023譚 西端の山道を渡って(下)


 それは思いの外、激しい戦場であった。

 どこからかき集めてきたのか、風の王国の軍勢の数は多く、傍目には圧倒的。そんな光景を見て、マカヴォンが呆れた風に声を落とす。

 

「風の奴らも必死だな……すでに、あちらこちらを光に獲られてるから仕方ねえことだが」

 

 マカヴォンの言葉に、アラニスは顔を曇らせる。光の王国は侵略の国である。アラニスもまた、光の王国に下った国の者なので、その恐ろしさは身を持って知っている。

 しかもとくにここ数年はその勢いは甚だしく、光の王国はもう間もなく、大陸随一の大国へなりつつある。

 だが、その光の王国側へ主についている傭兵たちの興味は専ら、あれらに参加して暴れることである。数人の傭兵たちは口々に、「むしろ俺も加わりてえ」等と言っている。

 彼らの生き甲斐は戦うことと、それにより金銀財宝と女を手に入れること。戦士としての名声が付き、そして戦場で死ねればなお好ましい。


 一方、マカヴォン傭兵団の一行が乗り遅れたことに不平不満をこぼしている間、ケルバンはじっと戦場を見据えていた。幾人ものの敵味方の兵士たちが入り乱れ、なかなかに勝敗を決していないように


 だが、ケルバンはその動きを読み、厭な予感がした。


 それは傭兵団団長のマカヴォンも同様だったらしく、ふたりは同時に後方にいる者たちへ声を張った。

 

「「上へ上がれ!」」

 

 突然の指示に、アラニスは無論のこと、傭兵たちも驚いてビクリと体を震わす。だが、彼らの理解を待っているいとまはない。

 ケルバンはアラニスの襟首を掴み、馬から引きずり下ろすと、乱暴に肩へ担いで高く跳躍した。

「きゃ!な、何ですか!?」

 アラニスが悲鳴を上げるのとほぼ同時に馬がけたたましくいななく。傭兵たちの叫び声も鳴り響き――一瞬のうちに辺り一帯は凍り付き、馬や旅荷は氷の中へ閉じ込められてしまった。


「――荒っぽいやり方をするな」

 樹上で、ケルバンは独り言ちる。


 アラニスを連れては登りきれないと判断し、背の高い樹の上へ逃げ延びたのである。下を見下ろせば、山道からガヴェインへ降りる道の途中から、ガヴェイン前に広がる平原一帯が厚い氷に覆われている。

「なんだあ!?くそ!動けねえ!」

 傭兵の数人が叫ぶ。ギリギリ逃げ切れなかった者たちだ。彼らは脚先だけ、中には腰から下まですっぽりと凍結させられている。アラニスは茫然として彼らを見た。あれでは凍えて死んでしまう。

「いったい何が……何でみんな凍って……」

 アラニスは言葉を噤んだ。

 すぐに、その意図が解せたからである。西手の平原には、体の半分どころか、全身を氷漬けにされた敵兵たちの姿がある。何人かの味方兵は逃げ損ねて巻き込まれたようだが、指揮官の指示で退いて難を逃れた様子。

 そして氷の中で唯一、大剣を地面に突き立てて戦士がいる。白い羽飾りの兜――光の王国側の指揮官だ。その剣の鋭いには赤い雫が伝っている。

「これ、『精霊術』……」

 自国の言葉で、アラニスは呟く。あれは高位の神々へ呼びかけた産物だ。物質(水)と運動(冷気)の両方を併せ持つ、氷結を司る神。そんな神の気まぐれを繋ぎ止めるとは、大した腕だ。

 

「あいつ、水を使ったな」

 

 ケルバンの呟きに、アラニスは息を呑む。

(どうりで、こんなにも広域に)

 どんな力をどう使いたいか。それらをすべて事細かに呼びかけねば、神々は思い通りに動いてくれない。それはどんなに些細なものでも難しく、物質と運動を同時に操るなどもってのほか。故に、どちらか一方でも「元あるもの」を使い回せれば手抜きができ、かつ正確に力を行使できる。

(外は雪で、しかも山の近く。人間の体内にも水はあるから……それらを使って「物質」に関する呼びかけを省略したのね)

