言霊危機一髪
和泉 沙環(いずみ さわ)
言霊危機一髪
「こんな国、滅んでしまえば良いのに」
若者の時間と労力を搾取し平然と消費しようとする、所謂老害と言われる高齢者の言動を見た私は、嫌悪を込めて呟いた。
刹那。
コーヒーチェーン店に流れていた有線が聞こえなくなり、私は目の冴えるような眩い青空の下にいた。
冬の乾風が吹き荒ぶ寒空の
屋内にいた筈なのに建物が消え、遮蔽物が無くなった私の目の前には平原が果てしなく広がっている。
私が座っていた椅子とテーブル、周辺の床材はそのままだったが、それ以外のもの全てを排除したかのように消失していたので、私は瞬時にとてつもない事をしたと悟り──掛けていた椅子から立ち上がり叫んだ。
「ちょっ、
瞬間、頭にがつんと何か固いものが直撃したので私は頭を抱えて椅子に逆戻りする。
どさりと何かが転げ落ちる音がしたので、頭を摩りながら涙目で見遣ると、白目を剥いた髭面のバタくさいマッチョなおじさんが倒れていた。
(え。なにこのおじさん)
古代ギリシャの人が纏っているキトンのようだが、布の面積が少ししかないので体に引っ掛けてるようにしか見えず、筋骨隆々な肉体を見せつけるのが目的で、隠せる所が隠せればいいような感じの着こなしだった。
彫りの深い濃ゆい顔は印象的すぎたが、くるくるとウエーブがかかった無駄にツヤッツヤな長い金髪に目が行ってしまう。
そしてこのおじさん、背中と踵に翼があった。
明らかに人ではない存在だ。
このおじさんがこうなったのは、私が立ち上がった時に丁度おじさんが頭の上を通過しようとしていて、タイミングよくノックアウトするようにおじさんの顎を勢いよく頭突きしてしまったらしい。
そのおじさんはすぐに意識を取り戻して、顎をさすりながらすいーっと宙に浮かんだ。
「おまえ、やるなぁ。われの前髪を引き抜く勢いで掴もうとするヤツはいたけど、頭突きで仕留められたのは初めてじゃ」
アクアマリン色の青い目をキラキラさせて話しかけてきたマッチョおじさん。見た目は中年くらいなのに、好々爺な口調だ。
「……すみません」
すぐに意識を取り戻したとはいえ、白目を剥くほどの状態にしたのは私だったので椅子から立って頭を下げた。
「謝る必要はないぞ。強烈な力を感じたからちょっと気になって来てみたんじゃが」
マッチョおじさんはそう言って、周囲を見回す。おじさんの登場で忘れてしまっていたが、一瞬で何もかもが消えた事を思い出した私は、サーっと血の気が引く。
「…………」
「意図してやったわけではないようじゃな」
吹いていた乾風が止まっている。何となく全てが停止しているような感覚がした。
「
不敵に笑いそう言ったマッチョおじさん。マッチョおじさんの言いたい事が何となくわかったので、私は声を張り上げた。
「
直後、何も無かった世界が元通りになり、私はコーヒーブレイクしていたお店の奥まった席にいた。
街中のコーヒーチェーン店の中に、濃い顔の背中に翼の生えた露出気味のマッチョおじさんがいて、時が止まった状態だということを除けば元通りだった。
「これは凄いのう」
ほっほっほと笑うマッチョおじさん。私も、自分にこんな力があるなんて知らなかった。
「また会うこともあるかもしれんが、これからは気をつけるんじゃぞ。じゃあなー」
そう言って、謎のマッチョおじさんは壁を通過して何処へと消えた。前髪がくるんくるんとしていたのに、後頭部がツルッツルでピカピカだなんて思わなかったから、思わず爆笑してしまった。
マッチョおじさん、そんなところで笑いを取っていくなんて卑怯すぎる。
笑いすぎて出た涙を手の甲で拭いながら、椅子に座り直し、「はぁ」と息を吐く。
「
意識して声を出すと、停まっていた時間が動き出し、有線の音や雑多な音が世界を彩る。
空調が効いた暖かな空気と、コーヒーの香しい香りがして、少しぬるくなったカフェラテを口にした。
(よかった……)
これが私の非現実な日々の始まりだった。
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