第18話 フウフノギ? 何それ?

 一段落がついたのは、夜が明ける頃だった。


「先生。朝食の用意ができました」


 食べるよりも先に寝たい。

 私はスープとパンがトレイに乗せられたものを持っている女性に目をやる。ここの運営は寄付金で賄われている。贅沢な食べ物は食べれないが、この戦時下で食べ物が食べられるだけありがたい。だが、今は寝たい。


「スープだけもらう」


 トレイの上にあるスープが入った器を手に取る。噛むほどではない小さな具材が水のようなスープの上に浮いていた。そして、スープを喉に流し込む。殆ど味がない。塩とクズ野菜と少しの肉が入っていた。


「ありがとう。昼には動けない者を街に運ぶから、用意をしておいてほしい」

「わかりました」


 そういって、女性は下がっていき、まぶたが落ちていく中、ふらふらと私の私室に入っていけば……なんでまだいるんだ?


「リィ。おはよう」

「私は今からお休みだ。さっさと帰れ」


 私のベッドに腰掛けている隻眼のレオンを睨みつける。っというか、殆どまぶたが下がっているので、必然的に目つきが悪くなる。


 誰かが綺麗にしてくれたであろう。ベッドの側に行き、レオンを押しのけ硬いベッドに横たわる。ったくこの4年で更に背が伸びたのか?デカくなっている気がする。まぁ、私も成長はしたけど……16歳から背が伸びていない気もするが、成長はした!


「リィ。一緒に帰ろう」


 こいつは何を言っているんだと、閉じていた目を薄く開け、私を見下ろすレオンを見る。


「私はまだやることがある。それに私の帰る場所はここだ」


 そして、レオンには話すことはないと言う風に、背を向けて目をつぶる。


「リィ。これでリィの好きな太上皇帝陛下と同じ立場だ」


 ……じぃは好きという部類には入らない。どちらかと言えば、上司に近い。私はじぃの命令を聞く側だ。


「リィは言っていたよな。結婚したければ太上皇帝陛下と同じになれと、だからリィを迎えに来たんだ。途中でヘマをしてしまったけどな」


 じぃと同じとは皇帝になれということじゃない。いや、確かに平民を妻に迎えようとすれば、ゴリ押しできる権力は必要だ。

 それもあるけど、信頼できる人物で周りを固めろという意味だ。


「カルアがリィの手だと言って持ってきたモノを見た時の俺の気持ちがわかるか? 絶望だ。この世の全てがどうでもいいという絶望。カルアを滅多打ちにすれば、リィは生きていると白状するし、このことはリィの画策だというし、俺を好きだといいながら、俺を絶望の淵に叩き落とすリィをどうしてやろうかと「ちっ!」……」


 何? 人が寝ようとしている時にグチグチと昔の文句を言ってきて、全然寝れないのだけど!

 私はムクリと起き上がる。


「私は眠いって言っている! 徹夜の治療で疲れているの! レオンはさっさと帰れ! やることいっぱいあるよね!」


 そう言いつつ、首が下がっていく。魔力もかなり限界まで使った上に、治癒の魔法には色々精神力が削られる。集中力が必要なのだ。

 今の状況は半分意識が飛んでいると言って良い。


「―――は――こと―いいか?」

「ん? あ?」


 上手く聞き取れない。覚醒と眠りの間で漂っている私には既に思考能力はなかった。


「それで良かったら頷くだけでいい」


 聞き取れないのに誰が頷くか! と思った時に首がガクンと落ち、私の意識が途絶えた。これは決して頷いたわけじゃない。




 気がつくと、私の視線は深い緑色の天蓋を捉えていた。

 は? なにこれ? 私のベッドの天井は簡易施設の革の天井だ。


 今何時だ! 飛び起きて大きな窓から太陽の位置を確認すると、中天に差し掛かる前だった。まだ間に合う。ここがどこかは予想できるけど、さっさと転移をしよう。

 私は転移陣を展開すると、何故か足元がスースーする。何かと思って下を見ると……


「なに? このヒラヒラした服」


 言うなれば白いネグリジェだった。いや、私はこんなものは持っていない。


「リィ!」


 背後から扉が蹴やぶられるような破壊音と共にレオンの声が聞こえる。これは……レオンに着替えさせられた?


