187話 ただいま

 水の匂い、紙の匂い、衣服の匂い、コーヒーの匂い、日本っぽい和の匂い。


 清潔で優しい芳香剤の匂い。


 アメリカとは全く違う匂い。


 日本の空港に降り立った私は、空気の違いを再確認した。


 十二月に来た時は、冬だったので冷たく澄んだ空気という印象だったが、今は少し暖かくなったせいか、より日本の匂いを感じていた。


 アメリカの匂いは濃い。そんな場所に五年もいた私は匂いに鼻が慣れてしまっていたせいか、より敏感に日本の匂いを感じるようになっていた。


 アメリカ以外でも外国人の体臭というものは、日本人とは全く違って人によっては臭いと思うだろう。

 普段からそういった環境にいたため、慣れてしまっていた部分もあるが、私がいた学校は両親のお陰でお金持ちの子供が多い学校だった。

 だからか、身なりにも気を遣っている生徒も多く、臭いと感じることは少なかったが、それでも最初のうちは体臭は濃いと感じた。



 十二月二十四日。


 光流に抱き締められて、抱き締め返したあの時。

 光流からはとても良い匂いがした。


 今まで人の体臭が濃い環境に身を置いていたせいもあるかもしれない。

 日本人は体臭が薄いと世界的にも言われているそうだ。


 だからか光流の匂いは薄く、仄かに香る柔軟剤とそれに混じった汗混じりの体臭。

 あの時、走ってきたみたいだったので、多分服の内側は汗をかいていたのだろう。


 それが良い具合に混ざりあったのか、とても良い香りに感じた。

 外国に慣れた私の鼻は、その時から光流の匂いに染まっていった。


 そうして、ついに帰ってきた日本。


 空港の中の色々な匂いと外の空気。

 約三ヶ月ぶりに日本に戻ってきたんだという感覚と共に、光流の匂いが恋しくなる。


 早く触れたい。くっつきたい。抱きつきたい。


 冬に日本に戻った時には、付き合っているわけでもないくせに、馬鹿みたいにくっついて。

 でも、光流も私とそうしたかったように、抱き締めたり手を繋いだりした。


 好きな人とあんな体験を一度してしまうと、それはもう何度でもしたくなる。


 光流、帰ってきたよ。

 今度はアメリカに戻ったりしない。


 本当の、本当に。

 日本に帰ってきた。


 早く、直接会って光流に伝えたい。




 ◇ ◇ ◇




 冬矢と楽器屋にギターを買いに行き、しずはや深月と一緒にセッションをした日の夜。


 ルーシーから日本に到着したと連絡があった。


 その日は家に荷物を置いたり整理したり、少しだけ部屋づくりするということだった。


 長時間の飛行で疲れているはずなのに、ルーシーは結構タフだ。

 アメリカの中学校にいる間、色々なスポーツをしたらしい。


 サッカーやバスケ、バレーや陸上など様々なスポーツに挑戦する機会があり、シーズン毎にやるスポーツを変えて短期集中でやっていたとか。

 その話を聞く限り、ルーシーはかなり動けるし、スポーツもできるようだった。


 勉強もできるしスポーツもできる。つまり文武両道というわけだ。

 正直俺は走ることはできるが、スポーツはほとんどできない。

 だから、それができるルーシーを尊敬している。


 そういった運動も経験してきたせいか、体力はあるようだった。

 俺よりも入院していた期間は少し長かったはずだけど、よくそれだけ動けるようになったものだ。



 メッセージをやりとりしている途中、ルーシーから入学式前に会いたいと言われた。

 なので、日時を合わせて会うことになった。


 その約束だけメッセージで交し、今日はもう遅いので寝ることとなった。



 俺はふと、横になっているベッドの上から机に置かれている一枚の封筒を見やる。



 その封筒には、『秋皇学園高等学校』と書かれた文字が刻まれていた。

 つまり秋皇学園からのお手紙だった。



「ふふっ。まさか俺がね……」



 実はこのお手紙、結構前から届いていた。