 つまり、凍りついている物や人、草木や獣は凍りついているのだ。


 ケルバンは樹から飛び降りると、平坦な声で呼び掛ける。

「おい、マカヴォン。あんたの部下をさっさと掘り起こせ」

「お、おう」

 応じたのは無論マカヴォンだ。彼は坂道を上がって逃れたのだ。マカヴォンは急いで降りて剣で突いて氷を割り、動けなくなっている傭兵たちを文字通り、「掘り起こす」。

「たく、ガヴェインの領主サマは見た目のわりに大雑把でたまらん」

 ガンガンと何度も氷を突きながら、マカヴォンが悪態付く。だが体内から凍りついた傭兵を引っ張り出すのはなかなか叶わない。


 ようやく樹上から降ろされたアラニスは未だにぽかんとしながら、

「領主さまってあの白い羽飾りの方ですか?」

「聖騎士ブライアン。ゴリゴリの聖騎士の血統の奴だ。年取って耄碌もうろくしやがったかあのクソジジイ」

 吐き捨てるマカヴォンに、アラニスは顔を引き攣らせる。

耄碌もうろくって……」

 アラニスは再び平原にある兵士を見る。遠目にも大木のような男だ。はっきりとは見えぬが、その蓄えられた髭の向こうには精悍な顔つきが垣間見える。

「四十くらいに見えますけど」

「聖騎士を見た目で判断しちゃあいけねえぜ」

 と無事だった傭兵のひとりが返す。聖騎士は神の血を濃く引く。そのためか、年を取る速度がゆっくりなのだ。ガヴェインの領主ブライアンは聖騎士の中でも年長に含まれ、今年八十三だ。

 その老聖騎士は、凍り付いた敵兵をそのままにして、味方兵の元へと戻って行く。だがふと立ち止まる。そして、ケルバンたちのある方角を睨め付けて声を轟かす。

 

「そこにいる者たち、何者だ」

 

 深く、平坦な声だ。その感情を感じさせない声はケルバンのそれを彷彿させる。

 マカヴォンは頭を抱えたい気分を堪えながら、農村部側へ一歩出て、大声で答えた。

 

「我々はマカヴォン傭兵団。王都サラスへ向かう途中だ」

 

 熊の咆哮のような声が平原へ響き渡り、木霊する。その声に覚えがあるらしく、ブライアンは蓄えた髭を撫でて低く声を鳴らす。

「マカヴォン傭兵団?ああ、貴殿か。久しいな」

 マカヴォン傭兵団はかつて、数度ほどガヴェインに雇われていたのである。ブライアンは部下たちに後始末を命ずると、ケルバンたちのいる方角へ歩き始めた。無論、地面が凍りついているので、徒歩で。それを見てマカヴォンはひと言。

「げ。こっち来んのか」

「苦手なんですか?」

 アラニスはきょとんとして尋ねる。マカヴォンは苦々しい表情を浮かべ、

「まだ小僧なティスカールの聖騎士のが扱いやすくてマシだ」

「はあ……」

 気の良いマカヴォンでも苦手な人間はいるらしい。あの素っ気ないケルバンに熱を上げている(語弊のある言い方だ)のに。


 ふと、アラニスは何となしに気になって、ケルバンの方を見た。 

「ケルバン?」 

 ケルバンは声もなく唇を動かし、ダークグレイの外套マントの下で顔を手で覆っている。何をしているのかとアラニスは小首を傾げ、そんな彼の顔を覗き込もうとする。

「どうしたのですか、ケルバン?」

「――別に」

 二度目でようやくケルバンは答える。顔の包帯の上から手を離し、顔を上げる。その頬には汗が伝っている。寒いというのに。

「具合が悪いんですか?」

「問題ない」

 ケルバンは短く返すと、ついと後方へ顔を向ける。すると、マカヴォンが低く呻くように声を鳴らした。

 

「おいでなすったぞ」

 

 マカヴォン傭兵団の隊列の向こうから、馬の蹄が雪道を蹴る音と共に白い羽飾りの兜をした戦士の姿が見え始めた。聖騎士ブライアンである。



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