82話 予行練習

「――ここにいたの?」


 ガチャリとドアを開け、俺と透柳さんがいるギター部屋に入ってきたのはしずはだった。


「おう、光流くん借りてた。悪いな」

「……いいけど」


 風呂上がりのしずはは、今の俺の服装に近いTシャツ短パン姿だった。いつもと違ってかなりラフだ。

 ただ、そんな服装でも普段は見れない姿で――。


 火照った顔に乾かしきれていない濡れた髪、どこか見てはいけないしずはを見てしまっているような気分になった。


「もう十二時だよ。寝ないと」

「そうだな。光流くん、じゃあ連絡待ってるから」

「……はい」


 俺はギター部屋を一緒に出た。


 その後、使い捨ての歯ブラシをもらい、それで歯磨きしたあとに、空き部屋で寝ることになった。


 空き部屋と言っても、ただの部屋ではなかった。

 壁際にある書棚にはピアノの楽譜やギターのタブ譜と思われるようなファイルがずらっと並んでいた。


「こんな部屋存在するんだ……」


 小説や漫画などが並んでいるのならまだわかる。

 さすがは音楽一家。普通ではない。


 俺は用意されてあった敷布団に寝転がった。


「今日は色々あったな……」


 花火大会でしずはがナンパに囲まれてたり、助けたは良いけど怪我をさせちゃったり。

 少しの罪悪感でおぶったり、そのままなぜかしずはの家に泊まることになって、透流さんからギターをやらないかと言われたり……。


 色々ありすぎて、体も脳みそも疲れた。


 ヤバい……すぐに寝そうだ。

 しずはを背負ってたくさん歩いたからなぁ。


「…………」


 俺がもう眠りにつこうとしていた直前だった。


 コンコンとドアの音が鳴ったあと、ガチャッとドアが開いた。


「光流……? まだ起きてる……?」


 しずはのような声が聞こえた。


「うん……」


 寝ぼけ半分で俺は答えた。


「少しだけ一緒にいていい?」

「うん……」


 俺はそう答えるしかできなかった。

 もう意識が朦朧としていて、眠さで目も半開きだった。




 ◇ ◇ ◇




 光流が家に泊まることになってしまった。

 なんで? なんで?


 お母さん何が目的なの?

 余計なことしちゃだめだよお母さん。


 でも、内心とても嬉しかった。


 花火大会だけで一緒にいられる時間が終わると思ったのに、さらに一緒にいられるなんて。


 お風呂に入っている間、お父さんが光流に何か話があったらしい。

 本当に謎だ。


 年齢のこともあり、昔ほどギタリストとして活動はしていないせいか最近は家にいることが多い。

 悠々自適にだらだらと生活している。


 そんなお父さんが光流に何の用事だろうか。


 それも少し気になって光流が寝ている部屋に枕を持って来てしまった。

 なんで枕を持ってきてしまったんだろう。


 私、何を考えてるの……?


 というか、家でのラフな服装を初めて見られてしまった。


 ――恥ずかしい。


 どこか変じゃなかっただろうか。でも光流はそれくらい気にしないか……。

 



 光流の部屋に行ったら、とりあえず入ることに承諾をもらえた。

 だから私は中に入って、光流の寝ている布団のすぐ目の前まできた。


 光流、眠たいのだろうか。

 ほとんど目が開いていない。


 私をずっとおぶって歩いてくれたもんね。

 本当に優しいかったな……。


「光流……今日は本当にありがとう……」

「うん……きにしないで……」


 ボソボソと光流が返事をしてくれる。


「ねぇ、お父さんと何話してたの……?」

「なんか……ギター……さそわれて」

「……へ?」


 どういうこと? あのオヤジ光流にギターをさせる気なの?