 どのくらい前なのかというと、合格発表から数日後、今からだと約二週間前ほどだろうか。


 最初手紙が届いた時は、何のお手紙なのかと。

 まさか合格は取り消しされたのではと一瞬不安になったが、全くそんな内容ではなかった。


 もっと驚くべき内容だった。



「ルーシー、驚いてくれるかなぁ」



 入学するまでは、秘密。


 ルーシーを驚かせたい。


 そして、親友の冬矢にさえこの内容は話していなかった。

 ついでに他のやつらも驚かせてやろうと思っているからだ。


 多分、何かルーシーと勝負した時には、彼女に勝てるものはほとんどないだろう。

 勝ち負けではないが、今回だけは誇っては良いのではないだろうか。


 ルーシーが驚いてくれるかわからないけど、これは入学式までの俺の楽しみの一つだった。




 ◇ ◇ ◇




 三月末。数日後には秋皇の入学式。


 ついに高校生活がスタートする。


 その日が近づくにつれて胸が高鳴る一方、今日は別の意味で胸が高鳴っていた。



 この日、俺はルーシーと三ヶ月振りに会うことになっていた。


 もちろん待ち合わせは、あの約束の場所。


 今度こそルーシーが日本に戻ってきたことを祝う日。


 俺はできるだけお洒落に服装と髪型と整え、もらったヘッドホンを装着して歩道を歩いていた。


 背中には少し分厚い黒のギターケース。

 透柳さんからもらったギターケースよりも少ししっかりしている。


 その重厚感を味わいながら、目的の場所へと歩く。



 交差点を通りかかり、緑あふれる並木道を抜け、レンガ調の公園の入口の前まで辿り着く。



「ふぅ……」



 深呼吸を繰り返し、最後に長く息を吐く。


 草木の匂いが鼻に吸い込まれ、春がやってきたことを十分に感じる。

 一歩、一歩、舗装されている土の道を歩く。


 砂場やブランコを通り過ぎた場所にあるのは、懐かしく、ずっと変わらないドーム型遊具。


 俺は、腰を低くして入口の穴をくぐり抜ける。



「――――」



 長い金色の髪が、俺が穴を通ってきたことによる小さな風によって、ふわりとなびく。

 いくつかの穴から差し込む外の光がその金髪を神々しく照らす。


 体育座りで体を丸めていたその人物が伏せていた顔をゆっくりと上げる。


 最初に会ったあの時とは違う、泣いてなんかいない表情で。


 長いまつげにくっきりとした眉毛。大きな目の中にあるのはサファイアのような碧眼の瞳。

 少し彫りが深くお人形さんのように小さな顔の中心にあるのは筋が通った綺麗な鼻。ぷるっとした唇は薄紅色に艶めいて。


 そして――透き通るような透明感溢れる真っ白な肌。


 はじめからなかったかのように彼女を長い間苦しめていた病気は、見る影もない。

 太陽の強い紫外線にも負けない、吹き出物一つないきめ細やかな肌は、全てを反射するように輝いていた。


 この世で唯一『綺麗』だって、心から言える人物。言っても良いんだと思える特別な人物。


 その人の名前は――、



「――ルーシー」



 世界で一番大切な人の名前を呼んだ。


 彼女の青い瞳の視線が俺の黒い瞳と交わる。



「――光流」



 女の子らしい、透明感のある美声に名前を呼ばれる。



「今日は早めに来たつもりだったんだけどな」

「私、もう光流を待たせたくないから」



 イブの日、トラブルが遭ったとはいえ遅れてしまった。

 だから今日は早めに公園に行って、ルーシーを待とうと思っていたのに。


 なのに、ルーシーは俺よりも早く公園に来ていた。


 ルーシーは、五年待たせてしまったことには吹っ切れていたはずだが、ギャグなのかそうではないのか微妙な返しをした。



「たまには待たせてよ」

「ふふ。ならもっと早く来るしかないねっ」



 イタズラな微笑みで、ハートを射抜くルーシー。

 高鳴っていた胸は、さらに高鳴る。



