野呂美幸は呪いの少女

野々倉乃々華

プロローグ



プロローグ



 七月始め。

 例年に比べ一週間以上早く梅雨が明け、一足早い夏の訪れを薄っすらと感じ始める頃。


 静岡県鳴間(なるま)市、高野台(たかのだい)高校の空き教室には一人の少女と一人の少年が向かい合っていた。


 時刻は平日の午後四時。少しだけ日が沈みつつあるも、まだ外は陽の光で照らされている。


 この日もいつもと変わらず、吹奏楽部の演奏の音と運動部の掛け声が彼方此方で響いていた。


 しかし、高野台高校の”存在しない空き教室”にいる二人の耳には届いていない。


 少年が少女に何かを訴えかけている。誠心誠意、少年は身振り手振りを加えながら自分の本心を偽り無く訴えた。

 少女は少年の言葉に目を丸くし、少年にも聞き取れぬ程の小さな声でポツリと何かを呟いた後に、少年の耳にも歯と歯が削り合う音が聞こえる程の歯ぎしりをした。

 少女は少年を睨み付けた。少女の憎悪の籠もった眼差しに少年は狼狽え、さらに何かを訴えた。

 だが、少女は溜め息をつくと少年の方に一歩、また一歩とゆっくり歩み寄った。


 少女は腕を伸ばし、少年を抱き締めた。


 少女は蛇が獲物を絞め殺すように、身体を密着させ、手と足を少年の身体に絡ませた。

 少年が少女の身体を引き剥がそうと暴れたが、しばらくすると、顔を真っ青にし、歯をガチガチと鳴らし、焦点が何処にも合っていない目を四方八方に向けながら身体を痙攣させた。


 少女が少年の身体を解放すると、少年の身体は液体のようにその場にズルズルと崩れ落ちた。

 少年の身体はしばらく痙攣を続けていたが、次第に電池の切れかけた玩具のように動きが不規則になり、最後にはピタリと動かなくなった。


 少女は無言で動かなくなった少年の身体を眺めていた。やがて、ポツリポツリと絞り出すように懺悔の言葉を口にしながら瞳を潤ませた。


 ガラガラガラッ!!


 少女の啜り泣く音だけが響く空き教室に、静寂を突き破る音が驚いた。


 ”決して開くはずのない空き教室の扉”が開いた音だった。


 少女が扉の方を見ると、そこには小太刀を手にし、腰まで届く髪の長さの少女が息を切らして立っていた。


 小太刀を持った少女の名は草薙幽子(くさなぎ ゆうこ)。高野台高校に通う高校二年生。幽子は草薙神社の一人娘である。


 幽子は、倒れている少年と立ち尽くしている少女を交互に見やった。そして少年のすぐ側に屈んだ。


「マコちゃん大丈夫!?」


 少年のすぐ側に屈んだ幽子は、少年の身体をうつ伏せの状態から仰向けになるように動かしながら言った。

 だが、マコちゃんと呼ばれた少年はピクリとも動かない。


「ねぇ、アナタがやったの?」


 幽子は少女に目を向けた。


 両者が睨み合い、長い沈黙が訪れた。


 その沈黙は、立ち尽くしていた少女が覚悟を決めるための時間だった。

 少女は爪が食い込むぐらいに拳を強く握りしめた。


「そう、だけど」


 立ち尽くす少女の言葉に、幽子はピクリと眉を動かした。


「ふぅん、そう」


 幽子は小太刀を自分のすぐ横に置いた。そしてポケットから御守りを取り出すと、少年の手の平に御守りを押し付け、無理やり握り込ませた。


「マコちゃんは、アナタを助けようとしてたの分かってたよね? 何でこんなことをしたの?」


 幽子は再び小太刀を手に取った。カチャリと不吉な金属の音が鳴った。


「私にも、分かんない」


 それは少女の本心だった。




 分からない。自分の心が分からない。


 誰が悪いの? 私? 私が悪いの? 何で?


 私は”呪われている”。悪いのは誰?


 呪われるようなことをした私?


 それとも私を呪った誰か?


 それとも、ありもしない希望の光を見せたこの男?




「分かんない、か。そっかそっか」


 幽子は「そんな言い訳が通ると本気で思ってるの?」と呟きながらゆっくりと立ち上がり、校内用のスリッパと一緒に靴下も脱いだ。

 そして、鞘から小太刀を抜くと鞘を床にそっと置き、剣先を相手に向け、いわゆる『中段の構え』と呼ばれる構えを取った。


 幽子が構えた瞬間に放たれた強烈な威圧感に、立ち尽くしていた少女は思わず後ろにあった窓に背中と後頭部をぶつけるまで後退りをした。


「別に痛くないよ。一瞬だから」


 言葉通り、一瞬だった。


 気が付くと、眉間から僅か数ミリの位置で小太刀が止まっていた。

 窓に後頭部と背中を当てていた少女は身動き一つ取ることが出来ず、ゴクリと音を立てながら唾を飲み込んだ。


 突然、幽子は誰もいない方に向かって声を荒げた。


「何でそれを早く言わないのッッッ!!」


 幽子は小太刀を少女の眉間から離すと、床に置いた鞘を拾い上げ小太刀を納め、少年の元へと駆け寄った。


 幽子が少年の握り拳をそっと開くと、握らせたはずの御守りは炭のように真っ黒になっており、手を開いた拍子に灰のようにサァアと指の隙間から零れ落ちた。


「そんな、足りないってこと? 『身代わり小指』はもう持ってないのに」


 幽子が虚空に向かって喋った。少しの間を開けて、幽子は虚空に向かって叫んだ。


「『契り』があるんでしょッッッ!? 助けてよッッッ!!」


 息を荒げながら虚空を睨む幽子。だが、依然として返事は少女の耳には聞こえない。


 少女には幽子が睨んでいるナニかは見えなかったが、直感で理解した。


 そこに存る。


 少女は意味があるのかは分からなかったが、”そこに存るナニか”に目を付けられないように息を潜めた。


 幽子はしばらく虚空を睨み付けていたが、突然怒りを露わにした。


「だったら、私がやる」


 幽子は虚空に向かって言い捨てると、一度深呼吸をし「もう大丈夫だからね」と少年の耳元で優しく囁くと、額と額を重ねた。


 時間にしては十秒にも満たなかったが、少女にとっては数十分にも感じる程の静寂。


 やがて、ゆっくりと額を離した幽子は口元を抑えながら空き教室の隅にあったゴミ箱に駆け寄り、ゴミ箱に顔を突っ込みながらゴボボボボと音を立てながら胃の中身を全て吐き出した。


 吐瀉物にはお昼に食べた弁当と思われるモノが混じっていたが、吐瀉物の大半は”赤黒いヘドロ”だった。


 幽子は目と鼻からも赤黒い液体を垂らしながら全ての元凶を一度睨み付けると、頭から床に倒れ込んで動かなくなった。


「フフッ、フフフフッ。”呪いは伝染する”。フフフッ」


 少女は込み上げてきた正体不明の感情に、涙を次々と流しながら歪んだ笑みを見せた。


「”呪いは伝染する”。だったら、呪いを絶つには元を絶たないと」


 少女は床に落ちている小太刀を拾い上げ鞘から抜くと、自らの首筋に刃をそっと当てた。


 少女の首筋にプクリと浮かんだ真紅の雫は刃を伝わり、鍔からポタリと垂れた。




 どうしてこんなことになってしまったのだろうか?


 全ては半年前に始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る