10 再訪

 それから、わずかに北上して国道十四号線を大宮八幡入り口信号機の所で渡り、裏通りを西に向かって和田掘変電所から計ると徒歩で五分くらいの『東京のへそ(=東京の人口中心)』の愛称で親しまれる大宮八幡宮で休憩。境内を外れて北側斜面の階段を下ると――坂道が石段で危ないので自転車はぼくが担当――そこは善福寺川・和田堀公園で、かつネコ場だ。昼頃だったら餌遣り人が現れて、巨大なネコが四匹くらい見られるのだけれど、

「いないわね!」

 その日の午後三時過ぎには残念ながら一匹も見当たらない。

 そのまま川の側道を景色を眺めたり、鴨を見やったり、送電鉄塔高井戸線を見上げたり、無邪気に喋り合ったりしながら、上流に向かう。さすがに疲れが溜まってきて、笑顔に張りがなくなったような感じ。

「来週は用事があるから逢えないかもしれないわ」

 JR線・荻窪駅の近く、善福寺川が環状八号線と打つかったところでディーが言う。

「明日は?」

「あ、そうか! 明日が日曜日か……。じゃ、それは偶然!」

「今度こそ、無理だと思うよ!」

「わからないわよ」

「そうかな?」

 環状八号線は渡らずに北上し、荻窪駅の方向に歩く。

「ウチ、寄ってく?」

「厚かましくない?」

「大丈夫よ、マママに気に入られてんだから……」

「他にご家族は?」

「おばあちゃんがいるけど……」

 時計を確認して午後四時半過ぎと知り、

「この時間なら、まだお散歩か、スイミング倶楽部で泳いでるわ」

「元気だね!」

「はじめたのが七十過ぎてからなのよ! 笑っちゃうでしょう? でも、わたしより運動神経がいいし……。もっとも、さすがに動きはゆっくりだけどね」

「腰とか痛くならないのかな?」

「骨が丈夫なんじゃない? 少なくとも、九十過ぎまでは生きる予定みたいだから……」

「すごい!」

 路線バスを避けながら環八上の道――橋?――を渡り、地下通路を通って線路をくぐると声がこだまする。地下通路を抜けると、一気に街が騒がしい。

「買物、頼まれてるから……。今日は付き合ってもらうわ!」

 駐輪場に自転車を止め、駅横のスーパーマーケットに入る。購入したのは、ほとんどが文房具。

「マママ、御用達類一式、ってね……」

 それから、ディーのウチに向かってのろのろと進んでいたとき、

「ね、今日、泊まってったら? それなら明日が今日に継続するから、奇跡が起きなくてもOKじゃない?」

 唐突にディーが提案する。若干慄きながら、ぼくが答える。

「遇ってまだ二週間目くらいの、そして識別記号しか知らない、しかも女の子のウチになんか、泊まれないよ!」

「まぁ、普通は、そうか?」

 けれども、

「あら、また来てくれたのね。嬉しい!」

 と玄関を抜けて三和土(たたき)――でいいのかなぁ――に入って中の様子を窺っていたぼくの姿を発見した途端、ディーの母親が叫ぶ。ついで、

「今日は晩ご飯を食べていってもらうからね!」

 と、すぐさま決断。

「ヒマなの?」

 とディー。

「今日は、そっ!」

 そう答えると、ぼくの顔をもう一回見て、

「買物行ってこようっと……。でも、その前に」

 とツツツとぼくの方に寄って来て、

「シャワーを浴びてらっしゃいな。汗だくじゃないの! その間におウチに電話しといてあげるわ。番号は?」

 と半ば強引にツルリとTシャツを脱がされる。短パンまで狙われているような気がしたものだから、

「ああ、これ!」

 と言ってウエストバックを渡しながら、

「生徒手帳に載っていますから……」

 ちょっと敵わないなと思いつつ、そう答える。あとはいわれるままにボディーソープなどを指定され、バスルームに押し込まれる。

 出てきたときにはいなかったから、買物に出かけたようだ……と思っていると、

「泊まってくことに決まったらしいよ!」

 とディーがぼくに告げ、

「えっ!」

 とぼくが驚く。

「母さんに、どう説明したんだろう?」

「さぁ、聞いてなかったから……」

 ちなみにシャワー後の着替えには成人男性用のスエット……っていうか、ポーラテックと短パンが用意されている。

「ときどき、若い俳優さんたちが遊びに来るのよ」

「何やってるヒト?」

「普通のシナリオ作家。まれに舞台脚本も書くけど……」

「ふうん」

「じゃ、わたしもシャワー浴びてこようっと……」

「え?」

「ほら、早くどいて!」

 階段の方を目で示し、

「部屋に上がっててよ」

「うん」

 居場所がないなぁ……。

 でもまあ、昔もそんなことがあったような、なかったような……。

 実は思い出したくない自分の過去を、そのときふっと思い出してしまう。

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