 俺はルーシーの隣に腰を下ろす。

 気温が上がり、暖かくなったとはいえ、ほとんどが影になっているドーム型遊具のコンクリートの地面は少し冷たかった。



「ルーシー、寒くない?」

「寒くないよ。光流が来るまで少しだけ体動かしてたから」



 ルーシーの言葉の意味。

 その答えは彼女の隣にあった。


「ギター、持ってきたんだ」

「なんとなく、ね。でも光流だって……」


 つまり、ルーシーはこの場所で少しギターを弾いていたということ。

 そして、俺もルーシーも互いにギターを持ってくるなんて約束はしていなかった。


「俺も、なんとなく……」


 そう言いながら俺はギターケースからギターを取り出す。


「あ……」


 ルーシーが俺のギターを見た瞬間、何かに反応する。


「俺も驚いたよ」


 その意味は、俺とルーシーのギターにあった。


「それって、ギブソンのレスポールだよね?」

「うん」

「私のと一緒……」

「そうだね。色は違うみたいだけど、一緒だ……」


 そう、俺とルーシーのギターのタイプが一緒だったのだ。

 俺のギターはオレンジに近い濃いナチュラルカラー。一方のルーシーは真っ黒だった。


「でも、そのギターって前までなかったよね? 家にもライブ映像見た時にも持ってなかったような……」

「よく見てたね。少し前に冬矢と一緒に買いに行ったんだ。実はライブで使ったやつは借り物でさ」

「そうだったんだ。確かに年季が入っていたようにも見えたけど」

「うん。しずはのお父さんから借りててね。でも、スペア用にくれるって言ってくれたからもらうことになって」


 あ……、こういう二人きりの時って、他の女性の話をするのって良くないんだっけ。


「ごめん、他の女の子の話……」

「ふふ。気にしすぎだよ。でも、たくさんしちゃうと嫉妬はしちゃうかも」


 ルーシーはそう言いながら、コツンと頭を俺の肩へ乗せる。

 俺も乗せてきたルーシーに頭に軽く体重をかけた。


「次から気をつけるね」

「ううん。私、しずはのこと好きだから。あの子の色々なこと知りたい」

「なら、話せることは話すね。しずはのお父さんから教わったってことは言ったと思うけど、ギターも借りてたんだ」


 簡単にギターの貸し借りの話をした。

 透柳さんに教わった話はしていたが、やんわりとしかしていなかった。


「しずはの家の人は全員がプロのアーティストなんだ。しずはのお父さんの透柳さんはギタリストだから、それでたまたま教えてもらって」

「だから光流はあんなに上手なんだね」

「いやいや、一年もやればあれくらい普通だと思うけどな」

「そう、なのかな……?」


 ルーシーは少し不思議そうな顔をしたけど、努力すれば誰だってギターは弾けるようになる。

 一年も練習したんだ。あのくらいできて普通……だよな?


「あ、そう言えば……」


 ルーシーは何かを思い出したようにギターケースの中を漁り始める。

 しばらくしてそこから取り出したものを俺に渡す。


「これ、私の曲が五曲入ったCD」

「えっ!? だって、エルアールの曲って……」

「うん。動画でしか出してないから、一般的な配信はされてないの。でも、私が日本に帰る記念にってアレックス――歌のコーチがくれたんだ」

「嬉しい……」


 世の中に出ていないアルバムのような五曲。

 それが音源データとして渡してくれるなんて嬉しいに決まってる。


「というかちゃんと言ってなかったけど、五曲目の『Repairリペア』だけど……可愛すぎた」

「へへ。……あれ、わざとアイドルっぽい曲に作ったんだ。今までのエルアールと全然違って、多分聴いた人は驚いたよね」


 驚いたというか、絶対にファンが増えたと思う。

 ルーシーがエルアールとしてアメリカで作った最後の曲。つい先日アップされたばかりの曲である『Repair』は修復とか回復とかそんな意味を持つアイドルっぽい曲だった。


