22 展望台

「この先は?」

「とりあえず大通りに抜けよう」

 そういって、ぼくたちは二ヶ領用水を道なりに進む。

 ほどなく玉堤通りに出て、橋を渡って濃淡二色のレンガ敷き歩道を道なり南西に進み、川崎市立多摩病院を左手に高架の登戸駅の下まで行き着く。

「もう一ヶ所、寄ってみる?」

 とディーに訊く。

「遠いの?」

「考えようによってはね」

「じゃ、体力増強に励むかな?」

「そう、その調子だよ!」

「ではエンゲージ(出発)!」

 ディーのゴーサインが出たので登戸駅をやり過ごし、その先の踏切を臨む通りまで歩み、そこで左折して横断。駅に抜ける脇道には逸れずに道なりにまっすぐ進んで小田急線の高架を潜(くぐ)り、道を横断してからやはり道なりに向ヶ丘公園駅の方向に進む。しかし駅には向かわずに南下し、二重ガラスの中を水が滝のように流れ落ちる壁面が洒落た美容院や、ご当地の有名画家に因んだお饅頭を売っているお菓子屋さんなどを左目に一応六叉路の細い道を反対側に渡り――まぁ、ここで渡らなくてもいいんだけど――、信号待ちして府中街道を越え、ユルユルと進んで生田緑地の入り口まで達する。

「なるほど、ここだったか!」

 と、わずかに息を上がらせてディーが言う。

「ちっちゃかった頃、民家園に来たことがあるわ」

「プラネタリウムは?」

「それもあったかな?」

「ぼくは実はこっちのプラネタリウムの方は最近まで全然知らなくってね。本当に小さかった頃、渋谷の東急文化会館の八階にあった五島プラネタリウムに連れて行ってもらった記憶はあるけど」

「良く憶えているわね」

「禁色のヒトほどじゃないけどね」

「あれは盥だしね」

 それからディーが一瞬考え込み、

「でも、あの人には敵が必要だったんだと思う。自分が自信を持って生きる、いいえ、死ぬために……。最初の有名作にも一部書いてあるけど、はじめは医者の誤診だったとしても戦争に行かなかったのが彼の本当のトラウマで、だから論理を摩り替え、好きでもないゲイになったり、信じてもいない右翼になったりしたんだと思う。最後に擬似的な戦死をするために……」

 と、その作品の作者について論評する。

「社会の一般的排斥とマルクス・エンゲルスの思想だね。S社会主義共和国連邦がなくなってしまった今じゃ、その思想が強大な敵だったなんて思い難いよね」

「今日超大国のC国は、実のところ共産主義国家でもないしね」

 嘆息!

「で、山に登ったことは?」

「あ、それはないかも? ……でも憶えてないだけかなぁ」

「じゃ、枡形山登山に決定!」

 そう宣言し、生田緑地入口の電話ボックス先の遊歩登山道に進み、最初の階段部分を登る。

 ちなみにこの電話ボックス近辺は、

「わーっ、かわいーっ!」

「きゃっー!」

 と多くの入園客たちが携帯で写メする有名な美猫たちの生息地で、

「あら、こんにちは!」

 本日も石垣の向こうにそれが一匹観測される。

「そういえば、キミは写メとかしないよね? 携帯は持ってるのに……」

「全然撮んないわけじゃないけどね。記憶の中にあった方が鮮やかだと思われるものは写さない主義なの」

「なるほどキミらしいや!」

 コンクリート舗装された登り道はわずかで、その先は丸太が土に埋め込まれた階段になっている。大山とか、高尾山とか――城山とかを通過して尾根を抜けた先の陣場山とか――の山道と同じ整地方式だ。