「お前か! 私にこんなヒラヒラしたヤツを着せたのは!」


 振り向きざまにレオンを睨みつけた。いや、睨みつけたのだが、視界は塞がれ足は地面から離れていた。というか、レオンに抱きかかえられている。ちょっとゴテゴテとした装飾品が私に当たって痛いのだけど、どこの王子様だ!

 あ、皇帝だった。


「リィ。俺と契約をしたのだから、何処かに行きたい時は言ってもらわないと駄目だ。それから着替えさせたのは侍女だ」


 あ? 契約? そんなものをレオンとした記憶はない。私は首を上げて見下ろしてくるレオンに聞く。


「何の契約だ?」

「俺と夫婦になること」


 ……いつそんな物をした? 私には保護者という立場の者はいない。だから私自身が結婚を了承しないとできないはず。


「そんな契約していない」

「何を言っているんだ? 既に夫婦の儀はすんでいるから、書類上でも夫婦になることで、いいかって聞いただろう? リィは頷いて了承した」


 あれか! 私が寝る前の話か!

 ちっ! こんなやり方まで、じぃの真似をしなくていい!


「それは騙し討ちというやつだろう! 私が眠いのをわかっていて、契約をするなんて卑怯というものだ!」

「酷いのはリィの方だ。俺を好きだと言って、夫婦の儀をしておきながら、俺から逃げ続けただろう」


 さっきも言っていたけど……フウフノギ? なにそれは?


 私がレオンを好きだと言ったのは本当だ。嫌いなら早々にレオンは死んでいただろう。それから、逃げ続けたのも本当のことだ。ここ四年ほどレオンが戦場に立つことが多くなった。以前にもまして増えたのだ。それは仕方がないと言えば仕方がない。

グランシャリオ国、シスベニア共和国、マスレニード連邦国その三国が手を組んで帝国に攻め入ってきたのだから。


 そして、レオンが戦場に出撃するという情報が入れば私は重症者の搬送者として戦場を離れ、別の戦場の救護施設に向かった。ここに私が作った『サルバシオン』を二つに分けた理由がある。いや、激戦化する戦場に対応する意味もあった。あったのだが、レオンとすれ違う率が格段に上がったのだ。

 だってさぁ、会ってしまうと、私の決意が揺らいでしまうじゃないか。 だから、戦場をわたり歩く理由を敢えて作ったのだ。


 しかし、フウフノギがわからない。


「フウフノギなんてした記憶はない」


 するとただでさえ機嫌が悪いレオンの機嫌が急降下していくのが、目に見えてわかってしまった。


「リィは俺の心をもてあそんだのか?」

「は? もてあそぶ?」

「浮気をするなと言っていたのに、俺以外の者には色目を使うし」

「いろめ? なにそれ?」

「俺を好きだと言ったのは嘘だったのか!」

「え? 嫌いなら早々に見放していたけど? そうなっていたら、今頃レオンは生きていないね」


 ちょっとレオンの言っていることが理解できない。私は真剣にレオンと向き合って、レオンが生き残れる選択肢をしたつもりだ。

 それに私が男に色目を使った? それはない。絶対にないと言える。


「レオンちゃん。じぃとの契約はレオンちゃんのお友達になること」

「レオンちゃんというなリリィ」

「私を本名で呼ぶな。お陰で簡易魔法契約を簡単にされてしまったんだよ!」


 私の名前は平民のため母親が付けたリリィという名しか与えられなかった。そう、氏が無かったのだ。まさかこの世界では名を知られることは簡単に魔法契約をされることとは知らず、普通に名乗ってしまった。

だから、じぃから一方的に簡易魔法契約をされ、レオンのお友達兼治療係になってしまったのだ。本当に恐ろしい世界だ。


 まぁ、私に課せられたのはレオンと仲良くすることと、怪我や病気の治癒だ。だから私が魔法を教えたり環境を整えることは含まれていない。例えばレオンが暗殺されて胴と首がおさらばした状態で発見されたとなれば、私に非はないということになる。


「レオンとはきちんと向き合っていたから、私がもてあそんだということはない! それに色目ってなに? 髪は弟子たちが伸ばして欲しいって言うから伸ばしたけど、服装は動きやすい様に男装していたから、色目も何も無いと思うけど?」

