7-2 ありがとう、一花ちゃん、ちょっとだけお別れだね。

 私は忍ばせていた包丁を取り出した。

「一花ちゃん――っ!」

 それを見て仁美は驚いた。

 そう、これが私の望んだ結末だった。

 いや、仁美が自殺を遂げた時から、ずっとこうするべきだとは思っていた。

 でも我が身可愛さに私は決断できなかったのだ。

『人の命を助ける家系の人間が、命を粗末にするなんて許されない』

 唯一、私が免罪符にしていたその言葉すら、もう私の中では意味がない。

「私、もう耐えられないよ。尊敬してたお父さんが裏でそんな酷いことをしていただなんて……!」

 だって、その言葉を口にしたお父さんだって、人の命を奪ったんだもんね。

「私の人生っていったい何だったの? 何のために私はずっと医者になろうと頑張って勉強していたの? 私は人を助けるために頑張ってるお父さんを尊敬してた。いつか私もお父さんに見たいに人を助ける生き方がしたいと思ってた!」

 自分の醜さ、浅ましさ、そして卑しさに、涙が止まらない。

「なのに私は人の命を助けるどころか、自分勝手な振る舞いで仁美を追い詰めて命を奪ってしまった。そして私が尊敬していたお父さんも、私と同じように仁美のお父さんの命を奪っていた。いつか私もお父さんに見たいに人を助ける生き方がしたいと思ってた! そんな私も、仁美の心をズタズタにしてしまった! あははっ、本当に最低な偽善親子だよ私たちは」

 言葉にすればするほど、私は自分がみじめったらしくなってくる。

 どんどん生への執着が薄れていく。

「私たち親子のせいで、仁美の家族が犠牲になった! 学校の友達も何人も犠牲になった! みくりさんも犠牲になった! もうこんなの耐えられない! もう終わりにしたい! なにもかも終わりにしたい! だから私は――っ!」

 私はのど首に包丁の刃を突き立て、そして――

「イヤだ!」

 仁美が私の手首をつかみ、必死になって私の自殺を食い止めようとする。

「私は一花ちゃんの事、これっぽっちも恨んでない! 私は一花ちゃんに生きててほしい! だからお願い、やめてよ!」

「いや! 離して! もう死にたい! 死なせて!」

「違う! 違うの! 一花ちゃんは誤解してるよ!」


「私が恨んでいたのは、私のお母さんなの!」


 えっ?

 私はその言葉に驚き、包丁を落としてしまった。

「私が自殺したのはね、私がお母さんを殺しちゃったからなの」

 仁美は涙を浮かべていた。

「一花ちゃん、私の話、聞いてくれるかな? 私の罪を……」

 そして、仁美は彼女が知る限りの過去の話をはじめる。


 まだ私も仁美も小さい頃、仁美の父は医者を、仁美の母は製薬会社で営業の仕事をしていたという。

 そして仁美の父の職場は私のお父さんと一緒の大学病院だったのだ。

 仁美の母はは営業で大学病院によく顔を出し、それで私のお父さんとも顔見知りの関係に。

 それで私のお父さんと仁美の母親は何度か二人きりで会う機会があって、そのまま不貞に走ったのだという。

 仁美の父が妻の不倫を知った時、仁美の父はそれを許したのだという。

 しかしそんな仁美の父親に対し、私のお父さんは何かの不祥事の濡れ衣を着せ、大学病院から追い出したのだという。

 私も仁美も大人の事情なんか分からない。

 しかし私の父からしてみたら、不倫が周囲に知れ渡って出世に響くのがイヤだったのだろう。

 仁美の父親は内気な性格で、結局なにも抵抗できずに辞めることになってしまったという。

 その挙句、仁美の母親も、自分が不倫したせいでこんなことになってしまったにもかかわらず、大学病院を追い出された夫をさんざんなじり、そして捨てた。

 仁美の父親は精神的に追い詰められ心の病気になり、一人でいるときに火事を起こして自殺したのだ。

 それで仁美の母親は世間体が悪くなり、仁美を祖母に押し付けて蒸発。

 仁美は祖母の家に引き取られ、祖母の貯えと仁美の父親が遺した生命保険金で暮らしていた。

 仁美の父親は、自分の奥さんにも内緒で高額な保険に入り、その上で受取人を母である仁美の祖母にしていたのだという。

 仁美の父は「もしも仁美に何かあったらよろしく頼む」って、祖母にお願いしていたのだ。


「そのおかげで、私はこのお嬢様学校に入れるくらいのお金の余裕ができた。そのおかげで、私は一花ちゃんと出会えた」

 仁美の話は、それでおしまいだった。

「一花ちゃん。一花ちゃんのお父さんが声優の夢を否定したの、たぶん私と一花ちゃんを仲違いさせたかったからだと思う。一花ちゃんのお父さんは、私のことを、かつて不倫した相手の娘だってすぐに気付いた」

