航海者、人類と出会う
春成 源貴
惑星プリモ①
琥珀色に染まった夕方の空に、大きな月が昇り始めた。地球のよりも何倍も大きな月は、少しオレンジ色がかっていて、おまけに薄い氷の輪がきらきらと恒星の光を反射している。
僕は、小高い丘の上にぽつんと建つ一軒家の庭に、小さなデッキチェアとテーブルを引っ張り出すと、地球産のブランデーの入った小瓶とグラス、それからチーズを盛った小皿を置いた。そして、最後に小さなラジオを置いて、チェアに寝そべった。
横目には、少し離れたところにある小さな街並みが、ゆっくりと夕刻を迎えているのが見える。
行き交う街人々はいつもと少し様子が違う。
普段は寂しく離ればなれに点在する街灯には飾りが付けられ、街のあちらこちらに篝火が焚かれ、お祭りの雰囲気を醸し出していた。
広場には、人と灯りと喧噪が集まっているのが分かる。
僕はブランデーを小さなグラスに注ぐと、舐めるようにして口を付けた。喉の奥が焼けるように熱くなり、芳しい辛さが口の中に広がった。
僕は改めて仰向けになって空を眺めた。満天の星空とはこのことだろうか?琥珀から群青色に移ろった空に、大小無数の輝きがうっすらと煌めく中を、少しずつ移動する光体があった。
視線で追いながら、目を凝らす。
突然、バタバタと古くさいエンジンの音がして、近くまで来て止まった。どうやら、赤いバイクが丘の下から登ってきて、家の前に止まった様子だった。
「エイド……随分と優雅だね」
「ああ、ご苦労さまです。優雅に見えるかな?」
郵便配達人だった。僕が子供だった四十年くらい昔から、この辺りをバイクで回って郵便を配っている男だ。
「そうにしか見えないだろ。今日は仕事は?」
「休みですよ。というか、今日は記念のお祭りの日ですから。働いている人の方が少ないんじゃないかな?」
「宮仕えはつらいよ。祭りの日にも休めやしない」
深く皺の刻まれた顔で苦笑いしながら、配達人のアルフは言った。よれた制服を生真面目に着こなした彼は、封書を何通か、玄関のポーチの郵便受けに突っ込んだ。
「私らみたいな地球人には記念すべき日らしいしな」
「まあ、地球人かどうかなんてことは、今どきは関係ないですけどね」
「まあいいさ、こだわる奴もいるってコトだ」
「ですね」
一瞬、沈黙が降りる。
「……長い旅路を経て、ここに来たんだよな?」
ぽつりとそう言ったアルフは空を見上げて、さっきまで僕が見ていた光体を指差した。
先ほどよりも、随分と紺色が濃くなった。闇に包まれ始めた空には、対抗するように星のきらめきが浮かび上がり始めている。さらに明るい月の光が、僕の家や、庭と眼下の街並みを銀色に染め、ぼんやりとした街並みの影にくっきりとした輪郭を付けていた。
「ここまでどれくらいかかったと思います?」
僕は今朝読んだ新聞を思い出そうとしながら聞いてみる。
「さてね。二千年くらいじゃないのか?」
「随分と長いですよね」
「まあ、こっちに来たのはついでらしいじゃないか」
「こっちの用事が本命じゃなく?」
「知らねえよ、そんな昔の話。目的はここじゃねえんだろうしさ。最初の予定は万単位だったらしいぜ」
「4万年?」
「空間跳躍航法が発明されたからこそ驚けるんだよな。何光年も先まで行くことになるって思ってたらしい」
アルフはそう言うと、肩をすくめてからバイクに戻ってエンジンを回した。
「いつもうちの前でだけエンジン止めますよね?」
「気のせいだろ?」
「……アルフさんは祭り……赤道祭には参加しないんですか?」
「もう少し仕事が残ってる。終わって間に合えばな。エイドはどうするんだ?」
「そうですね。まあ、ここでのんびりしますよ。アレは見えますし」
僕はそう言って、再びチェアに寝そべって空を見上げた。
「それもいいな。やっぱり優雅だよ、お前さんは。じゃあな」
アルフが一気にアクセルを開けると、郵便配達のバイクはあっという間に姿を消した。音だけが遠ざかっていき、やがて静けさがやってくる。とはいっても、遠くでざわざわと人の動く気配が辺りを漂っている。
特別な夜の始まりに付きもののわくわく感で、あの光体がすべてのわくわくの原因だ。
僕はぼんやりとしながらブランデーを口に含み、チーズを囓る。
頭の後ろに腕を組んで、月を見上げた。
とぼけた振りをするのも面倒くさいものだ。習い性にはなっているけれど。
空の十分の一を占める巨大な月は、変わらず恒星の光を反射して、薄いオレンジ色の光を放ちながら明るく輝いている。
あそこにも、人が住んでいる。ただし、地球人ではない。
いや、地球人も、僅かだがいるんだった。
訂正する。
ほどんどは地球人ではない。
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