「リィは可愛いし、小さいし、男の手を握って『辛いのをよく頑張ったね』って言われたら、惚れるだろう! っていうか、俺も言われたい!」


 レオンにはそういうことは、山程言ってきた。それぐらい暗殺されかかったら、周りの環境を変えようという気になるよね。


「私が小さいのではなく、レオンがデカイんだ。それは誰からの情報だ?」


 ここはきちんと訂正しておかないとならない。私がレオンの胸辺りまでしか無いこと、イコール背が低いということにはならない……はずだ。


「カルアの弟子だ。顔を赤くしながら報告している奴は、勿論後でカルアに訓練を倍増させておいた」


 なんて酷いやつだ。人に報告させておいて、お仕置きをするなど、悪人以上だ。


「レオンがなんて呼ばれているか知っている? 虐殺皇帝だよ……周りの人ぐらいには優しくしないと、いつか寝首をかかれるよ」


 はぁ、レオンはじぃが亡くなったあと、一族を皆殺しにした。だから、皇帝になる選択肢は止めろと言ったんだ。貴族たちは恐怖で身を震わせていると風の噂で私の耳に届くほどだった。ボスからは魔王って言われていることは、内緒にしておこう。


「その名の原因はリィだ」

「は?」


 カルアと同じくレオンも私に責任転嫁してきた。


「夫婦の儀までしておいて」

「それがわからないのだけど?」

「……」


 なに? その目。

 そんな事を知らないのかという呆れた目は。


「あのさぁ。私の常識はじぃに与えられたもの以外存在しないわけ。じぃに拾われる前は母親は生きていくのに必死で私に食事を与えることで終わった。レオンとの暮らしもレオンを守ることに苦心した。あとは、戦場を転々としていたから、常識なんて無いようなもの。どこに一般常識を知る機会があったと思う?」

「そうか。そうだな。俺との生活が全てだったということだな」


 どういう解釈をしたわけ? 私はレオンとの生活は毎日がスリリングだったことを濁して言ったのに、何が全てなんだ?


「互いの魔力が込められた物を交換することだ。普通は結婚式の儀式に組み込まれるのだがな」


 あれか! 私がレオンに魔力の結晶を渡したら、レオンが真っ黒なピアスを渡してきたことがあった。

 そして、レオンは私の右側の髪を耳に掛ける。


「言ったよな。これで俺たちは夫婦だと」


 言われたね。だけどさぁ。


「10歳と15歳の夫婦はないよね」

「太上皇帝陛下は8歳の時に結婚したと聞いた」


 じぃ! この国には結婚できる最低年齢って設定されていないのか!


「皇帝の血筋が太上皇帝陛下しか、残らなかったのだから仕方がなかったのだろう」


 ……それは8歳のじぃが、みなごろしにしたってことじゃないよね。


「ということで、何も問題は無かった」


 何が問題が無かっただ。私には身分がないと言っているだろう。


「ふーん。では皇帝陛下は下民の女を妻に迎える気ですか? 愛人ですか? 妾ですか」


 レオンは何を思って私と結婚しようと言っているのか。平民は皇帝と結婚できないぐらい、馬鹿でもわかる。


「リィ。何を言っている。皇妃に決まっている。それにリィ以外の女はいらん」


 いや、側室は娶れよ。仮にも皇帝だろう?


「それにリィはどう見てもヴァンジェーロ公爵家の血筋だ。誰も文句は言わない」


 いやぁぁぁ。はっきりと言わないでよー! カルアと親戚だとは見た目でわかってはいたけれど、言葉で聞かせないで欲しい。すごく否定したい。


「だってそうだろう? カルアに顔を晒して、戦場で暴れろと命じれば、リィに言い寄って来るやつは激減しただろう?」


 そもそも言い寄られてはいない。お陰で私もカルアと同じ悪魔扱いされたんだよ。いや、ボスからは悪魔だと言われていた。あれは揶揄っていただけで、恐怖されるほどじゃない。


「怪我人に悲鳴上げられて、暴れられる身にもなって欲しい。治療に支障をきたしたのだけど?」


 だから、睡眠導入の魔道具を作ることになったのだ。


「それに黄金の聖女様だ。皇帝の嫁としてはこれ以上無い。リィは身分が無いことを良いように使う天才だ。そして、自分でその地位を築き上げる努力をする天才だ。俺はそんなリィが好きだよ」