 "蓼原"なんて苗字、珍しいでしょと、仁美は付け加えた。

 私のお父さんからしたら、仁美と私が友達になることで、なにかしらの形で愛娘に過去の不倫がバレるのを恐れたのだろう。

 しかしおおっぴらになにかをすれば、それこそ藪蛇になってしまう。

 だから私の夢を否定することで、私と仁美の関係を壊そうとしたのだろう……。

「仁美はいつ、この話を知ったの?」

「つい最近。いきなりお母さんが私の前に現れたの」

 私はてっきり、仁美の母親も死んでいたと思っていたが、実際にはただ雲隠れしていただけで死んではいなかったようだ。

 だが、どうして今更になって仁美のお母さんが現れたのだろうか?

「ほら、私の名前、ネットで乗っちゃったでしょ? それをたまたまお母さんも見ちゃったの」

 仁美が声優デビューしたことは、それなりにネットニュースに取り上げられていた。

 しかしそれを仁美の母親が目にしたとはちょっと意外な話だった。

「今お母さんが何をしてるかは知らないけど、お金に困ってたみたいで、それで私のところにやってきた」


 "仕事してるならお金あるでしょ"

 "ていうか、アンタがそんな良いところの学校に通ってるなんて知らなかった"

 "そんな学費を出せるお金があるなら、ママのこと助けてちょうだいよ"


「……って」

 仁美はそこで一度区切って、ため息をついた。

「私ね、お母さんが許せなくなって殺しちゃったの。私がまだ人間の時、妖魔になる前に」

 仁美は寂しそうに笑う。

「私は、一花ちゃんと二人で舞台演劇をするっていう夢をかなえたかった。私にとって、一花ちゃんと同じ夢を追いかけることが、たった一つの生きる希望だった。私が頑張れば、一花ちゃんもまた一緒に夢を見てくれるのかなって思った。みく姉ぇにお願いして、一生懸命声優のレッスンを受けて、いっぱい頑張ったのに……私が夢を追い求めれば追い求めるほどに、なにもかもが裏目に出た。私は一花ちゃんを追い詰めちゃって、私に近寄ってきたのは、私やパパを捨てて、お金目当てて現れたママだけだった……」

 その挙句、生みの親まで殺してしまった。

「私、もう生きる意味が分からなくなって、それで自殺しちゃったの。なのに、未練がましくこんな風になっちゃって、学校のみんなや、みく姉ぇまで殺しちゃった」

 仁美は自分の事をあざけるように、自分の身体を抱きしめる。

「だからね、私の死と、一花ちゃんは全然関係ない。だから私は一花ちゃんに死んでほしいなんて全然思ってないの」

「私のお父さんとお母さんも、もう生きてない?」

「………………………………」

 仁美は黙り込む。

 仁美は妖魔になる前に自分の母親の命を奪った。

 ということは、妖魔になった仁美の恨みの対象は、もう私のお父さん一人しか残っていないはずだ。

 私のお母さんはある意味とばっちりかもしれないし、夫の不倫に苦しんでいたかもしれない。

 私のお母さんが何を考えていたのか想像はつかない。

 もしかしたら一人娘である私の生活や将来を考えて、我慢をしたのかもしれない。

 思い出せば、仁美が亡くなった後、お母さんのお父さんに対する態度はとても冷ややかだった。

 それに最後に顔を見た時も、母さんは私に何かとてもいいづらそうな話があるような、そんな振る舞いをした。

 母さんは知っていたのだ。蓼原仁美は、父さんが不倫の挙句に陥れて破滅させた相手の娘であったことを。

 仁美からしてみたら、私の母さんはお父さんの不倫を知ってて黙認した共犯も同然で――。

 だからこそ仁美は、私の父だけでなく母まで――。

「ごめんなさい」

 仁美が謝罪の言葉を口にした。

「一花ちゃんがお父さんのこと尊敬してるの知ってたのに、私は、一花ちゃんのお父さんを憎む事でしか自分を保てなかった――一花ちゃんと二人になりたくて、一花ちゃんのお母さんまで巻き添えにして」

