121話 銭湯

 文化祭まで残り一週間を切った。


 ルーシーの誕生日は十日。

 しかし、それから二週間ほど経過してもルーシーから何も返事がなかった。


 俺はここ最近、ヤキモキしていた。

 クラスでも落ち着きがないと千彩都に言われたりするようになった。


 自然としてしまう貧乏ゆすり、シャーペンの先をノートにトントンと打ち付ける音に隣の席のクラスメイトに気が散るとも言われたり。

 自分でも自覚するほど落ち着きがなくなっていた。



「本当の待つって、結構くるもんだな……」



 今まではアクションしてこなかったから、そこまでつらくはなかった。

 しかし、こちらからアクションをして『返事が来ない』というものは、かなり心にくるものだと初めて理解した。


 ルーシーは手紙を読んでくれただろうか。

 バングル、喜んでくれただろうか。


 わからない。


 でも、今は待つことしかできない。


 家でも、母や姉は何度も大丈夫だと言ってくれた。

 どのような意味の大丈夫なのか俺にはわからなかったが、その言葉だけではなかなか安心できなかった。


 そんなモヤモヤを打ち消すように俺は数日後の文化祭に向けて、ギターを弾きまくった。




「――あれ? エルアールの新曲アップされてるじゃん!」


 


 そんなある日、登校してきたばかりの千彩都が俺の席の近くまで移動してきてそう言った。


 俺はスマホを開き、ルーシー……かはまだわからないエルアールのチャンネルを見る。


 サムネイルは衣装や髪型を変えて、またしても仮面をしている。


 そして、そこに書かれていたタイトル。『Only Photo』。


 唯一の、写真……?


