蛙に銭

 猫に小判、豚に真珠なんていう言葉があるが、今の流行りの行動はそれとまったく同じである。蛙に賽銭、文字通り何の意味もないものだ。


 ご利益があるだのなんだの言いふらした輩がいるのだろうか、そこはいつのまにか人々の行き交う人気スポットと化していた。蛙の桶に賽銭をなげて願いごとをすれば忽ち叶うという、ありきたりで胡散臭いやつだ。


 何も悩みなどがない様子の蛙を崇めていても仕方がない。そしてこんな輩に賽銭を投げたところで何かしてくれるわけでもないのである。


 ちょうどそんなことを言っている友人がいた。彼は熱弁家であり、話題のない私にもいつでもバリエーション豊かな話題を提供してくれる。とても忙しないやつだ。


「人は何かにあやかって己自身を納得させ力付けるのだ」


「神仏に縋るならまだしも、わざわざ蛙に縋ることもなかろう」


 そう言いながら、友人、もとい蛙は大変満足そうな顔を私に見せつけていた。



 平日の朝っぱら。店内には一人も客はおらず、閑散としていた。掃除も済み、手持ち無沙汰だった私は店内に飾ってある妙ちくりんな置物たちを眺めていた。オーナーが旅行先で買ってきたというそれらは普段こそ視界に入らないが、意識して見てみると不気味で違和感が拭えないものばかりであった。


 オーナーは気分屋だ。何度も店に足を運ぶこともあれば何日も来ない時もある。まるで抜き打ち検査のように、私たちの仕事ぶりや様子を見にきてくれる。といってもほとんどは旅行話や雑談しかしてこないのだが。


 あまりにも奇を衒いすぎたのだろうか、この店の売れ行きは若干右肩下がりである。立地的にも繁華街からの外れで見つかりにくい場所にあり、まず観光客は辿り着けない。近所に住む常連が二、三人寄ってくれるのが関の山であり、それ以外の収入は見込めないのが現状であった。


 ならなぜこんな大した給料も出ないこの店で働いてるのかといえば、


「静かだねえ」


 カウンターから置物棚の方にぴょんと飛び乗った蛙は喉を鳴らした。久々の来客は人間でもなく蛙である。それも小生意気な。見覚えのあるそれを普段なら邪険にするが、今はそんな気持ちすら起こらなかった。


「静かじゃないと寄ってくれないんでしょう?」


「そりゃそうだけどさ、にしてもここまで静かだとね。閑古鳥も鳴かないよ」


 置物をぺたぺたと触りながら「変な趣味をしてるのが悪いのだ」と私と同じことを言っている。


「大家さんがせっかく用意してくれた仕事だから、できることなら潰したくない」


「け、また貧乏学生ヅラか。家賃すら払えないのなら上京なんてしなければ良かったのだ」


 説教垂れながら蛙はべちゃっとその場で腰を下ろした。スライムのように面積が増していく。妙に寛いでいるその姿に、よくもまあこんなにひと様の場所でくつろげるものだと感心していた。その心の余裕さが今の私にとって喉から手が出るほどほしいものだというのに。


「なるようになるしかないのさ。人も。蛙も。それを受け止める覚悟だよ。足りていないのは」


「覚悟もなにも、ここで働けなくなるのは困るんだけど」


 店内BGMをかける。残念ながら私が聞きたい流行りの曲ではなかったが、これだけで多少は寂しさも和らぐだろう。


「仮に働けなくなったとしてお前には選択肢があるだろう。実家から通うか、他の働き口を探すか。蛙の頭でも考えつくぞ」


「蛙の頭は単純だなぁ」


「おや、これは嵐の前のような静けさにも感じるよ」


「というと?」


「来客さ」


 疑問に思っていると、程なくして一人の来客があった。あいにくこの店には扉がないから開く音も何も無い。蛙に言われないと気づかなかった。


「いらっしゃいませ」


 振り返ると蛙は置物と同化して固まっている。さっきの寛ぎっぷりはなんだったのかと言わんばかりの凛々しい姿にいささか腹が立った。来客の女の子は案の定その妙ちくりんな置物群を一瞥して、入る店を間違えたといった様子である。本当に申し訳ない。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 高校生だろうか、制服姿で浮かない顔をしている。体調でも悪いのだろうか不安だったが「ホットのコーヒーで」と注文してくれた。


 店内BGMをさりげなく下げる。私がコーヒーを準備している間、スマートフォンと睨めっこしていたその子はやはり気分が良くなさそうである。


 出来上がったホットコーヒーを持ってきた私は営業スタイルを崩して尋ねた。女の子は浮かない顔をしながら私の方を見やる。


「ごめんね、この店扉開けっぱなしで。寒いかな」


「ええと、大丈夫です」


 その時、蛙は女子高生の前に降り立った。私がギョッとしているのを他所に女の子の方は「あっ蛙だ!」といった具合に目を光らせている。何だこれ、知り合い?