 今までのエルアールの感じとは違い、かなりキュートに歌っていた。

 あんなのファンが増えるに決まってる。


 そう言えば、いつぞやの時に千彩都がアイドルみたいな曲も歌うかもねと言っていた気がする。

 千彩都の読みは当たっていたわけだ。


「ルーシーは本当にすごいなぁ」

「ううん。光流だって……」


 ルーシーは恐縮し過ぎだ。自分の才能の凄さをまだまだわかっていない。

「どうだ!」と胸を張っても良いくらいだ、


「実はさ、俺も一応渡すものあるんだ」


 俺もルーシー同様にギターケースに入れてきたクリアケースを取り出す。


「はい。実は文化祭ライブだけど、DVDだけじゃなくてCDにも焼いてるんだ」

「ええっ!? じゃあ私いつでも光流の歌聴けるの!?」

「そう、なるね……」

「嬉しいっ!! たくさん聴くね!」


 ルーシーは嬉しそうに文化祭で歌った曲のCDを受け取った。


「これさ、一応収録してて、ライブとは別なんだ」

「じゃあクリアに光流の声が聴けるじゃん! 最高すぎる!!」


 これだけ喜んでくれるなんて、俺こそ嬉しくなる。

 俺もルーシーも互いに渡したCDをギターケースに仕舞う。



 そして――、


「……ホワイトデーのサプライズ。弾き語りしてくれたでしょ?」

「うん」


 ルーシーが話題を変える。


「それで、今度は私の歌も聞かせるってことも言ったよね」

「そうだね」

「それが頭に残ってて。だから今日ギター持ってきたんだ」


 それって。

 ということは……。


「私も簡単に弾き語りしようと思って」

「──マジ!? 嬉しすぎる」

「光流驚きすぎだよぉ」

「だって……!」


 まさかこんなに早く聴くことができるなんて。

 ホワイトデーからまだ二週間ほどしか経っていないのに。


 ルーシーは行動が早いようだ。

 思い立ったらすぐに動くタイプなのだろうか。


「でも、光流もギター持ってきたのは驚いた」

「俺も似たようなこと考えてて。あの時はさテレビ通話でだったから、今度は生でどうかなって」

「ふふ。すっごい嬉しい。じゃあさ……一緒に演奏しながらどう?」

「一緒に?」


 ルーシーの提案。

 思ってもいないことだった。


「うん。光流も私もギターでパート分けて演奏して、私が歌うの」

「めっちゃ良い。ルーシーの声で演奏できるなんて幸せだよ」

「言い過ぎ〜」


 言い過ぎではない。

 今では一つの動画の再生数は軽く億を超えている。そんなエルアールの生声を目の前で聴けて、その演奏ができるんだ。


 一緒にバンドをやれば演奏はできるが、二人きりでというのはかなり特別感がある。


「私さ、まだ『星空のような雨』しか弾けないからさ、それで良い?」

「もちろん。完璧に弾けるから任せて」

「もう……光流凄すぎ〜」


 ライブでも演奏したくらいだ。

 一番最初に練習したエルアールの曲。


 もう手元を見ずとも弾ける。



「――じゃあ、やろっか」

「うん」



 そうすると、俺もルーシーもストラップを肩にかけてギターを構える。


 ルーシーを見ると、身長は高いが華奢な体のためにギターが大きく見えた。

 というか、ギターを構えるルーシーが様になっていて、めちゃめちゃかっこよかった。


 この姿を最初に見れる俺は……と思ったが、既に真空や家族が見ているか。



「光流のギター持ってる姿、かっこいいね」

「あ……」



 先に言われてしまった。

 俺がルーシーに言うつもりだったのに。



「ありがとう。ルーシーもすっごくギター似合ってる。その真っ黒なボディもかっこいい」

「わかる!? これすごい気に入ってるの! 黒もそうだし、この金色の部分も!」



 すると突然ルーシーが興奮するように語りだす。

 このギターは彼女にとって、とても大切なもののようだ。


 別名ブラックビューティーというギターだと説明され、後で調べてみるとレスポールカスタムというそうで、透柳さんからもらったギターと同じくらい高い百万円以上のギターだとわかり、腰を抜かしたのは別の話だ。