 俺はイヤホンをつけて、曲を流してみた。


 一曲目の『星空のような雨』は疾走感のある曲だったのに対して、『Only Photo』はバラードだった。

『星空のような雨』に比べて曲調もゆっくりで、聴き取りやすい曲になっていた。


 聴いていくとぞわっと鳥肌が立ったように、俺は震えた。


『広い車内の中二人きり』『たった一枚の写真』『写真に写る君の顔』……。


 その歌詞に俺の思考が、勝手に埋め尽くされてゆく。


 度々歌詞の中に出てくる"写真"。この写真とはもしかして、あの公園で撮った写真のことではないかと。


 俺はその写真を持っていない。


 だけど、もしルーシーのスマホが壊れていなくて、データが残っていたとしたら。

 ルーシーの手元には俺と一緒に撮った写真があるのではないか。


 本当にそうだとしたら。


 あまりにも歌詞と、その事実が結びついているように思えた。


 ただ、二曲目を聴いて少し思ってしまった。

 ルーシーは俺の手の届かないような人になってしまったのだろうか。


 ルーシーがエルアールだったとして、こんなにも素敵な歌を歌うんだ。大きな会社からスカウトされていてもおかしくない。

 ただ、動画はチャンネル登録者数も再生数も十分で収益化できるはずなのにまだ収益化はされておらず、その点には少しだけ不思議に思った。


 でもルーシーがもし、俺の手の届かないようなビッグな人になってしまっていたら。

 それこそ、もう会えないのかもしれない。


 ただの平凡な一般人とスターになれる逸材。


 一般人と交流している暇なんてない。

 既にアメリカではひっぱりだこで、今はまだその序章。


 俺がそこに入り込む余地など、少しもありはしないのかもしれない。



 ――あの、公園で話しかけてくれた青年。


 ルーシーのお兄さんではないかと思われる青年が、俺に接触してきて便箋を渡してくれたこと。


 一応、応援してくれていると思っていいのだろうか。

 普通ならあのような行動はとらないだろう。


 もしかすると、俺の行動を昔からルーシーに報告していた可能性だってある。


 なら、俺がルーシーの一部。小さな細胞の隙間の一部でも良い。

 そんな場所にでも、いることができるだろうか。


 いや……今ルーシーの中には、既に俺の腎臓がある。

 彼女の中には、俺の一部が入っている。


 なら、もうそれで十分なのではないか。


 ルーシーだって、俺を想っているとしても、その腎臓だけで十分だと思っている可能性もある。

 だとしたら、俺がルーシーのどこかに入り込める隙なんて、もうないのかもしれない。



「――なーに暗いツラしてんだよっ!」



 急に声をかけられ、背中を叩かれる。

 イヤホンを外して振り向いてみると、そこには笑顔の冬矢がいた。


 冬矢もサッカーをしなくなってから、ずっと髪を伸ばしてきていた。

 より一層、チャラさに拍車がかかっていた。

 動く度にファサファサする髪。見ているだけで鬱陶しい感じもするが、これは言わないでおこう。


 さすがに受験前には切るだろうと思いつつも、秋皇学園はかなり自由な校風。

 見た目だけで頭の良い生徒を落とすとは思えない。


 冬矢だって、サッカーを辞めてから時間ができていてるので、徐々に成績が上がりつつあった。

 自分で皆を秋皇に誘ったくらいだ。受かる自信があるのだろう。



 そんな冬矢は三年生になってからは別クラスだが、わざわざ俺の教室まできたらしい。


「どうしたのさ。他クラスまでやってきて」


 俺は純粋な質問をぶつけた。


「理由がないと遊びにきちゃだめなのかよ〜。とりあえず今日の放課後付き合えよ。もう文化祭の準備は終わってるだろ?」


 冬矢の言う通り確かに文化祭準備は全て終わっており、あとは開催を待つだけだった。

 バンドの演奏の最後の確認も明日、しずはの家で透柳さんに見てもらう予定だ。


 だから、今日は特に予定はなかった。


「いいけど」

「じゃあ決まりなー!」


 それだけ言って、すぐに教室から出ていった。


 そんなことメッセージで送ればいいのに、わざわざ声をかけて誘ってくれた。

 ここ最近の俺の落ち着きのなさを気遣ってなのか。

 だからこその、あいつなのかもしれないが。



「ねー! 今回の曲もめっちゃいいっ」



 千彩都が俺と冬矢が会話している内にエルアールの新曲を聴ききったようだった。