「私のところに来て賽銭を投げてくれてた子だ」


「そうなの?ていうかよく覚えてるね。蛙なのに」


 女の子は私たちが話をしているのを目を丸くして見つめている。そんなに珍しいのだろうかこの光景が。


「もしかして蛙さんのお知り合いですか?」


「知り合いっていうか話し相手というか」


「あの私、今日高校の合格発表で・・・・・・それでもう少しで発表されるんですけど、良かったら一緒に見届けてもらえませんか」


 さっきまであんなに暗かったのに、そんな目をキラキラさせられても困る。それに大学の合格発表なんて、そんな人の人生の境目に立ち会うあんて大役つとまるわけが・・・・・・


「もちろん、見届けようじゃないか」


 蛙はなぜか意気込んでいた。なぜそんなに自信満々なのだろう。水気たっぷりな目を輝かせながら、蛙は女の子の持つスマートフォンの画面を睨みつけた。


「お前の受験番号は何番なのだ」


「224・・・・・・」


「よし、一緒にみよう」


「なんだろう、こんなに見られてるとちょっとだけ緊張してきた・・・・・・」


 一人と一匹の隙間から見守ること数分、先ほどの冷たかった空気は温かさを取り戻していた。


「あった!あったよ蛙さん!」


「うむ。良かった良かった」


「ありがとう!蛙さん!お店の人も!」


「おめでとう!」


 お祝いみたいなことをしてあげたかったけれどあいにくそんなメニューはない。融通がきかないのはこんな可愛らしいお客さんは今までほとんど来なかったからだ。


「そういえばどうしてそんな大事な時にこの店に来てくれたの?」


「なんていうか、知り合いの人と一緒にいたくなかったんです。スマホもマナーモードにして、とりあえずシャットアウトしたくて。この店は多分みんな知らないだろうなって」


 ふんわりとこの店をディスられているような気がしたが、店に来た時とは違う和やかな表情で会計を済ませた彼女を見て、まあいいかと思うようになった。


 私は蛙に尋ねた。彼女が合格することを知っていたのではないかと。


「いや、賭けだ。あの時に弱気な部分を見せて不安にさせたくなかったのだ。あやつが合格するかどうかはまた別の問題だ」


「じゃあもし不合格だったらどうしてたの?」


「慰めていたさ。そこで何も言葉をかけない私ではない」


 どうやらこの蛙は、自分の人気を肌で感じたせいかかなり自信を持っているらしい。そして今回、あの女の子が大学に合格したことでますます大きくなっていくことだろう。


「じゃあ試しに私もお賽銭しとこうかな」


「何を願うんだ」


「この店が潰れませんように」


「なかなか控えめな願いだな。お前らしいが」


「え?もっと大きなことでもいいの?」


「言っておくがその願いを叶えるのは自分自身だぞ。お前が頑張らない限り、その願いも叶わないんだからな」


 私は自分の財布から五〇円を取り出しその蛙に渡した。蛙はそれをぺろりと飲み込んだ。いやどうなってるのそれ。


「ダメだよお金は食べるものじゃなくて使うものだから」


「この金は今受け取って私のものになった。どうするのも勝手だろう」


 蛙もニタリと笑って店を後にするのだった。


 突然大家さんの大きな声が鳴り響いた。店番中にいつのまにか突っ伏して寝ていたらしい。抜き打ちのオーナーが帰ってきた、まさに最悪のタイミングでの所業であった。勢いよく起き上がると「これ」と頭を叩かれる。


「居眠りとは感心しないなぁ、とても夢見心地は良さそうだったが」


「すみません・・・・・・」


 オーナーは今日のお客さんの入りを確認している。「うーん、午前に一人、午後から三人だけか」とポツリと呟くと、気を取り直したかのように顔を明るくさせる。


「そうそう、今日はなんと新しい土産を持ってきたんだ。見てみろ、こいつはすごいぞ」


 随分と切り替えの早い大家さんは「じゃじゃん」と言って丸い置物のようなものを見せてきた。丸っこい大きな蛙の形をしたものが姿を現す。


「かわいいだろ、蛙の貯金箱だ。この口のところに小銭を入れてやると・・・・・・」


 そう言って五〇円を入れる大家さん。何だろう、この光景はさっきも見たような、いや見てないような。


 五〇円を飲み込んだ蛙の貯金箱はポンポンっと音を立てた。中にゴムのようなものが入っていて、小銭の落下の衝撃で音が鳴る仕組みらしい。腹づつみのような音で何かとクセになる。


「これを見つけた時にビビッときたんだよ。こいつは願いを叶えてくれる蛙に違いないってね」


 どこからその自信は来るのだろう。この店の経営も芳しくないというのに。でもなぜかこの人の笑顔を見ていると、何とかなりそうだという気持ちにされる、不思議な魔力がある。


 ひょっとしてこの蛙も・・・・・・。


 私は財布から五〇〇円を取り出し、その貯金箱に食べさせた。五〇〇円は腹の中で踊り、ポンポンっと大きな音を鳴らす。やはり小銭の大きさが大きいほど鳴りが良い。


 大家さんはその貯金箱をいつもの土産ものだらけの棚に置くと「じゃあ今日は私も店を手伝うかぁ」と袖をまくった。


「決意の五〇〇円、受け取ったからね」


 あたりはすっかり暗くなっており、扉のない入り口からはすでに観光客と見られるお客さんたちが次々と入ってきていた。

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