愛より覚悟ではじめよう

古都瀬しゅう

第1話 中学教師の、ある誕生日

 『面談時間終了です。ただちに解散してください。面談内容は録画されAIによる要旨が教育委員会に自動送信されます。お疲れさまでした』

 自動音声が流れ、僕はほっと息をつき、隣の校長も同じだと感じた。区立中学校の面談室で生徒の母親からのクレームを規定の15分間、拝聴したところである。

「南部先生、くれぐれも、うちの子の才能を潰さないでくださいね」

「はい。心がけます」

 僕は真摯に頭を下げ、二十代に見えるのに偉そうな母親を見送った。実際、彼女は四十歳で、僕より年上だ。

 僕は中学の理科教師、南部恭也なんぶきょうや。今日、三十五歳になった。親のクレームは誕生日などおかまいなしにやってくる。とはいえ僕が生まれた2024年ごろはAI監視も時間制限も無かったから教師はもっと大変だったらしい。今年は2058年、三学期が始まったところである。

「南部先生は相変わらず、AIを煙に巻く言い訳がうまいわね」

 隣で校長の原田木蓮はらだもくれん女史が小気味よさそうにほほ笑んだ。

「お褒めにあずかり光栄です」

 彼女に褒められると、それが嫌味だろうが舞い上がってしまう。片思いも三年目。瞳が優しくて女らしい顔立ちなのに、職業と立場に固執した常に威厳のある立ち居振る舞いは、僕をぞくぞくさせる。

 つい見惚れている僕を原田校長は遠慮がちに見て、つばを飲み込んだ。言いにくそうだ。もうすぐ学年末。もしや人事異動だろうか。片恋の終わりを覚悟した。

「南部先生、今日、お誕生日でしょう?もし他にお約束が無ければ、ご馳走させてくれない?」

「えっ!もちろん約束なんて無いですけど、いいんですか!?」

「まわりがどんどん不老治療を受けて、お酒が飲める友達が減っていくの。南部先生、まだでしょう?飲めるわよね?」

「そのとおりだけど、まさか原田校長もまだだったなんて…てっきり…」

「実は五十近いと思ってた?」

「いや、その…うー」

 はっきり年齢を考えたことは無かった。ただ見た目より「偉そうにしようと頑張っているな」と思っていた。

「私、三十四。今日から二ヶ月は先生より年下だから」

 そう言った原田校長の頬には、ほんのり赤みがさしていて、僕は自分の顔も熱くなるのを感じた。二ヶ月後に誕生日ということは、同じ学年じゃないか。


 十四年前、日本では老化細胞を除去し生成も止める遺伝子治療が確立され、二十歳以上、三十五歳以下ならいつでもそれを無料で受けられるようになった。治療をうければ老化が止まり、老化に関わる病が予防できる。主な目的は人口減少の補完だ。身の回りには二十代に見える四十歳とか、三十代に見える五十歳とかが溢れている。女性は二十歳前後での卵子の凍結保存が無料化と共に推奨され、不老治療とのセットでいつでも出産が望めるようになった。効果的な少子化対策と言われている。


 ただし老化を止める弊害は癌にかかると進行が速いことだ。癌につながる飲酒、喫煙、ストレスなどの排除は不老治療完了者の義務である。てっきり<完了者>だと思っていた原田校長と酒を酌み交わすことができるなんて、思ってもいなかった。






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