最後の教え子


 その場所には巨大な図書館がそびえ立っていた。

 

 図書館は円柱のようになっており、周りは透明の歪曲したガラスで張り巡らされている。そのおかげで図書館の内外からは外の景色を一望することができる。そしてなぜかその景色は不安定で日によって変化していき、美しいものから禍々しいものまで、様々な光景を映し出した。


 一階では教師とその生徒、二人が窓際に近い席で何やら話をしている。いつものように、勉強を教えているようだ。生徒らしき幼子は不服そうな顔を浮かべている。


「僕が最後の一人なんだったらこんなに勉強しなくてもいいと思うんだ」


 それを教師は笑って受け流している。


「君が君らしくあるためには学ばねばならない」


 それを遠くで眺めていたら二人は私に気づいたようで慌てて立ち上がり、お辞儀をした。私は二人を座らせて、彼らの向かいにある席についた。木製の椅子が軋む。


 窓には広々とした海辺に沈みかけた太陽がオレンジ色に照らしている。もうすぐここも暗くなるだろう。もっともそれはこの子が出発する頃になるだろうが。


 二人の邪魔をしてはいけないと思い、本棚から引っ張り出した一冊の本を読み始めた。おおよそ3000年前に書かれたものだ。彼らはお互いに手を取り合い、文明を築き上げながら大きな国を作ることを決意した、とある。最初は決まってこのようなものだ。彼らは競争を行い、勝者は常にその地位を確保しながら共生する、もしくは支配する立場に身を置くのである。


 目の前で勉強をする生徒にちらと視線をやった。私は気づかれないように先ほど以上に存在を消している。彼の時間は無論彼のものだ。私が介入するべきものではない。


 人々の多くは争いを求めた。争うこと自体を楽しむ者もいれば、争いのその先に秩序を見出そうとする者もいた。しかし結局のところ、相対する両者にとって共通することはどちらも争いなのであった。言葉を備えていたとしても、そこに感情がある限り、優位に立てなければ人を動かすことはできない。頭の良い彼らはいち早くそれに気づいたのである。


 多くの犠牲と喪失の中で人々は我に返る。そこで初めて今までの行いを反省する。つまり常に勝者でい続ける者には反省の機会が与えられず、何も変わらない。


 目には目を、歯には歯をという言葉。言い換えれば復讐は復讐を生みそれは永遠に積み重なるというものだ。損得で考えれば最終的に自分が損をしたままでは腹の虫がおさまらない。これが人々が争いを続ける原因になっている。それが何も生まないということを知っていたとしても感情がある限り抑えることはできない。


「・・・・・・準備は整いましたか」


 読み耽っている間に遠くで最後の教え子が身支度をしている。彼はまだ出発すらしていない。きっと寂しい思いをしていることだろうと、本を捲る手を止めて立ち上がった。

 

 教師は私がやってくるのに気づき再びお辞儀をする。私は慌ただしい教え子の前に降り立ち「もう行かれるのですか」と声を出した。何千年ぶりかの己の声に老いを感じた。「はい、お世話になりました」と立派な言葉が返ってきた。


「大先生、僕がいなくなったらこの図書館はどうなるの?」


「しばらくはお休みです。再び本が作られるまでは」


 聞きたいことが山のようにあるようだ。勉強をした賜物である。彼の姿は裕に数百年は見てきたが、ここまで成長するのは嬉しいようで少し寂しさもある。もっとも私より彼女ほうが付き添った時間は長いだろうが。


「この図書館は何階まで続いてる?」


「私も一番上の階まで行ったことがないのですよ。階段を上るのは疲れますからね。途中で数えるのもやめてしまいました」


「大先生でも疲れることがあるんですね」


「そうですね・・・・・・もう歳ですから」


 私が笑っていると生徒もそれにつられるようにして笑った。教師は「大先生を揶揄うのではありませんよ」と生徒を叱りながらも私たちが笑っているのを見て顔色が良くなっていった。彼女は多くの生徒を育てた一流の教師、しかしその裏では様々な苦悩があったことだろう。この最後の教え子の出立にいろんな想いを巡らせているに違いない。彼が旅立った後は私が彼女に付き添ってあげねばならない。


「じゃあ大先生。行ってきます」


「気をつけて、のびのびやっていきなさい」


「さようなら先生」


「学んだことはきっと頭では忘れてしまうでしょう。でも心では覚えています。その心を大切にするのですよ」


「ありがとう先生」


 私たちと抱き合った後、彼は元気よく扉を開けて図書館を後にした。扉が閉まる最後まで私たちは彼の旅路を見送った。


 彼が扉を閉めてからしばらくした後、外の景色はさっきまで見えていた太陽が地平線の彼方へ沈んでいくのが見えた。


「そろそろ私たちも出ましょうか」


「そう・・・・・・ですね」


 私たちが外に出た途端、図書館はたちまち大きな音を立てながら崩れ始めた。大きな地響きは辺りの景色を揺らし、壊れていく。

 

「あ、ああ・・・・・・」


 私たちは安全な場所にその身を置いた。天まで突き上がっていた建物は次々に崩落し、ついにてっぺんが見え始める。細長い塔はどこかでポキリと折れるということもなく、下の階層から順番に押しつぶされていった。半径十キロメートルくらいの被害がありそうだ。被害があったとしてもここにいるのは私たちしかいないのだが。

 

「やはり崩れましたか」


 彼女はそっと俯いた。私自身この光景を眼にするのは五〇〇万年ぶりである。それは私より彼女のほうがよっぽど辛く悔しい思いで溢れていることだろう。これが今まで旅立った生徒たちの結晶だったのだから。


「先生、お勤めご苦労様でした」


 彼女は肩を震わせて答えた。


「滅相もございません。私は幸せ者です」


「よく、がんばりましたね」


 そう言って私はそっと彼女の頭を撫でた。


 騒がしく崩れる図書館は長い時間私たちの耳を苦しめたが、それも夜が明ける頃にはおとなしくなった。


 ガラスの破片に気をつけながら、私たちはその中心部へと向かっていった。沢山の本が山のように積み重なる中、一番上にあった一冊の本に惹かれていった。最上階に置かれていたであろう、先程出来たばかりの新品の本である。図書館が崩れたおかげで、わざわざ長い階段を上って取りに行く必要が無くなった。


「見てください、こんなに綺麗な本」


「ああ、本当に・・・・・・」

 

 私たちはその本の1ページ目を開いた。最後の教え子が残していったものに違いなかった。

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