 俺とルーシーはペグをいじり、軽くチューニングを済ませる。



「じゃあ……やろっか」

「うん」


 右手にはピック。左手はネック近くを掴んで弦に指をセットする。



「ワン、トゥー、スリー、フォー」



 俺が声でリズムを取ると、二人だけの弾き語りが始まった。



「――君が私に教えてくれた世界は 眩し過ぎて夢みたいだった ♪」



 サビから始まるこの曲、いきなりルーシーの口から本物のエルアールの声が聞こえ、俺はゾクッと全身に鳥肌が立った。


 弾き語りなので、声はもちろん原曲よりも小さくて優しいが、ワンフレーズだけで歌唱力の高さを理解した。


 俺が文化祭ライブの時に歌ったものとは天と地ほどの差。

 そもそも比べるのが申し訳ないほどのレベルの違いだった。


 そのサビが終わると、俺とルーシーのギターの前奏が始まる。


 彼女の声に一瞬気圧されたが、エルアールの曲は全て指が動きを覚えている。

 感情に左右されない手の動きでカバーした。



「――暗い宇宙に隠れる小惑星は 誰にも見えてない存在で ♪」



 Aメロが始まるとルーシーは隣の俺の顔を見ながら声を紡ぐ。

 その優しい目線と艷やかな口元から響く心地よい声が、俺の胸を震わせる。


 はは。すごい。すごいよルーシー。

 "本物"の歌声に合わせて演奏するって、こんなにもワクワクするんだ。


 これはしずはのピアノと一緒に演奏した時とはまた違った感覚だった。

 そもそもしずははこっちに合わせてくれていたので、実力を発揮したのはほんの少しだろう。


 しかし、そこに本物の歌が乗ると演奏する側が影響されるのだと初めて理解した。

 歌のレベルによって、演奏もそのレベルに合わせようと勝手に指が動いていた。


 ただ、ルーシーの歌についていくのはかなり大変だ。


 演奏のレベルが低くなると、ルーシーの歌がしょぼく見えかねない。

 もしかすると、彼女とバンドを組むということは、予想以上にハードなことなのかもしれないとこの時点で感じた。



「――人とは違う自分 どこまでも落ちていく ♪」



 Bメロに入り、やっとギターの流れができてきていた。

 演奏が進むにつれて、徐々に彼女の声に適応しつつあった。



「――君への想いが手から溢れるほど 無数に増えていく まるで星空のような雨 ♪」



 サビが終わり、二番も過ぎ、変化するCメロ。



「――初めて抱きしめた君の体 優しくて温かい ♪」



 この部分は音がほとんどなくなり、声だけが響く。

 ドーム型遊具の中に反響したルーシーの声は、多方向から反射され、俺の耳へと届いた。



「――もう止まらないこの想い 降りしきる雨すら吹き飛ばして ♪」



 そしてCメロが終わると、ギターソロが待っていた。

 ルーシーが俺をしっかりと見つめる。


 少し恥ずかしいながらも、ルーシーは頭を軽く振って笑顔でノッてくれていた。


 そうして弾ききったソロのあと、最後のサビ。



「最後一緒に歌おっ!」



 サビの直前にルーシーが笑顔で呼びかける。 

 驚きつつも、俺は頷き返し、息を吸い込んだ。



「――君が私に教えてくれた世界は 眩し過ぎて夢みたいだった ♪」



 俺とルーシーが一緒に最後のサビを歌い出す。

 彼女の高音が気持ち良すぎて、俺の低い声がかき消されてしまいそうになる。


 でもルーシーは徐々に俺の声の音量に合わせてくれて、うまい具合にハモってゆく。



「――君への想いが手から溢れるほど 無数に増えていく ♪」



 アイコンタクトしながら、同じ歌詞を口ずさむ。

 まさかルーシーと一緒に歌えるなんて。


 嬉しすぎてどうにかなりそうだった。



「――まるで星空のような雨 ♪」



 最後まで歌いきった俺とルーシー。


