで泣いては、ルドルフの発言を肯定しているようではないか。

 バリーは袖で乱暴に目元を拭う。

 しかし、あとから後から大きな感情の波が押し寄せて、自分の意志ではどうにもならなかった。


「誰があんたの言うことなんか信じるもんか」

「よく聞くがいい、バリー・ゾッドよ。貴様は孤独だ。一人だ。この父も、腹違いの弟達も、そして貴様の母も──」


 ルドルフは眉一つ動かさず、ひどく無機質に告げる。


「──誰も貴様を愛さない」


 バリーは押し黙る。

 辺りに沈黙が落ちた。


 もはや全てがルドルフの揺さぶりとしか思えない。いや、思う他ない。こんなのは浅い企みに過ぎない。また言われるままにバリーが滂沱するとでも思ったのか。


 ──と、今までならにべもなく切り捨てていたが、ここにきて別の考えがバリーの心中に浮かぶ。


 いくらなんでも露悪過ぎないだろうか。


 普通、親であれば多少なりとも子に関心を示すものだ。母は別格としても、本の中の登場人物なんかはそうだったし、騎士達の談話を盗み聞きした時も子供が馬鹿ばかりすると嬉しそうに笑っていた。

 であれば、ルドルフも彼らと同様であり、バリーには及びもつかない崇高な考えで嘘を吐いているのではないか。バリーが生前の母にそうしたように。


 そうだ。

 間違いない。

 これは父の愛情の裏返しだ。

 本当は "いい奴" なんだ──。


 そうやってバリーは現実から目を背ける。

 脳は理解を拒み、ぶつけられた非情な言葉を自分に都合良く解釈する。


 幼く、未熟な精神では受け止められないから。


 しかし、血縁上の父親は、心の中で踞るバリーを無感動に踏み潰す。

 現実逃避したバリーが自らの甘さを痛感するのは、次に発された言葉を聞いた時だった。


「しかし、そうか。マリアは死んだのか」

「……………………は?」


 バリーは何を言われたのか分からなくなる。

 母の名はそんなものではないから。


「いや、ミーシャであったか。貴様の母は」


 それも違う。

 母の名はサラだ。


「そうか。ミーシャは死んだのか。幸運だったな、バリーよ。見舞いの時間を訓練に充てられるぞ」


 バリーの思考回路が混乱を引き起こす。流れていた涙がどこかに引っ込んだ。


 目の前の人物が言っている意味がまるで呑み込めない。

 もしかして、これもバリーを思っての優しい嘘なのか。そう思案してルドルフの瞳を覗くが、とても偽りを述べているようには見えない。

 つまりは、この男は本当に母の名前さえ認識していないのだ。


 この時になって初めて、バリーは心の底からルドルフ・ゾッドという生き物を理解する。

 話が通じない。

 心がない。

 見た目は同じでも、中身は別の何かだ。


「陛下は……母上の髪色を覚えておいでですか?」

「赤毛であろう」


 違う。黒髪だ。


「……声は?」

「刺があったな」


 違う。一体誰の声と聞き違えているのか。母の声は柔らかく、慈愛に満ちていた。


「では……」


 バリーは乾いた舌の根を震わせて、決定的な問いを投げかける。


「──では、母上の背格好は?」

「中肉中背であろう」


 即答され、頭が真っ白になる。



 ──違う。



 違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。



 母は──病床の母は、ひどく痩せこけていた。



「…………では、母上の──」

「いい加減にしろ、バリー。しつこいぞ」

「……これが最後です。陛下は、私が訓練すべきだとお考えですか?」

「そうすれば貴様とて少しは使い物になるかもしれぬな」

「そうですか……。なら、私は死ぬ気で頑張りますよ。いつかその努力が実を結ぶように」


 バリーがルドルフを殺すと決めたのは、この瞬間だった。

 それはバリーが六歳の時だった。




 そして、母が本当にルドルフの手によって殺されたとバリーが知るのは、もう少し先の話になる。





 忘れることなど出来る筈がない記憶から戻る。

 思い出しただけで、脳内からは殺意が吹きこぼれていた。

 バリーは腹の中で思う。

 一番前を走っていて良かった、と。

 顔さえ見られなければ、余計な詮索をされずに済むから。


 バリーは頭を振って思考を追いやる。今はすべきことがある。

 エルフ達は任務が成功すると信じ切っているようだが、こちらの戦力が敵戦力を大きく上回っているという確証がない以上、バリーだって死ぬかもしれない。