 なにそれなにそれ……絶対かっこいいじゃん……。


「はぁ……お父さんに気遣わなくていいからね。嫌だったらちゃんと断って」

「うん……わかってる……」


 今まで部活とかずっとやってこなかったけど、これを期にやり始めるのだろうか。

 もしやることになったら、また家に来てくれるのだろうか。

 お父さんが教えるんだし、そうなるよね。


 私の想いが届かなくても、家に来て練習してくれるかな。

 また友達として一緒にいてくれるかな。


 これは何度も考えたこと。

 つらくて、苦しくて、でも抑えられない気持ち。


「光流……少しだけお布団入っていい?」


 もう寝そうでなんでもYESと答えてくれそうな光流。

 私はそれにかこつけて、そんな質問をした。


「…………」

「あれ……?」


 返事がなかった。

 光流の顔に自分の顔を近づけてみる。


 すーすーと静かな寝息が聞こえてきた。


「寝てる……」


 直前まで会話していたのに、いきなり寝てしまった。


「…………」


 おぶってもらった時に、もう最後だからって心の中で言ってたくせに、また欲が出てきてしまっている。


 私って本当に意思が弱い……なんて欲深いんだ。

 やっぱり私はズルい女なのかな。


 でも、そうは思っても……止められないよ。

 これが垂涎の的ってやつなのかな。


 この部屋には他に誰もいない。光流も私が隣にいることわかっていない。

 少しだけだから……だから一緒の布団に――。


 私は光流がお腹にかけていた薄い毛布を少しめくって、布団の端っこに腰を下ろした。


「ごめんね……光流……少しだけ、お邪魔させて……」


 謝ってばかりの私は、光流の枕の隣に持ってきた枕を置いて布団に入った。


「…………」


 光流は天井を向いている。

 私はそれを見るように真横を向いて光流の顔を眺めた。


 暗いけど、近いからわかる光流の寝顔。

 ……かわいい。


 こんな大好きな人の無防備な顔を見られるなんて、やっぱりバチが当たりそうだ。


 ――私は人差し指を伸ばした。


 プニッと光流の頬に指先が触れる。

 いけないことをしているような気分。


「やわらかい……」


 でも、女の子の私のほうが柔らかいか。

 そう考えてみれば、光流の頬は硬いような気がしてきた。


 光流は筋肉質だし、顔も引き締まってきている。

 なんか変なの。


「光流? 本当に寝てる……?」

「…………」


 返事がない。


 本当に寝てるかな。寝てるよね?




「――――光流……好きだよ……」




 バカだ。……言ってしまった。


 顔が熱い。心臓の音が聞こえる。


 これは本当に言う時のための予行練習。


 あと少し、あと少しでちゃんと言うから。

 だからもう少しだけ……待ってて。


 あぁ、ずっとこんな日が続けば良いのに。

 大人になんかならなくても良いのに。

 光流が近くにいるだけで幸せを感じる。


 すぐに自分の部屋に戻るから、もう少しだけここにいさせて……。


 光流の寝顔を見ながら、私はそのまま夢の中へと意識が吸い込まれていった。




 ◇ ◇ ◇




「ん、んん……」


 窓のカーテンの隙間から陽の光が入ってきていた。


「私……え? え……えっ?」


 うそうそうそうそ……!


 目の前に光流の顔があった。

 真っ暗だった夜よりもはっきりとその顔が見えた。


 私、光流の布団で一緒に寝ちゃったの!?

 十分くらいで出るはずだったのに。


 やばいやばい……光流が起きちゃう。


 私は口を抑えながらゆっくりと起き上がり、自分の枕を抱えた。

 光流の布団をかけ直して、忍び足で扉へと向かいドアノブを回した。

 

「光流……お邪魔しました……」


 私は光流に気づかれることなく部屋から出た。




 ◇ ◇ ◇




「――おはようございます」


 俺は目覚めてから布団を畳んで、リビングへと向かった。


 スマホを見ると八時になっていた。

 もう家に帰らなければ。


「あら、光流くんおはよう。よく眠れた?」


 花理さんだった。


「はい。布団に入ってすぐに寝てしまいました」

「そう、それは良かった。朝ご飯だけでも食べていって?」


 テーブルの上には、既に焼きたてのパンに目玉焼きとサラダが用意されていた。


 リビングを見渡すと、まだ誰も起きてきていないようだった。

 今日は日曜だからか、皆起きるのがゆっくりらしい。


「……じゃあ、いただいていきます」


 テーブル前の椅子に座ると追加でコーヒーまで淹れてもらった。


「わざわざありがとうございます」

「食事は五人も六人も変わりないわよ」


 子供が三人もいるんだもんな。食事を作るのも大変だろう。


 花理さんは自分の分の朝食も用意して椅子に座った。

 偶発的に俺と二人きりで食事をすることになった。


 用意してあったバターナイフでブルーベリージャムをパンに塗りながら、花理さんに聞きたかったことを聞いてみた。


「あの……なんで僕を泊めたんですか?」


 すると花理さんはコーヒーを軽く口に含んで一息吐く。


「ふふ、気になる?」

「それは気になります……」


 なぜかすぐに教えてくれない。


「最近あの子悩んでたみたいだから。光流くんが昔来た時は機嫌が良かったからね。せっかくだから」

「あっ……そういうことでしたか……」


 子を想う母の気遣いということだろうか。


「と言ってもすぐに寝る時間になっちゃったからあんまり意味なかったかもしれないけど」

「確かに……ほとんどしずはと会話してませんし」


 しずはより透柳さんとたくさん話した。

 そういえば、寝る直前なにかあったような気がするけど、全然覚えていない。

 ……なんだったっけ?


