第12話 詠唱
「どういうことだ、ノール分隊長」
第一分隊長であるノールは、顔を伏せることで呼びかけを無視する。
返事をしたくなかったのだ。今は他人に構えるだけの、心の余裕が失われていた為に。
「決も取らずに話をまとめるなんて、横暴ではないか」
苛立っている時に正論をぶつけられると抑えが利かなくなるものだ。ノールは顔を上げて罵倒する。
「そう思うんだったら、先ほど反対すれば良かっただろう! お前達はただ座っていただけじゃないか! 大体、サリオンが相談もなく、先に頭を下げてしまったんだ! あれで我々の意思は決まったようなものだった!」
ノールの豹変に隊長達は唖然とする。しかし、そんな中でも、第二分隊長であるサリオンだけは平然としていた。
普段であれば気にならないだろう、そんな些細な態度にさえ、今のノールからすれば鼻につく。
原因は言うまでもない。あの人間のせいだ。
(余所者がいきなりでしゃばって、英雄気取りか?)
バリーという人相の悪い人間に対してノールが抱いていた感情は、怒りだけだ。
あの人間が只者でないということは、薄々悟ってはいた。
まず、このアムラスの里に人間が一人でたどり着くというのは困難だ。防衛の観点から、目印となるものは設置していないので、自力で里を見つけ出さなくてはならない。
それはウィズと一緒だったお陰でクリアしたとしても、それまでの食料や水の問題だってある。寝床も同様。確保するのは難しい。
何より、凶悪なモンスターであるモノズリーの巣が存在するのが最悪だ。
モノズリーと遭遇した際の教訓というものがある。
──個と出会ったなら逃亡しろ、群れと鉢合ったなら諦めろ。
アムラスの里ではそう言い伝えられている。
というのも、モノズリーの硬質な体毛は並の魔法を弾く。ならばと近接戦闘に移行したとしても、囲まれて袋叩きにされればお仕舞いだ。
もしモノズリーの大群に勝てる手段があるとすれば、それは常識を越えた腕力で、一撃十殺の殴打を繰り返す以外にないだろう。
先遣隊を全滅させた斥候用ゴーレムなら可能かもしれないが、バリーとかいう人間は、そのゴーレムをも一撃で粉砕したらしい。
──あり得ない。
それが事実であれば、確かにあの人間はノールの力量を遥かにしのぐ。
ただし、ゴーレム撃破に関しては口だけだ。言葉でなら幾らでも自分を飾れる。
(嘘に決まっている。強欲な人間らしいと言えばそうだが……。何を狙っている? まさか本当にドワーフどもの内通者なのか? それとも……ウィズに良いところを見せようとでもしたのか?)
ノールの瞳に黒い炎が宿る。その正体は嫉妬だ。
(私が先に目をかけてやったのに、どうしてウィズは奴とあんなに親しげなんだ。どうして私の名を呼ばない)
英雄気取りだの、嘘つきだの、あれこれ理由を作って罵ったが、ノールの根本にあるのは嫉妬だ。
ウィズがあの人間の名を呼んだ時、ノールの思考は白く染まった。
ノールはアムラスの里最強の兵士である。
だからこそ、どんな女も思うがままだった。
美しい女を抱いた。豊かな双丘を揺らす女を抱いた。分隊長どもの妻を抱いた。あらゆる女を抱いてきた。
──しかし、強い女だけは抱いたことが無かった。
ウィズは美しく、強く、そして儚い。
矛盾というものをたった一つの身に孕んでいる彼女の姿は、ノールの欲情を桁外れなまでに刺激した。
そうなれば、当然のごとくウィズは自分に抱かれるべきだろう。
にもかかわらず、これまでの幾度かの誘いは、全て空振りに終わっていた。恐らく、彼女には恥じらいがあるのだ。いつも俯いて答えを濁すばかりなのだから。
とはいえ、そんなところもいじらしくはあるのだが。
脳内でウィズの衣服を剥き、股間が熱くなっていたノールは、対面に座るサリオンがじっとこちらを見つめている様子に気付く。
(サリオンの奴め。どうしてあの人間にすり寄る。誓いを立てた程度で絆されたのか? 奴の話は根拠なんか皆無だったじゃないか。一時間で魔法を覚えるとか頭の悪いことも言っていたし……。あんな奴を頼ってドワーフどもに攻勢をかけたところで、失敗に終わるぞ)
あの人間がゴーレムにあっさりと殺される光景が目に浮かぶ。
であれば、やはりドワーフの国で行動を起こした方が賢い。敵国内で起きるだろう混乱に乗じて、ウィズを連れて逃げる。
危機を救った形だ。彼女は恩義を感じる筈。いや、それどころではない。
ノールの叡知と適切な判断力に、ウィズは頬を染め上げることになるだろう。
(完璧だ……。ようやくあの体が私のものになる。ひはははっ。待っているんだぞ、ウィズ。たっぷり時間をかけてねぶってやるからな)
「──ただちに行動せよ! 隊員達を全面武装させた上で、里の入り口前に集めるんだ! 時間短縮のため、作戦会議は全員に聞かせる!」
