第3話「寄り道の先」
闘技場がどこにあるかは先程聞いていたので、道はなんとなくだがわかる。これでも昔から方向感覚だけはよかったのだ。あとはてんでダメだったけれど。
殊波は言われた通り、しばらく歩いて何度か道を折れ、闘技場が見えるところまでやってきた。
高さは三階建ての学校くらい。円形の枠に柱を立て、天井はないためそこから砂埃や歓声と時折悲鳴が上がっていた。
元の世界でいう、コロッセオ。
やはり闘技場を作るとなるとこうなってしまうのだろうか。ローマの人もここまでコロッセオのデザインが浸透するとは思ってもいなかっただろう。
そして闘技場の周りは、出店が多く、お祭りのように騒がしかった。
こちらの世界の文字は読めないので見た目と香りだけで判断すると、焼きイカや焼きとうもろこし、フライドポテトなんかもあるらしかった。
「おー……」
食の文化はあまり変わらないのだろうか。だとしたら少し安心できる。人間食べるものが急に変わると適応できずに体調を崩すらしいので、これで少なくとも最初から苦しまなくて済むわけだ。
美味しそうな匂いと人々の喧騒の中を歩いていると、朝から何も食べていない空っぽの殊波の胃が内側から腹を叩く。
「……もしかしたらお金も同じかもしれないしな」
手に握った五百円玉に期待を込めつつ、すぐ近くにあったポテトらしきものの屋台のおっちゃんに、
「すんません、これ使えます?」
と五百円玉を差し出してみた。おっちゃんは浅黒い肌で大きな口。頭にハチマキを巻いており、いかにも職人といった出で立ちをしていた。こんがり焼けて、感じのいいおっちゃん。
「ん?んー……?」
おっちゃんはしばらくそれを手に取ってみたり、裏返して観察していたが、
「んにゃ、こりゃうちの国では使えんよ」
と返してきた。
「そこをどうにか!」
粘ってみる。物は試しだ。
「できねえって」
「頼むよ!腹減って倒れそうなんだ!」
「じゃあそこで勝って賞金もらえばいいじゃねえか、兄ちゃん若いんだから」
おっちゃんは闘技場を指した。
「賞金?あそこって強い奴決めるんじゃないないの?」
「それは年に二回だけ。普段は賞金目当ての腕っ節つえー奴に金持ちが賭けてんの」
「どこの世界でも金持ちはとんでもねー遊びしてんだな……」
「ん?兄ちゃん他の国から来たのか?」
どこの世界、というワードに反応して、おっちゃんはどこか納得したような顔になった。
「他の国ってか他の世界というか……」
「他の国から来たなら金持ってねえ事もその顔立ちも納得できるな」
「やっぱ国ごとで人種とか違う感じ?」
「人種どころかエルフの国だってあるよ」
そう言っておっちゃんはにやりと笑った。
「おっちゃんは行ったことある?」
「エルフの国か?ないない。通行証作んのも金がいるんだよ。でも死ぬまでには行きてえなあ」
確かに、殊波が見てきた社会の環境では、他国に旅行出来るほどのお金が貯まりそうにはなかった。今日を生きるのに精一杯といった感じだ。
「そっか。頑張れ」
「おうよ、兄ちゃんもな」
「ところでポテト売ってくんない?」
「両替してこいっつーの」
相変わらず売らないの一点張りだった。とりあえず、おっちゃんの屋台から離れる。
だいぶ会話して、その流れで売ってくれるかと思っていたけれど、やはり商人として甘い商売はしないらしかった。
ポテトは買えなかったけれど、新しい情報はいくつか手に入れることができた。
一つ、あの闘技場では賞金目当てで戦う人間もいる。
二つ、殊波の持つ硬貨と似た硬貨がこちらの世界にも存在する。そしてそれが使われる国も存在する。
三つ、この世界で国を築いているのは人間だけではない。
これだけでも、大きな収穫だ。
「闘技場に行っても、異世界人なんていないだろうな……」
この時期は賭けの季節らしい。賭けをするのはよほどの大金持ち。もしこちらの世界にやってくる人が全員殊波と同じ境遇ならば、金銭的にも精神的にも余裕がない。
故に、賭けなどをするとは思えないのだ。
だとすればどうするか。
恐らくは元の世界と似た生活を求めて「安定した国」に向かうだろう。
殊波自身も「安定した国」に向かいたい。
というか、どうして転生先がこんな国なんだ。ハードモードも過ぎるだろう。心の中でそう悪態をつきながら、考えをより深く、先に進める。
「安定した国」を目指すためには、先程のおっちゃん曰く通行証が必要。通行証を作るためにはお金が必要。お金を得るためには、働くか、闘技場で勝ち進むことが必要。
働く……。
十五歳である殊波は正規労働、ましてやアルバイトもしたことがない。
故に雇ってもらう方法もよく知らないし、それだけの能力もない。体の若さを売りにして肉体労働をするか。
しかしこの国で働いてもお金なんて貯まらなさそうな気がする。
おっちゃんの話からわかったようにその日を生きるだけで精一杯になってしまいそうだ。
「密入国……とか」
いやいや、それはよくないと殊波は自制する。密入国できてもその後の生活で死ぬほど困ってしまうだろう。
ナシだ。
殊波は目の前の闘技場を見上げる。
誰かと思い切り喧嘩したこともない。
運動部に所属こそしていたが、既に現役ではないので、筋力や体力も随分と落ちている。
故に戦闘能力は皆無に等しい。
だから、闘技場で戦い、賞金を得る、なんて手段も取ることができない。
「詰みじゃねぇ……?」
誰にでもなく呟いてみると、どすんと腹に、その重みを感じる。
しばらくはあの交番でお世話になるか、なんて甘いことを考えながら、殊波は振り向いて、これまで歩いてきた道を戻る。
再び何度か角を折れると、闘技場の熱い騒ぎが薄くなり、何気ない日常音が殊波の耳に滑り込んでくる。
そして、それら全てを割いて自己を主張する、女の叫び声。
あまりに非日常的なその存在に、反射的にその方向を向く。
建物と建物の路地で、何人かの姿が見えた。
影が降りていて、何名いるか、そしてそれらの体格なんかはわからなかったけれど、思わず、走り出す。
殊波の体が、何かに弾かれたように。何かに引かれたように。
何かに、惹かれたように。
まるで、それが運命だとでもいうように。
「おい!」
声の限りに叫ぶと、数名ーー四名の男達は、地面に落ちていた「何か」を拾い上げ、逃げていった。
四人がかりで取り押さえれば、殊波なんて楽に勝てただろうに、そうしなかったのは何か事情があったのだろうか。
事情があったにしろなかったにしろ、男達が去ったことに変わりはない。
今はそのことに感謝して、男達から路地に目を向ける。
残されたのは、一人の少女。
腰まで下ろした真っ黒な髪は、倒れていたせいで多少乱れてはいるが、美しさは消えておらず、気品を感じさせる。そう殊波が感じるのは、白に近い碧眼で見つめられているせいでもあった。
「大丈夫?」
倒れている少女に手を伸ばす。
彼女は殊波の手を取って立ち上がり、純新無垢な笑顔と共に
「ありがとう」
と言った。
「可愛い……」
ありがとう、の一言はとても単純でありふれていたけれど、殊波の心を揺らすには十分すぎるものだった。
秋雨殊波、異世界にて恋の予感である。
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