「ふうっ、もう疲れてきたわ!」

 登りはじめて間もないのにディーの息があがりはじめる。

「きっつーい!」

 じっと足許を見る。

「いつも平地しか歩いてないからかしら?」

「関東平野は、どこでもほぼ平地だよ」

「いじわる」

 途中の道を、いつもは休憩用の東屋(あずまや)にいるネコたちが歩いていて、ディーを勇気づける。そこいらじゅうから鳥の鳴き声が聞こえてくる。スズメとセキレイとムクドリとオナガドリ以外の種類はわからないが、それ以上の種類の鳴き声が混ざっていることだけは確認できる。休憩用のベンチの辺りから常設展示された民家園の一部が見下ろせる。例の有名な白川郷にある家の背後も少しだけ臨める。

「ダメー、死ぬう!」

 ディーが相変わらず弱音を吐いているものだから、

「そんなにたいした距離じゃないよ。あの応急階段を上がってコンクリートの坂を抜けたらゴールだよ!」

 と励ます。

 日頃、逞しい女子ばかり見ているので、ディーの反応がちょっと意外で面白い。

「ゼイゼイ。わしゃもうだめじゃ……」

 とか言いつつ、ディーが歩みを止めずにその応急階段を上がる。

 夏の大雨……っていうか台風のときに道の一部が崩れて通行止めになり、その箇所を迂回するように設置された非常階段だ。いずれ道が修繕されれば、取り払われるのだろう。

「ほら、ゴールが見えたよ!」

 枡形城址の頂上公園を囲む塀が左手側を覆うコンクリート舗装の坂道まで達している。ぼくたちとは逆に山の頂上から降りてくる年配のご夫婦に挨拶して、いったん道を登りきり、反対側に進んで門を潜(くぐ)ってゴール。

「ぜーはーっ」

「大丈夫?」

 しかしその間、時間はせいぜい十数分しか経っていない。

「水が飲みたい」

「じゃ、とりあえずベンチに座ってて……」

 常駐してはいないが管理人小屋も兼ねているらしい木造家屋の壁側に飲み物の自動販売機が設えてある。

「何がいいの?」

 一本の木を挟んだベンチのひとつで休んでいるディーに叫ぶと、

「みずーっ!」

 と答える。

 それでディーにはミネラルウォーターを自分にはブラックコーヒーを買い、ベンチに向かう。

「はい、ご所望の品」

「ありがと!」

 飲んで、汗を拭いて、近くの水場で手を洗い、クモのいるトイレに寄って、昔の城の形を模した展望台に昇る。

 階段でもエレベータでも昇れるように設計されていたので、行きはエレベーターを試してみる。昇り切って開いた扉を抜けた先には四角い展望用通路が待っていて、頬に当たる風を感じながら、周囲を巡る。晴れていたので富士山も、方向は逆になるが新宿の高層ビル群もはっきりと見渡せる。もちろん、そこから程近い多摩水道橋も木々に邪魔されつつも良く見える。

「ここから見ても結構大きいわね」

「そだね!」

 ついで、

「ヘンなの、これ?」

 手すりの部分に据えてあった干支の動物を象った置物を見、ディーが感想を述べる。

 それから生田緑地内の高低差のある散策コースを移動し、岡本太郎美術館の近くに抜ける。その途中で、ディーってこんなにはしゃぐ娘だったのかと不思議になるくらい、ぼくの手をとりながら、きゃらきゃらと彼女が笑っている。

「寄ってく?」

「うん!」

 特別展示もあったので、ぼくたちは美術館に入ることに決める。そのときは新鋭の写真家たちが特別展示されている。エントランスを抜け、最初のホールにある券売機にお札を入れて二人分を購入し、一枚をディーに手渡す。受付のお姉さんに券をもぎってもらい、ついで半券と結構な量のパンフレットを渡される。

 岡本太郎といえば、やっぱり種々の普通ではない造詣の顔群を思い浮かべてしまうが――展示コースに入って、いきなり赤い壁に赤い顔だったからね――そのときは例のトゲトゲのある鐘(天長山久国寺の「歓喜」)のレプリカと太陽の塔のミニチュアとやっぱり顔の形に見える椅子群が印象に残る。

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