1・北の谷の戦い・壱

 東の山の端から顔を出した満月に少し足りない月が谷を照らし始める。それでも尚、目の前の隘路は左右に迫る灌木や背の高い草叢の作り出す影に因って闇に包まれ先が見渡せない。


「板屋が裏切った…三田寺は総崩れだ。俺がこちらに向かう時は殿が殿で敵を食い止めて下さっていたが…お前の予想した通りになってしまった…」


見通せない隘路の先を睨みながら、頭の中では急を報せた忠泰叔父の言葉が繰り返す。

 後ろに控える五十人を超える山之井の民や兵の視線を感じる。味方の敗走は皆が知っているのだ。大将の俺が狼狽える訳にはいかない。

 気を抜くと震えそうになる両膝に力を入れ直すと背筋を伸ばして暗闇を睨み直す。


 そこへ松吉が駆け戻って来る。

「大勢が逃げて来るぞ。多分三田寺の若殿だ。」

「よし、柵は正面はまだだ。だがすぐ差し込める様にしておいてくれ。横は設置してしまえ。」

幅が一間(約1.8m)程しかない隘路の出口を柵でコの字方に囲んで三方から叩いてしまおうという腹なのだ。しかし、本当にギリギリだった様だ。


 隘路の奥から戦の音が聞こえ始めるとすぐに二十人程の集団が走って来る。全員が徒だ。総崩れと聞いて居たがどこかで立て直した様で、ある程度の隊列が保たれている。

 当初の半分以下とはいえ、これだけの人数が居れば出来る事も増える。しかし集団はこちらの姿を認めて慌てて立ち止まる。

「典道叔父上、若鷹丸です。早く!!」

俺がそう叫ぶと、集団は再び走り出し、柵の隙間から次々三田寺勢が飛び込んで来る。

「若鷹丸、すまん。助かった。」

衰弱した様子の叔父が言う。

「御無事で何よりです。して、状況は?」

「すまん、若鷹丸…成泰殿を喪った…」

ひゅっ…誰かが息を飲む音だけが響く。山之井の民に父はそれだけの信頼が有ったのだ。それだけ頼りにされていたのだ。それがこの沈黙に良く表れている。それをたった今から俺が引き継がなければならない。

「真に見事な最期で御座いました…あれぞ鬼神の如きお姿かと…」

叔父の横に居た男がそう付け加える。お目付け役として付いて来た男だ。名前は何と言ったか…だが、

「その様な事は後だ。状況はどうなっておると聞いている。」

自分の腹から出たとは思えぬ声が溢れ出す。

「ひっ、大迫殿が隘路の入り口で敵を食い止めると…」

成程、先から聞こえる声はそれか。


「孝政…爺の所まで行けるか?」

「は、は?」

突然話を振られた孝政が固まる。

「爺の所まで走って急ぎここまで下がれと伝えろ。ここで取り囲んで一網打尽にする。落ち着いて下がれと伝えよ。」

「わ、分かりました!」

慌てて孝政が走り出す。怖気付くかと思ったがしっかりとした足取りで走って行った。

「叔父上、ここで敵を迎え撃ちます。三田寺勢も協力して下さい。」

俺の言葉に典道叔父は目を泳がせ、隣の男は泡を食った様に捲し立て始めた。

「な、何を言っているのだ、こちらは死ぬ気でここまで逃げて来たのだぞ!もう戦う力等残っておらん!」

「このままでは山之井は敵の手に落ちる。三田寺領も背後を突かれるぞ、守りは残っているのか!?」

俺がそう言い返すと男はぐっと言葉に詰まる。

「それに、このまま敗走してみろ。叔父上の家督すら危うくなりかねんぞ。お前達の家中での立場とてどうなるか。」

声の調子を落としてそう続ける。

「若鷹丸の言う通りだ。このままでは帰れん。」

意を決した様に典道叔父がそう言う。

「若!しかし、御身に…」

「このまま帰る位なら死んだ方がマシだ!お主等が、我等が横手を攻めると言い出したのだ、成泰殿に救われてこのままおめおめと戻れる訳が無いだろう!」

典道叔父がそう一喝する。


「良し、正面は中之郷と下之郷の者に任せる。率いるのは大叔父だ、全体の面倒も見てくれ。引いて来た爺とも協力して敵を食い止めよ!」

「心得た!」

行賢の大叔父が答える。

「右は狭邑衆だ。行昌叔父頼むぞ。」

「畏まった。」

「三田寺勢は左を頼みます。この狭所で三方から取り囲めば十分勝機が有ります。」

「わ、分かった。若鷹丸、お主はどうするつもりなのだ。」

三田寺勢の気が変わらぬ内に間髪入れずに指示を出す。三田寺が我等の下に付く形になるが混乱も有り誰も気が付いていない様子だ。

「俺は後ろに回ります。上手く行けば四方から敵を囲い込めます。無理でも側面を突けるでしょう。」

「よ、良し、分かった。無理はするなよ。」

典道叔父の中でも勝機が見えたのだろうか、少し表情に落ち着きが戻る。


「狭邑に弓持ちはいるか?居たらこっちに回してくれ。」

そこに進み出たのは、

「正助!?お主隠居したのではないのか!?」

五十を大きく越え、山で獲物を追うのが流石に厳しくなったと近頃弟子に後を継がせて隠居した猟師の正助だった。後ろには弟子を二人連れている。

「へへへ、若様がこの谷に行くってんです。儂がお供せんと始まらんでしょうと思いましてな。」

六年前、この谷を始めて調査した時の事だ。

「全く、年寄りの冷や水だぞ。だが心強い、三人で誠右衛門の下に付いてくれ。誠右衛門、左の隠し道を行け。俺達城の者は右から行く。松吉と霧丸は誠右衛門の方だ。道案内をしろ。子供達も連れて行け。死なせるなよ。」

「わ、分かりました。」

「わ、わかった!」「わかりました!」

「敵を引き込んだら、俺の「放て」の掛け声でありったけ撃ち込め。間違っても対岸の俺達や柵の味方の方に撃つなよ。それから有りったけの大声を上げるんだ。石が無くなった奴も叫び続けろ。」

「分かりました。」

「それから「掛かれ」の掛け声がしたら全力でここまで戻れ。戻ったら石を拾い直して他の投石隊に合流してくれ。」

「「放て」で大声で撃ち、「掛かれ」で引き上げですな。分かりました。」

ちょっと不安になる位要点だけを抑えた返答だが戦場ではその位単純な指示の方が良いのかもしれない。


「残りはすぐそこの左右の斜面に登って、茂みの中から石を投げろ、斜面を登ろうとする敵は棒で突き落とせ。」

「「応っ!!」」

「二人とも、待ち伏せする広場は手前の方だ間違えるなよ。」

「分かりました。」「分かった。」

そう言うと二手に分かれて我々は左右の微高地を進んだ。

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