ノールが激しい口調で指示すると、隊長達は不承不承といった様子で部屋から立ち去っていく。
それを眺めたノールは、暗い笑みを張り付ける。
(ウィズは私のものなんだ。絶対に誰にも渡さない)
ノールは気付かないが、それは妄執と呼ばれるものだった。
◆
地上にある広場で、バリーはウィズに指南を求める。
「ウィズ、それじゃあ早速教えてくれるか?」
「うん。でも、その……良かったの? あんなこと言って」
あんな事とは一体何だろうか。バリーは確かめる。
「お前に謝罪しろと啖呵を切ったことか?」
「それもだけど……時間の方」
バリーは背後に漂う怨霊を意識する。
「ああ、それなら問題ない。……今のところはな」
「今のところ?」
「何でもない。忘れてくれ。──まあ、時間に関してはちょうど良いだろう。どちらにせよ悠長にはしてられないからな」
「……どういう意味?」
「俺は例の斥候用ゴーレムを滅ぼした。なら、その情報はもうドワーフどもに伝わっているんじゃないのか?」
「あ……そうか」
「思念のようなもので命令するのか、それとも言葉で直接指示するかで、情報が伝わる速度に差が出るとは思うがな」
「それは多分、前者だと思う」
「じゃあ、より急がなくてはな。ウィズ、始めてくれ」
「分かった」
ウィズの返事を聞きながら、バリーは肩を回す。
実を言うと、バリーは魔法そのものより、詠唱という響きに興味を抱いていた。その為にそちらを重点的に学ぶつもりだ。
「えっと、まずバリーって魔力は操れるの?」
「もちろん出来るぞ」
「良かった。それなら大分短縮出来る」
ウィズは胸を撫で下ろすと、説明を始める。
「最初は詠唱を教える。理屈は簡単。声に魔力を乗せて、魔法名を唱えればいい」
「声に魔力を乗せる? 面白い発想だな」
「私達にとっては普通のこと。それで、詠唱をきちんと作用させたら、魔法が凄くなる。発動の補助をしてくれるから、結果的に魔力の消費を抑えてくれるし、威力とか精度も通常の何倍も跳ね上がるの。見てて。無しと有り、どっちもやるから」
ウィズは人差し指を立てる。
「ん」
瞬間、指の先にリンゴ大の水の球が生じた。
「ほう」
「これが無し。次は詠唱する」
ウィズは一度魔法を解除する。それから呟く。
「 "【ウォーターボール】" 」
ウィズの発声にしたがって、スイカに近い大きさの水球が出現した。
「おお」
バリーの声音が好奇に彩られる。
先ほどより、水球のサイズが明らかに大きくなっている。
しかもそれだけではない。
聞こえてきたウィズの声に少し違和感があった。通りが良いというか、反響するというか。そんな感じだ。恐らくは魔力を乗せた為に起きた現象なのだろう。
「声が普通じゃないのは分かった?」
「少し高く聞こえた感じだな」
「完璧。ちゃんと知覚出来てる」
ウィズは小さく頷くと、先を進める。
「大丈夫みたいだから、やり方を説明する。大切なのは流れなの。魔力を肺とお腹の中に溜めて、気管を通って喉から発声するイメージを描く。そうしたら──」
ウィズは息継ぎをすると、特殊な声を発する。
「 "こんな感じで、声に魔力が乗る" 」
「おお!」
バリーは心を鷲掴みにされたように感嘆する。
得も知れない高音が、ウィズが喋る度に聞こえてきたのだ。
「これは驚いたな……」
「初心者用の教本だと単語から始める。けど、今は時間が押してるから、長い文章で練習しよ。エルフの間で使われてる練習用文章はこんなの」
ウィズは息継ぎしてから、一気に吐き出す。
「 "シャシス州出身シャーマンは出所し初心者ショーの四肢姿勢を正して、背丈で居丈高に猛り立て駆けると、赤アポカリプス・青アポカリプス・ポアポカリプスを読破する" 」
長い。
それに言いづらそうだ。
「これを一回も途切れさせないで魔力を乗せられたら、一人前の魔法使いって呼ばれる。魔法名って基本的に短いけど、詠唱の途中で敵から攻撃を受けても唱え切らないとダメだから、これくらいの文章は集中して言えるようにならないといけないの」
「理解した」
バリーは首を縦に振る。
「やってみるとしよう」
不安と期待が入り混じった表情で見つめてくるウィズを横目に、バリーは肺と腹の中に魔力を溜める。そして気管を通して喉から発声する。
「 "シャシス州出身シャーマンは出所し初し" ん者──」
今、バリーは千回練習した。
というより、正確には練習しながら千倍の速度で上達している。
よってこの結果は当然なのだ。
「どうだ? 何文字乗った? 全体の四分の一くらいか?」
バリーはウィズに視線を移す。
──そこには黒い穴があった。
いや、違う。それは0の形に開かれたウィズの口だ。
「え……。な、なんで? どういうことなの?」
ウィズの表情が目まぐるしく変化する。
「私は一言乗せるのに三週間もかかったのに……」