 もしそうなれば、ルドルフを殺すという使命も果たせなくなるのだ。


 バリーは油断せず、集中する。

 そして顔を上げたタイミングで、森の切れ目が見えてきた。その先にあるのは山の岩肌が露出する地帯だ。

 足に力を入れたバリーは、最後の木の枝から跳躍した。視界から緑が消えて、全身が山に収まる。


 その時だった。



《所有者バリー・ゾッドが致死領域に侵入しました。幸運のまじないが作用します》



 突然、丸トカゲが甲高い声を上げた。

 中空を舞うバリーは目を見開く。

 一体何事だとその前触れの無さに驚き、着地に失敗しかけるが、辛うじて耐える。バリーは地面に足をつくと、そのまま走り出す。

 丸トカゲの姿はバリーにしか見えないのだ。不自然な態度をエルフ達に見せるわけにはいかない。


 ただし、そんな事情などお構いなしと言わんばかりに、丸トカゲは背後から喚き立ててくる。


《借り入れますか》


 またこの文言だ。

 どうしてこの怨霊はバリーに貸しを作りたがるのか。

 不明だが、拒絶の返事をしなければならない。それも以前と同じように。

 バリーは誰にも悟られないよう注意しつつ、小声で伝える。


「今は必要ない」


 致死領域という響きは正直気がかりだ。しかしながら、今は情報のやり取りが出来ない状況にある。

 ──後で聞き出せばいいか。そう呑気に思っていると、丸トカゲが後方からバリーの右斜め前へと飛び出してきた。


《幸運のまじないが作用します。警告の回数がランダムに増加します。──任意選択が完了しました》


 喋り続ける丸トカゲは、こちらをゆっくりと振り向く。それからバリーの目を見つめつつ、宣告する。


《今回の警告増加数は、11回です》


「……は?」


《借り入れますか》


 状況が掴めないという以前に、こちらの返答をまるで意に介さない丸トカゲの対応に、バリーは薄気味悪さを覚える。


《借り入れますか》


 まだ返事をしていない。

 それなのにどうして警告してくるのか。


《借り入れますか》


 警告をしてくるまでの間隔が短くなってきている。

 その事実に僅かな焦りを感じたバリーは、再び小声で答える。


「だから、今はいらんと言ってるだろうが」


 これで大丈夫だった。

 あの時は。


《借り入れますか》


 止まない。警告は鳴り止まない。丸トカゲは無機質に甲高い音声を流し続ける。


 バリーの肌が粟立つ。

 どうしてこちらの返答を受け入れないのか。もしかすると、バリーの断り方が間違っているのか。

 いずれにしても残された警告数は七回。


 それを過ぎた場合、ただ何も起きないだけで済まされるのだろうか──。


「お、おい、少し待て」


《借り入れますか》


「……待てって」


《借り入れますか》


「だから──」


《借り入れ──》



「──待て!!」



 バリーは大声で張り叫んだ。

 後方を走っていたエルフ達が仰天し、次々に動きを止めて訝しむような視線を向けてくる。

 しかし、バリーの胸中はそれどころではなかった。

 右斜め前を漂う丸トカゲが、定位置であるバリーの背後に戻る。


 連続する甲高い警告音声は──もう止んでいた。


「はっ、はっ、はっ」


 バリーの口から荒い呼吸が吐き出される。


「バリー殿? どうされたんだ?」


 サリオンが心配そうに声をかけてくる。

 その低い声に、バリーは正気を取り戻した。


「い、いや、何でもない。進もう」

「凄い汗だが……」


 指摘されて、バリーは自分が冷や汗を滝のように流していることに気付いた。

 手で顔を拭う。


「……大丈夫だ。いいから、行くぞ」


 バリーは駆け出す。

 何を言われても無視するつもりだった。

 その意志が伝わったのか、エルフ達は困惑しながらもついてくる。


 何とか取り繕うことは出来たものの、心をじりじりと焼かれるような感覚は一切冷めない。バリーは背後をちらりと振り向く。


(何なんだ、こいつは……)


 バリーの脳裏をよぎる言葉があった。


 怨霊。


 そう。丸トカゲは、正しく怨霊だったのだ。

 バリーの背筋をゾワゾワとしたものが這いずり回る。

 一体、この先に何が待っているのか。



 バリーは敵国が近いことを悟った。



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