「――マカロンとかチョコ美味しかった?」

「……へ? マカロン?」


 え、マカロン……それってもしかして……。


「あっ……これ言っちゃだめなやつだっけ」


 目を見開いて片手で口を抑える花理さん。

 もう遅いです。


「はは……。まぁ……もう大分前に気づいてましたけどね……しずはには気づいてること言わないでほしいです」

「やっっば。……でも光流くん気づいてたのね」


 花理さんは額に手を当てて、やってしまったという表情になっていた。


 やっぱりしずはがしていたことは花理さんにも伝わっていたのか。

 ならしずはの気持ちも知っているということになる。


「たまたまですけどね。文字の特徴が同じで……」

「あー、そういうので気づくんだ! 光流くんすごいなぁ」

「本当にたまたまです。しずはノートの写真持ってて」


 そう、本当にたまたまだった。

 あれがなければ、ずっと気づかなかっただろう。

 いくらでもしずはに繋がるキーワードは散りばめられていたというのに。


「光流くんがどんな決断をしても私は普段通りに接するわ、安心して。……ただ、あの子には真剣に向き合ってあげてね」

「それはもちろんです……今までも真剣に向かってきたつもりですから」


 そう、できるだけ俺はそうしてきたつもりだ。

 特に冬矢としずはに対しては、他の友達よりもずっと思い入れのある人。


「やっぱり、光流くん良い子ね。あなたがうちの子になってくれたらどんなに良いことか……」

「そんなこと言うの……ズルいです」

「ごめんなさい。プレッシャーかけてるわけじゃないわ。うちは皆音楽してるでしょ? だからなのか自由人が多くてね。しずははその中では一番良い子に育ったけど」


 確かに夕花里さんと創司さんはかなり自由人に見える。

 透柳さんも自分のことをちゃらんぽらんとも言っていたし。


「だから、光柳くんみたいに優しくて気が遣えそうで、色々付き合ってくれそうな子がいたら楽しいだろうなって」

「はは……昔はよく姉には連れ回されてましたけどね」


 最近はもうそれもほとんどなくなってきたが、小学生の時は姉とよく遊んだ。


「そういえば、透柳ちゃんに変なこと言われなかった?」

「あ、いえ……すごい良い人だなって思いました」


「ふふ……うちであの人のことを良い人だなんて言うのは光流くんだけよ」

「え……?」

「家族だから、逆にあの人の良いところがあまり見えないのかもしれないけどね」


 そんなことないのに。だってあの人の努力した凄いところを聞いてしまったから。


「花理さんの為にギター頑張ったって話聞きました! 俺は透柳さんのことすごい人だと思ってます!」

「えええっ!? まさか透柳ちゃんあの話しちゃったの!? ちょっと待って!?」


 花理さんがあたふたと取り乱し始めた。

 言ってはいけなかったやつだろうか。


「ええと……」

「その話って高校の時のよね!? あぁっ、あれだけは恥ずかしい記憶なのに……って!」

「ふふ、花理さんもそんな顔するんですね」


 芸能人のような美人の母親が両手で顔を覆って頬を紅潮させている。

 こんな花理さんが泣いたというくらいの話だ。今振り返れば恥ずかしくなる黒歴史なのかもしれない。


「ちょっと光流くん……これ誰にも言っちゃだめよ!」

「も、もちろんです!」


 花理さんの弱みを握ったような気分になった。


 するとガチャっとリビングへと続く扉が開いた。


「お母さんおはよ〜……あれ、光柳起きてたんだ」


 しずはだった。扉を開けて中に入ってくると眠たい目を擦りながら歩いてくる。

 その途中で俺がいることにも気づく。


「しずは、おはよう」


 花理さんをこのような表情にさせることができて気分が良かった。

 ずっとクールな印象だったから、可愛く見えてしまう。


「あれ、お母さんどうしたの?」


 花理さんが手で顔を覆っている姿を見て、しずはが気になったようだ。


「あっ、しずは……なんでもないのよ……ねっ光流くん?」

「はい……なんでもないです!」


「あやし〜っ! 私にも教えてよ」

「光流くん、わかってるわよね! 言ったら恨むわよ!」

「ええええっ!?」

「お母さんどういうこと!?」


 花理さんにとっては、それほど触れられたくない過去だったようだ。

 すごくいい話だったけどな。俺の目がうるうるして心を打ったくらいには。



 ――俺達はこの後しずはを加えて一緒に朝食をとった。


 昨日までの罪悪感はきっぱり消えており、花理さんのこの話のお陰で俺もしずはも明るく話せた。


 食事を取った後は元の浴衣に着替え直して、俺は玄関へと向かった。


「色々とありがとうございました」


 玄関まで見送ってくれるしずはと花理さん。

 他の家族はまだ起きてきていない。


「ううん、無理やり泊めたようなものだから……またね!」

「うん、また……!」

「光流くん、またいつでも来てね」

「はい……!」


 俺は二人に挨拶を済ませ、足取り軽く家へと帰宅した。





 ー☆ー☆ー☆ー


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