しゅんとするウィズを慰めることなく、バリーは練習を続ける。
「もう一度発声する。今度こそ、おかしなところが無いかしっかり見ててくれ」
「……う、うん」
ウィズが正気を取り戻した様子を確認したバリーは、再び魔力を声に乗せる。
「 "シャシス州出身シャーマンは出所し初心者ショーの四肢姿勢を正して、背丈で居丈高" に猛り──。よし、半分は越えたな」
確かな手応えを感じる。
あと二、三回も繰り返せば、最後まで発声出来るだろう。難しいのは文章として読むことの方だ。
バリーはウィズに向き直る。
「ウィズ、俺の声はどうだった? 問題ないか?」
「……うん。でも、私の頭がおかしくなりそうなんだけど」
ラファとも似たようなやり取りをした気がする。そんな事を思い出しながら、バリーは返答する。
「気持ちは分かるが、これが俺の力だ。とはいえ、お前達の技術が存在するからこそ、発揮出来るものでもあるがな」
ウィズの目が僅かに見開かれる。
「ウィズ。共にドワーフどもを打ち倒すぞ」
「うん。ありがとう、バリー」
頭を下げることなく礼を述べるウィズに、バリーは生暖かいものを感じる。
「気にするな。それで、この課題をクリアした場合、他に練習法はあるのか?」
「あとは……。走りながらとか、水中とか、常にその状態で話すとか。そんな感じ」
「興味深い。全てやってみようか」
バリーは神経を研ぎ澄ませると、発声を繰り返した。
◆
あれから約二十分後。
「 " 完璧だ " 」
バリーは詠唱という技術を完全に掌握した。
「 " どうだ、ウィズ。まるで途切れていないだろう。滑らかな発声になっている筈だ " 」
「うん。ばっちり」
ウィズの返事に満足したバリーは普通に話す。
普段の生活からこの状態で慣らしてもいいが、そうするとただ喋るだけでも魔力を消費してしまう。これから戦に臨む以上、可能な限り温存しておくべきだ。
(本当は今すぐにでも試してみたいが……。いや、やってみるか? ──あれを。実戦になって出来ませんでした、では不味いわけだしな)
何故、バリーはウィズから魔法ではなく、詠唱を学んだのか。
それは一つの閃きが降りてきたからだ。
(上手くいくことを祈ろうか)
バリーの適正は強化魔法。そして修得した新たな技術は詠唱。
ならば、やることは一つ。
──元の世界の魔法と、異世界の技術の融合。
ゴーレムを一撃のもとに粉砕した【竜拳】を、詠唱した上で行使する。
「くくっ!」
堪えきれずに邪悪な笑い声が漏れる。
「おっと、いかんいかん」
バリーは苦心して己を宥める。同じ過ちは繰り返してはならないのだ。
「ウィズ。里の外へ出るぞ」
「魔法はいいの?」
「それはもう大丈夫だ」
バリーはウィズと一緒に森に出て、里から適切な距離を取る。それから周囲の木々より頭二つ分は飛び出している大樹に目をつける。
その高さは三十メートルほど。太さこそ足りないが、高さは奴の倍だ。
仮想ゴーレム、ではない。
バリーは竜となったルドルフを想定する。
「離れていろ」
ウィズに注意すると、バリーは深く息を吸い込む。
それと同時に、莫大な魔力を肺、腹、拳に集める。
「な、なにをしてるの……?」
ウィズの訝しげな声すら心地よい。バリーの目は山なりの曲線を妖しく描く。
以前までの【竜拳】は、大木を数本なぎ倒す程度だった。 放った拳の余波は、モノズリーを幾体か吹き飛ばすにとどまった。
ならば、今回はそれをもう一段階跳ね上げる。
腰を沈め、右腕を振りかぶり、そして──
「 " 【竜拳】 " 」
大気が悲鳴を上げた。
バリーの拳が軋む。
それでも歯を食いしばって腕を突き出すと、右拳が巨大な幹に直撃した。
内部に溜まった極大級の力が爆発し、一切の抵抗の余地なく、大樹は根本から折れる。
揺れるとか、反発するとか、ゆっくり倒れるとか、そういう常識的な現象は起きない。
三十メートルもの大樹は、周囲の木々をなぎ倒しながら吹き飛び、大地を踏み荒らすように縦に転がっていく。
後には何も残らなかった。
いや、強いて言うなら、ぶち折れた大樹の断面が剥き出しになっているくらいだ。
「ふっはははははは!! 笑いが止まらんわ!!!」
バリーは下品に、限りなくみだりに嗤う。
あまりにも狙い通り。完璧過ぎる計算。
バリーが元の世界で定めた目標は間違っていなかった。
異世界の力を得て、竜人の呪いを解き、そしてルドルフを殺す。
「首を洗って待っていろ! じき、そちらへ帰る!!」
世界の境界さえ突破するようなバリーの高笑いは、地平線に広がる木々を飛び越えて、分隊長達に吉報を──いや凶報を届ける。
開始から28分47秒。
制限時間より三十分以上を残して、バリーの鍛練は完了した。
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