第23話「勇気のバトン」
「犯人、ゴンさんだったんですね。
本当に見つけちゃうなんて、すごいなぁ、みんな。
・・・わたしも頑張らなきゃですね。
勇気出して、言っちゃおうかな。」
犯人獲捕の連絡に駆けつけた瞳美が、突然涙を浮かべて正雄に告白したのは、誠司がリサを連れ帰った直後、金曜の深夜10時半を過ぎた頃だった。
それまで涼介から密かに捜査の一部始終を聞いて、なっちゃんのサポートをしていた瞳美が突然話し始めた。
この事件の外にいた彼女が訥々と話し始めた事に、初めは何を言っているのかわからず僕と正雄はキョトンとして聞きいていた。
瞳美の言葉に反応したのはゴンさんだった。
もともと頬骨が目立つ痩せぎすの顔が、涼介に絞られたことで青鬼のような顔色になっていた。
その彼が、瞳美が話し始めるとソワソワし始め、やがて目が泳いで顔色は見る見る赤くなり、赤鬼のような恐ろしい形相になっていた。
そして、彼女が、「実はわたしも、」と言った瞬間にゴンさんは、
「やめろ!!」と叫ぶと、瞳美に飛びかかっていった。
反射的に僕は瞳美とゴンさんの間に体を滑り込ませ、背中を壁にしてゴンさんを抑え込んでいた。
何が起きているのか分からなかったが、震え上がり飛び退いた瞳美の表情を見て、それが本気であることを悟った。正雄は彼女の身体を軽々と持ち上げ、二歩、三歩下がると落ち着いた口調で言った。
「大丈夫。俺達が守るから。
言いたかったことを、もう言って大丈夫だから。」
「やめろ!言うな。頼む、言わないでくれ!!」
と叫ぶゴンさんを僕は背中で押さえながら、瞳美に握り拳でガンバレの合図を送った。
瞳美は、胸を抑え三度大きく深呼吸をした後、強く唇を噛んでキッとゴンさんを見据えると話し始めた。
「実は、私もゴンさんの被害にあって、、います。」
いつから彼女の中で棘となって苦しめていたのか、初めて聞いた僕らにもその痛みが伝わってくる、棘を絞り出すような告白だった。
僕と正雄はその思いも寄らない告白に啞然としながら、体育館裏で泣いているなっちゃんを涼介に任せて瞳美の告白を聞いた。
瞳美もゴンさんに誘われ、パーティーに行ったことがあったのだ。
彼女も他の女性社員に漏れず、入社するとすぐにパーティーに誘われていた。初めは2、3年目の若手男性社員から誘われ、お酒が苦手なのと所属部署や同期会が催される会社近くの居酒屋などと違い、土曜の夜に都心のクラブまで出向いて行くことに抵抗があり断っていた。そして何より、社内で聞くそのパーティーの噂に不安を抱いていたのが理由だった。
しかし、瞳美も入社5年目。庶務課の女性社員の中では中堅としてなっちゃんたちのような後輩社員の先輩として、設計部のリーダー格とはコミュニケーションは必要だった。
さすがに断ってばかりではと発起し、「一度だけ」と自分を説き伏せて、ゴンさんの誘いに応じた。
パーティーは予告のある週末、不特定の会場で行われていた。その存在は口伝に限られ、紹介無しには日時も会場を知ることは出来ない。
クラブを借り切った会場には、この会社の様々な部署の人たちが来ていた。居酒屋などで催される部署の飲み会とは違い、薄暗いバーラウンジには低音の気だるいハウスミュージックが流れ、ボックスシートに身をあずける参加者の表情は虚ろだった。
普段会社で見かける顔に混じり、OBや社外の人も混じっているのか全くの会ったこともない者もいた。
その日初めて参加した瞳美は、少し不安な気持ちになり、誘ってくれたゴンさんたちが陣取るボックス席から離れずにいた。
いつもと違う雰囲気の男性社員たちは、瞳美が飲んだこともない強い酒を勧めてきた。瞳美が断ると、帰りは送るからと強引に勧められ、最後には断りきれずその酒を飲まされた。
パーティーは中盤、盛りあがりが最高潮となった頃には、これまで経験したことがないほど酔った瞳美は、家まで送ってくれるというゴンさんの車に乗り込むとすぐに寝込んでしまった。
しばらくして揺すり起こされて気がつくと、そこはホテルの駐車場だった。
酩酊していた瞳美だったが、建物に連れ込まれそうになると必死で暴れて逃げだした。
ゴンさんは大声で何か叫んでいたが、ホテルの敷地の外まで追いかけては来なかった。
瞳美はしばらく住宅街をさ迷った後、なんとかタクシーをつかまえて、学生の頃からの友人の元に身を寄せその夜は事なきを得た。
それ以来、瞳美は職場では極力ゴンさんに近づくことを避けてきた。ゴンさんも何もなかったように瞳美に話しかけることはなかったという。
なっちゃんのストーカー事件の犯人を追い続けてきた僕らは、彼女の話が終わってもしばらくポカンとしていた。
彼女が両親同居の自宅から会社に通っていることを思い出し、ご両親にこの事を話したのか聞いた。