「ちょっと待って。俺も最後まで聴くから」


 冬矢が自分の教室に戻っていったので、俺はイヤホンをつけ直して最後まで曲を聴いた。



「…………」



 ……やっぱり凄い。


 声量があり力強い、なのに綺麗で細く透き通っているようにも聴こえる歌声。

 相反するような二つなのだが、どちらも混ざって聴こえる気がしている。


 そこで俺は一つ気付いた。


 一曲目の『星空のような雨』に入っていた言葉。

 この『Only Photo』に、も同じくその言葉が入っていた。


 その言葉とは『――光』。



 あの、公園で交わした言葉は今でもしっかりと覚えている。


 俺の名前をルーシーに伝えた時、彼女は「私のルーシーってミドルネーム、意味は『光』って言うんだよ」と言ったこと。

 そして、俺の名前にも『光』と入っていたことから、運命だってルーシーと一緒に喜んだ。


 だからなのか。二曲どちらとも『光』と歌詞に入っていることが、その時のことを思い出させた。


 何度も言うが、エルアールがルーシーだと決まったわけじゃない。


 でも、彼女の髪色や歌詞の内容。俺の全身が感じている何か。

 それらがエルアールをルーシーだと訴えていた。


「凄いなぁ……」

「ね! ほんとに凄いよねっ」


 俺の凄いという呟きの意味と千彩都が言った凄いの意味は少し違う。


 千彩都の凄いは、曲や歌そのもの。

 しかし、俺の凄いは、彼女の人生全てからくる凄いだった。


 あれだけ苦しんでいた子が、今やこんなにも成長して。

 それを思うだけで、泣けてくる。


 だめだ。またすぐに涙が出てしまう。千彩都に変に思われる。


 俺はいつから涙脆くなったんだろう。


 今まで泣いたと記憶があるのは、ルーシーのことを考えている時。しずはの音楽室の告白。冬矢の家でのこと。そして、家族。

 これらの人たちは、俺にとって特に特別な人なんだろうな。




 ◇ ◇ ◇




 ――放課後。


「風呂行くぞ」


 冬矢と二人で下校している時にそう言われた。


 教室を出た時には、朱利や理沙に一緒に帰ろうと誘われたのだが、冬矢が「今日は光流と二人で用事があんだ。邪魔すんな」と二人を一蹴した。

 朱利も理沙もブーブー言いながら冬矢に怒りの言葉を投げつけていたが、知らんぷりをした。

 俺は両手を合わせて「ごめんね」とだけ二人に謝っておいた。


 いつも思うが、女子に対してこんな態度でよくモテているなと思う。

 実際に冬矢が付き合ったことのある相手はほぼ知らないのだが、逆に適当にあしらうくらいが良いのだろうか。


 俺にはさっぱりだ。

 性格が違いすぎて理解できない。


 良い雰囲気だなと思っている深月とも特に進展がないようだし、冬矢の恋愛観がよくわからない。


 そんなこんなで、俺は今、冬矢に風呂に誘われていた。


「いきなり?」

「裸じゃないと話せないこともあるだろ」

「裸じゃなくても結構話してきたつもりなんだけど」

「小さいことは気にすんな!」


 受け答えは適当だ。

 でも、気遣ってくれているとわかるので、十分に嬉しい。




 …………




 少し電車を乗り継いで、俺たちが来たのは『囲炉裏いろりの湯』という銭湯だった。

 玄関を見て小綺麗な銭湯だと感じた。


 冬矢の話では、数ヶ月前にできたばかりの銭湯なんだとか。

 一度行ってみたかったという話だ。


「てか、学校帰りだしタオルもないしシャンプーとかもないんだけど」

「俺が持ってきてるからそれ使え。タオルは無料だ」


 昨日から誘うつもり満々だったようだ。準備が良い。


「ちなみに今日は俺の奢りだ」

「えっ」

「えっ、じゃねえよ。恩返しさせろって言ったろ」


 あの、冬矢の家でルーシーの誕生日の話で泣いた時、あいつはそう言っていた。


「なら……よろしく」

「おうっ」


 玄関に入り、靴箱に靴を入れると券売機で学生料金のボタンを押して、二枚のチケットを発券。

 それを受付へと渡して、俺達は更衣室へと向かった。


「いつ見てもすげーなお前」


 裸になる途中、冬矢が俺の上半身を凝視する。

 もちろんムキムキである。


 そういえば最近知ったのだが、ジョギングのような有酸素運動は、筋肉も落としてしまうらしい。今までは筋トレと平行でジョギングも行っていたが、ある程度までは筋肉はついたと自負している。ただ、ある時から筋肉量の伸びが悪い気がしていた。