 残すのは後奏だった。


 二人一緒にギターを奏でる。

 アンプはないので大きな音は出ていないが、それでもできるだけの音を出す。


 俺もルーシーも互いに目線を合わせ、頭でリズムをとりながら指を振った。


 

 そうして、『星空のような雨』の二人による弾き語りが終了する。



「はぁ……はぁ……すごい……っ」



 歌いながらの演奏はまだそれほど経験がないのか、ルーシーは息を切らしていた。   

 それでも嬉しそうな笑顔を俺にくれた。



「すっごい楽しかった!」

「俺も……! ルーシーの歌が凄すぎて、手が震えてる」



 下に目線を移すと、俺の指先がぷるぷると震えていた。

 一曲だけでこんなことになるなんて今まではなかった。


 けど、ルーシーの歌声に影響されて、想像以上に緊張を興奮を味わっていたようだった。



「どうしようどうしよう。光流と一緒の演奏が楽しすぎてやばい」

「それはなによりで……」



 ルーシーは興奮した表情で喜びを伝えてくれた。


 すると、彼女は息を整えると手を広げた。



「ん…………」



 多分、二人きりの時にしかしない、彼女の甘えたような表情。

 求められていることが十分に伝わった。


 ただ、その前に言いたいことがあった。


 クリスマスの時に言うにはまだ早かった。

 それは、少しだけ日本に滞在しただけで、本当に帰ってきたわけではなかったから。


 でも、今回は言える。


 なぜなら、彼女は今度こそ本当に日本に帰ってきたんだから。




「ルーシー、一つ言うの忘れてた」



「――え?」



 手を広げたまま不思議そうな顔をするルーシー。



「行ってらっしゃいは言えなかったけど……」

「うん……」



 もうルーシーはわかっているようだった。


 彼女の青く輝く瞳がまっすぐに俺の瞳を見つめる。


 軽く深呼吸をして、俺は一言だけ、彼女に伝えたい言葉を優しく言った。




「――おかえり、ルーシー」



「――っ」



 その瞬間、ルーシーの瞳に変化があった。

 体の内側から水分が上昇してきたかのように、瞳の下に涙が溜まる。


 彼女は既に言ったかもしれない。

 実家で何度も言ったかもしれない。


 けど、俺だって求めてもいいよな?

 帰る場所はここにもあるって。


 だって、この公園のドーム型遊具は、俺たち二人にとって始まりの場所なんだから――。




「――光流っ」




 俺が手を広げると、涙目のルーシーは目一杯の力で俺の胸に飛び込んでくる。



 五年振りの、五年越しの。

 俺が言いたかった言葉に対して、彼女から聞きたかった言葉。



 それは――、




「――ただいまっ!」




 彼女の帰国を告げる、たった四文字だけど特別な言葉。

 その言葉と共に、彼女の体を全身で受け止め、力強く抱き締め返した。










 ―▽―▽―▽―


この度は本小説をお読みいただきありがとうございます!


これにて、中学生編は終了となります。

ここまでお付き合いいただいた方、本当に感謝しています。


まさか200話近くもやってしまうとは自分でも思っていませんでした。


これ以上の話を本編だと説明している高校生編で書けるかと言われれば、まだわかりません。でも、自分なりに頑張っていきたいと思います。


仕事の影響で更新ペースが落ちることもあるかもしれませんが、今後ともお付き合いください。


次回は中学生編までの登場人物のプロフィール紹介になります。


<<よければレビューの項目にて、本作があなたにとってどんな物語なのか、感想をいただければ幸いです。>>

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