2 永遠の午後

 九月の学校では、永遠の午後が続く。

 ツァラトゥストラではなくて、エンゲルスの方だ。

 そういえば、エンゲルスの朋友マルクスの父ハインリッヒの元の名前はヒルシャル・ハレヴィ・マルクスで、結局その運動は失敗したけれども、ユダヤ人からキリスト教に同化していった一群の中のひとりだったらしい。

 アニメやゲームの基本設定を横目で眺めながら、どこまでも斜めにスライドしていけば、要らない知識がどんどん増える。スライドではなく、グライドか?

 ……とはいっても、そういった知識は学校の勉強の足しにはならない。ほとんどはね。

 もっとも可哀想だけれども本当にハードが上手く活動していない勉強嫌いの彼および彼女あるいはそれらの混交体たちと比べると学業成績はこれくらいで充分だとも思えるが、雑学は断片的だから繋がらない。そして相手を選び過ぎる。

 午後の太陽は憂鬱で、公立中学校のこの教室には冷房がない。よって朝だけど疲れ切っていて、もう帰りたいと切望する。小説を読む気も書く気も画を見る気も描く気も音を聴く気も出す気も、もう何もかもが全然しなくて、黒板前でチョークの粉を飛散させている社会科教師の声は風に流れて、あまりにも遠い。

 そんな、ぼおっとした頭で教科書のまったく違うページを開いて無造作に無意味に無自覚に非蓋然的に言葉を拾ってみる。

 あっ、ここは、けっこう面白いかも……。

 実際、そう思えるときが、ないわけではない。

 二つ前の席の特定中学校の制服好きはスマートフォンで裏サイト巡礼をしているようだ。

 ぼく自身は、ちょっと考えるところがあって――っていうか他にも理由があって――スマートフォン/携帯電話の類は所有していない。家族の用事でバイク便ならぬバイシクル便――っていうのか?――モドキのお遣いをするとき、強制的に持たせられることはあるのだけれど……。

 今までスマートフォンを身に纏っていなくて特に困ったことはないけれど、それはいつも、つるんで歩く友だちがいないせいだろう。遊び仲間はいるし、塾仲間もいるし、他の仲間はいるし、普通に考えれば親友に近いトモダチも数人いる。

 けれども――なんていうのだろう、その――そう断言するには違和感がある。

 彼や彼女たちが死んだら、ぼくは泣くのだろうか?

 まぁ、泣くか。トリアエズは……っていうか、悲しみはすると思う。

 でもそれは、自分の痛みではないかもしれない……とも感じる。

 はっきりとはわからないが……。

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