「私、本当に最低だよね」

「違う、仁美は悪くない! 全部私が悪いの!」

 仁美が自殺した動機が私と直接関係ないことは分かった。

 仁美が私の事をこれっぼっちも恨んでいないというのも本当だろう。

 でも、それでも私が仁美をストレスの解消と自分の欲求を満たすための道具にしてたのだって事実だ。

「仁美は私の事、本当に好きって言ってくれてたのに。私が仁美の気持ちにもっと向き合っていたら……」

 そして、お父さんに何を言われても、私が夢を諦めたりしなければ――、

「仁美の辛い事、なにもかも忘れさせてあげることができたのに……!」

「いいの、一花ちゃん。何もかも失ってようやく気付いたよ。私は、本当に一花ちゃんと一緒にいられれば良かったの」

 仁美は少しさびしそうに微笑んだ。

「将来の夢なんか本当にどうでもよかった。私が本当に欲しかったのは一花ちゃんだけだった。なのに私が、変に夢を見て、勝手に将来を期待して、それを一花ちゃんに押し付けた。……ごめんね。一花ちゃんだっていろいろ苦しい思いをしてたの、知ってたはずなのに。私のカセットテープを一花ちゃんに渡したのも、私は一花ちゃんのおかげで、こんなに幸せになれたって、そう伝えたかっただけ。本当にそれだけだった」

「仁美……!」

「お願い、一花ちゃん。私に、一花ちゃんの気持ち、ちゃんと聞かせて。お芝居の言葉なんかじゃなくて、一花ちゃんの本当の気持ち、本当の声で聞かせて」

 枢木みくりが言っていた。

 ――あなたにとって仁美は何?

 ――友達? それともストレスのはけ口のための便利な道具?

 ――それとも、ほんのちょっとでも、あの子と同じように恋愛感情を持っていた?

 ――あの子にとって、一番大事なのはそこなのよ?

 みくりの問いかけを、ずっとずっと自分に私は問いかけていた。

 そしてもう伝えるべき気持ちは固まっていたのだ――。

「仁美!」

 私は仁美の事をぎゅっと抱き寄せ、そして――、

「愛してる!」

「――――――――――――ッ!」

 仁美のぬくもりが、感情が、心が、私の中に入って混ざりあうのを感じる。

 仁美とする初めての唇と唇のキスは――、

 仁美に私の声のお芝居を褒めてもらえた時と同じくらい暖かくて幸せで、

 まるでクリームのように甘ったるく、この気持ちにいつまでも浸かり続けたいと思った。

「一花ちゃん……」

 唇から離れると、仁美は顔を真っ赤にして、目がうるんでいた。

「私は、仁美のこと大好き! 仁美と一緒に、もっといろんなことをしたかった! 仁美と一緒に、もっと色んな夢を見たかった! 仁美と一緒に、もっと愛し合いたかった! 仁美、愛してる!」

「あぁ、嬉しいなぁ。一花ちゃんからキスしてもらえて、そんな声を私に聞かせてくれるなんて……」

 仁美が見せた表情は、これまでになく幸せに満ち溢れたものだった。

「ありがとう。ありがとうね、一花ちゃん。私、一花ちゃんの言葉、忘れないよ。ずっとずっと一緒だよ、一花ちゃん――」


 だからね、ちょっとの間だけバイバイだね。

 ほんの、ほんの少しの間だけのお別れ。


「また会おうね、一花ちゃん――」

「うん、いつかまた会いましょう」


 気付くと、やわらかな朝の陽ざしが私の顔を照らしていた。

「ん、ん……」

 気付くと、私は仁美の部屋で倒れていた。

 仁美はどこにもいない。

 そして私の手には、仁美のおもちゃのガラガラが握られていた。

 それを私は胸に抱きしめる。

 仁美。

 仁美のこと、私は忘れない。

 仁美、大好き。

 仁美、愛してる。

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