 ちっ! 全部バレていたのか。いや、レオンはわかってくれていたから、今までしだいようにさせてくれていたのだろう。


「身分がなければ、そもそもレオンの周りを自由に動けない。じぃのお墨付きがあったからこそ、動けただけだ」


 レオンの周りを万全にするために、情報を仕入れ人を固めて、レオンの命を脅かす、兄弟共の弱みを握っていった。身分がないからこそ、あの魍魎跋扈する皇城で自由に動けた。男の子の格好をしたり女の子の格好をしたりして、スパイ活動に勤しんだのだ。


「戦場の聖女様も俺のためだろう?」

「ちっ!」


 レオンがどの道を選ぼうが、帝国の中が荒れることは予想していた。それを押さえ込むには、じぃの直系であるレオンの力が必要となってくるのは必然的。


 剣術はカルアが教えていたため、私はわからないが、魔法の方は私の一撃よりもレオンの魔法の一撃の方が威力が上だった。これはきっと皇帝の血族のなせることなのだろう。

 いくつかの魔法はレオンには使うなと言ったほどだ。言ったが、それほど威力が出ないはずの魔法も天災級だった。そこは私が皇帝の血を見誤ていた。


 そして、レオンが戦場に出れば、相手側に多大なる死傷者が出ることは目に見えていた。

 大切な人を失った人々の苦しみが、いつかレオンに刃として向けられる可能性を少しでも下げておきたかった。


 何だったかな? 伊邪那美が一日千人殺すなら伊邪那岐は千五百人生み出そうだったか?

 まぁ、私は生み出せはしないが、人々の心が闇に染まらないことを願った。


 私の願いは私一人のものだったのだが、今は百人もの人たちが付いてきてくれている。


「そんなリィを俺の妻にすることを否定する奴らなど、この国には存在しないだろう。もし、そんなことを言えば、虐殺皇帝の名に恥じぬ行いをするまでだ」


 いや、恥じてよ。

 カルアが死にかけたということは、相当暴れまわったのだろうと予想はできる。真実はどうなっているのかは、私にはわからないけれどね。


「私、そろそろ救護施設に戻りたいのだけど、いいかな?」


 物騒な話をしだしたので、取り敢えず私は重症者の搬送という業務につきたい。


「駄目だ。話を聞いていなかったのか?」


 聞いていたけど……瞳孔が開いた赤い目で見下さないで欲しい。


「誰だったか知らんが、金髪の女に後を任せるといえば、『先生をよろしくお願いします』と言われたから大丈夫だ」


 金髪の女性は沢山いるので、誰かわからないな。

 もしかして、私をこの皇城から出さないつもりか? それは無理だろう。色々秘密の通路を熟知した私を出し抜くことはできないと思う。


「で、先生ってなんだ?」

「ん? 名前を名乗ると強制的に契約されるかもしれないから、皆には『先生と呼べ』と言っていた」

「名前だけで勝手に契約できるのは、皇族ぐらいだ」


 なんだって! 私は一番知られてはならない人たちに、最初に名前を知られてしまったのか!


「皇族は本当の悪魔だった」

「はははっ! 強制魔法契約はこちらもリスクを伴うから普通はしない。失敗すれば、右腕一本は持っていかれるだろうな」


 え? それは何と契約したのだろう。本当に悪魔と契約をしているのか?


「ではそろそろ行こうか」

「は? どこに?」

「謁見の間だな。朝から属国の王たちを集めている」


 ……朝から? 今何時ですか? 太陽はほぼ真上ですよ。


「レオン。それはもう解散したってことでいいよね。どうみても今は昼だよね」

「いいや、朝からリィが起きるのを待たせていた」


 何か私が悪いことになっているのは何故!

 私が寝たのは夜明け頃だから、そんな朝と呼ばれる時間帯に起きないことは分かっていたはずだけど?

 嫌がらせだ。絶対にこれは嫌がらせだ。

 自分に逆らった者たちへの嫌がらせに違いない。


「直ぐに用意する。……で、私の服はどこに行ったんだ?」




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