すると彼女は大粒の涙を零しながら首を横に振ると、この事はこれまで誰にも言えず、独りで耐えてきた事を明かした。
彼女には両親にだけは言えない事情があるのだと僕らに告白した。
彼女の気持ちを察して、僕と正雄はそれ以上聞かなかったが、いつも明るく僕らの仕事のサポートをしてくれている彼女が、時折見せる思い詰めた表情の理由がわかっただけでもう十分だった。知ってさえいれば何かは出来る。
瞳美が誘われたのは、この会社に噂されている秘密のパーティーその現場だった。
入社すると女子社員は皆誘われ、「断ると悪いことが起きる」という実しやかな噂が流されている事は、情報に疎い僕でも知っていた。
恐らくそれを運営するのが秘密のサークル組織で、涼介の見つけたそれは本当に存在していたのだ。
やはり、この事件の背後には何か大きな存在があるように思えてならなかった。
悪行を暴かれ生気が抜けたようにグッタリしているゴンさんを背に思いを巡らせていた僕は、瞳美の後ろからメラメラともの凄い熱量を感じて目を剥いた。
そこには真っ赤な顔で凛々しい眉を吊り上げ、大きく目を見開いてゴンさんを睨みつけている正雄がいた。
鬼の形相とはこういうのを言うのだろうなと妙に納得した僕は、全身の血管が今にも破裂しそうに浮き上がらせた正雄を見て諦めた。
「あぁっ、ごめん、ゴンさん。
もう止められないや。ご愁傷さま。」
背中が急に軽くなった。
ギョッとした顔で悲鳴をあげながら逃げ出したゴンさんを、獣のような雄叫びをあげながら正雄が追いかけていった。
僕はゴンさんの逃げ足が、正雄の脱兎を上回ることを祈った。
「お父さん、私の話を聞いて下さい。
私は、私も仲間を助けたい!!」
事件が解決したはずが、課長たちに呼び出されて絞られた月曜深夜。
自宅のリビングで瞳美は厳格な父親と心配そうに見守る母親に向き合い、生まれてはじめて父親に嘆願した。
そこには気弱なひとり娘ではなく、強い意志を宿した眼差しで父親を見据える女性がいた。
瞳美の父親はこの会社の創業期を支えたOBだった。当時、親の縁故で入社する若者は沢山いたが、瞳美もまた父親のコネでこの会社に入社していた。
しかし彼女にはそれがプレッシャーになっていた。
そんな彼女の経歴は職場の責任者たちは知っていたが、本人の希望で職場には伏せられていた。既にリタイヤしたものの、瞳美の父親の影響力は現在もまだ大きなものだったからだ。
そして瞳美は、その父親が人生をかけてつくり上げた会社で起きたこんな不実な出来事を言うこともできず、独りで抱え込んでいた。
元来、正義感が強く活発な性格の瞳美だったが、このことが原因で職場では控えめな振る舞いになっていた。
後輩社員のリサからのイジメに対しても、ゴンさんとの出来事も、波風を立てずに自分さえ我慢すればと耐えていた理由だった。
しかし、その脅威は後輩のなっちゃんにまで降りかかっていた。
そして今、それを救うべく立ち上がった、先輩社員たちもまた、心ない責任者に吊し上げられて絶体絶命のピンチを迎えていた。
「今度は私がみんなを救いたい」
それまで逃げ続けてきた彼女の心の中で、
碧い勇気の炎が灯っていた。
先輩社員たちが見せた、後輩社員を救おうと奮闘する姿は、瞳美の心の奥で小さく揺らいでいた灯りに、再び大きな炎を灯した。
それはあたかも聖火のように。
永々と紡がれる勇気のバトンのように。
仲間を想うその灯りが、彼女に進むべき道を照らしていた。
この夜、瞳美は生まれてはじめて、父親の誇りを傷つけることを恐れず、自分が体験した恐い思いと、後輩OLに降りかかった事件を告白した。
そして、それに立ち向かう職場の仲間が会社に理不尽な対応を受けていることを父親に打ち明けた。
彼女の訴えは1時間に及んだが、瞳美の父は何も言わずに最後まで聞いていた。
大粒の涙を零すことを厭わず、かすれるほど声を荒げて訴える愛娘を初めて見た驚きと、仲間の為に勇気を振り絞る娘の成長した姿に、久しく忘れていた熱いものがこみ上げていた。
想いをすべてぶつけ終え、興奮に震えている瞳美を父親は黙って抱きしめると、母親に部屋へ連れて行くよう目配せをした。
母親は優しく笑うと、精根尽き果てグッタリしている瞳美を部屋に連れて行った。
時計は深夜1時を回っていた。
瞳美の父親はリビングの電話を手に取ると、額に飾られた創業の荒波を共に闘った「仲間」の写真を手に取り声をあげて笑った。
愉快だった。ただただ愉快だった。
そして、頼もしく育った娘を誇りに思いながら、懐かしい番号に電話をかけた。
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