 しかし、ギターをするようになってからはジョギングを週二回程度に落としていた。なので家で気軽にできる筋トレの方がやる頻度が多くなっていたのだ。

 ジョギングで減る筋肉量が少なくなったせいか、ここ一年でさらに筋肉が増えた気がしている。


「冬矢も筋トレすれば?」

「お前ほどストイックにできねぇよ。必要性も感じないしな」


 そう言われればそうだ。

 俺は入院で痩せた体を戻すためとかルーシーのためだとか、そういった目標があったが、冬矢には特にやる動機もないだろう。

 鍛えすぎた感もあるがずっとやってきているので、もう今更だ。


「お前に腕相撲勝てるやつどのくらいいるんだろうな」

「いやいや、たくさんいるでしょ。そもそも体格的に俺より大っきい人だっていると思うし」


 俺の現在の身長は百七〇センチほど。百八〇センチの相手が鍛えていれば勝てるとはとても思えない。


「うちの学校にはいないだろうな」

「さ、さぁ……」


 それは少しだけ自信がある。

 唯一勝てなさそうなのは、担任の牛窪先生だ。

 服がパツパツになるほどのガチムチ。俺とは違ってジムに行っているらしいので、ちゃんとした器具で筋トレをしているんだろう。


 そう会話している内に全裸になり、俺たちは風呂場へと突入した。


「うおっ、広くてきれーだなぁ」


 冬矢が風呂場に入るなり、そう感想を述べた。


「ほんとだね」


 まだ時間が早いからか、お客さんがほとんどいない。


 まず、冬矢がシャンプーなどが入った荷物を風呂場に設置されている棚に置く。

 そうして、入口近くに設置されてある、かけ湯で軽く体を流した。


「まずは露天風呂行こうぜっ」

「行きたい!」


 公衆浴場だが、ちゃんと露天風呂がついている銭湯だった。

 天然温泉ではないので、別に風呂に効能などはないのだが、それを気にしてきたわけではないので十分だ。




「「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙〜〜〜」」



 冬矢も俺もおじさんのような声を上げて、露天風呂に浸かった。



「きもぢい゙い゙〜〜〜」 

「最高〜〜」



 首までお湯に浸かり、足を伸ばす。全身が熱めのお湯に包まれ、体が温まっていく。

 今日の学校での授業の疲れが全て吹っ飛ぶかのようだった。


 そのまま視線を上に向けると、ほとんど雲のない青空が広がっていた。

 視界全体が空に吸い込まれているような感覚になり、脳みそがクリアになっていく。



「――返事、こないのか?」

「…………」


 冬矢にはお見通しだったらしい。

 逆に落ち着きがなかった理由は、学校では冬矢以外にはわかりようがなかったように思う。


「うん。家族は大丈夫だって言うんだけどね……」

「そうか」


 俺も冬矢も空を見上げて湯面に顔だけ出しながら会話している。

 ちょっとアホっぽい絵面だが、会話の内容は真面目だ。


「じゃあさ、お前が逆にルーシーちゃんから手紙をもらってたら、どう思う?」

「ルーシー、だったら……?」


 いつも冬矢は俺では思いつかない視点で話を進めてくれる。


「ああ。今まで五年連絡のなかった相手から、急に連絡がきたとしたらだ」


 そういうことか。

 そんなの、決まってる。


「凄い嬉しい。嬉しくて多分たくさん泣いて、どうしようって悩むかもしれない…………あ」

「ルーシーちゃんがお前と同じかはわからない。ただ、あっちにはあっちの考えがあってもいいだろ」

「それは、そうだ……」


 また俺は自分ばっかりになっていた。


 誕生日のことだってそうだし、今回のことだってルーシーにはルーシーなりの考えがあるはずなのに、すぐに返事がくると勝手に思っていて。

 それで、返事が遅いからと不安になって。


「何か理由があるのかもしれない。何か考えがあるのかもしれない。お前のことを考えて遅いのかもしれない……だろ?」

「お前……やっぱ凄いな。モテるわけだ……」

「アホぉ」


 見た目がチャラっぽくても、女子を足蹴にしたりしていても。

 冬矢は、こういった相手視点で物事を見ることができているから、モテているのかも知れないとも思った。


 深月へのお返しのホワイトデーだってそうだ。

 深月がカバンにつけていたキーホルダーをちゃんと見ていたから『ちるかわ』の限定チョコを渡すことができた。

 本当によく相手のことを見てるんだよな、冬矢は。


「なんか……スッキリしたかも」

「悩みごとは暗い場所で考えると暗い答えばっかになる。風呂なら疲れも吹っ飛ぶし冷静になれるだろ」

「……ほんとにすげーよ、お前」


 多分冬矢はデートだって女の子を喜ばせるようなスポットを選ぶことができるだろう。

 俺だって、今日銭湯でなかったとしたら、もっとグチグチ言っていた可能性だってある。


 俺の知らない凄いところ、まだまだあるんだろうか。

 もう冬矢との付き合いは八年ほどになる。それでも話す度に冬矢の凄いところが見えてくる。


 俺を凄いと言ってくれる冬矢。

 お前だって十分凄いじゃないか。


 本当に冬矢と友達じゃなかったら、俺はどうなっていたんだろうと思う。

 それだけ、こいつには感謝している。


「あちー。のぼせてきた。体洗おうぜ」

「俺もあつい……」


 しばらくの間、露天風呂に浸かって会話していたために、もうのぼせてきていた。




 ――明日はリハーサル前の最終チェックの日。


 バンドメンバー四人がやってきたことを透柳さんに見せる最後の日だ。



 俺と冬矢は風呂から上がり、頭と体を洗いに室内の浴場へと戻った。






 ―▽―▽―▽―


この度は本小説をお読みいただきありがとうございます!


よろしければ、『小説トップの★評価やブックマーク登録』などで応援をしていただけると嬉しいです!


皆さんのコメントもできる限り見ていますので、ぜひ感想をください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る