小説家ほど気楽に稼げて楽しい商売はない

@hikarus225

小説家って儲かるの?

 小説家はほんとうに儲かるし気楽で楽しい仕事なので、まずはそのことを伝えたい。世の中、悲観的な言説ばかり広まりやすいので、楽しく稼がせていただいている当事者には誤解を正す義務があると思う。


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 きっかけは2019年の暮れだ。さる中高一貫進学校の市民講座実行委員から講演会の依頼メールをいただいた。二つ返事で出演を快諾した僕は、『作家にまつわる50の嘘』という講演名を提案した。作家について巷間に広まっている様々な間違った認識をひとつひとつ取り上げて正していくというスタンスで面白い話が2時間くらいできるのではないかと思ったのだ。

 現段階ですでにオチがわかった人もいるかもしれないが、作家にまつわる面白い嘘なんて50個も見つかるはずもなく、〈嘘23〉あたりで「次の嘘は、『作家にまつわる嘘は50個もない』です」とぶちかまして、フリーズした講演会場から逃げ出す算段だった。

 この小汚い手段は、残念ながら(と言うべきだろう、やはり)使わないままに終わってしまった。新型コロナウィルスの感染拡大で講演会そのものが中止になったからだ。


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 4年の時が過ぎ、PCを買い換えの際にフォルダを整理していたら、講演会に使うためのテキストが発掘された。しばし思いを馳せる。僕に依頼をくれた実行委員は中等部二年生と書いていたので今はもう受験生、いちばん大事な時分だろう。元気でやっているだろうか……。志望校合格を遠い空から祈っております。

 それはそれとして、テキストはかなりの分量があり、アイディアを書き連ねただけなのでそのままではなんの役にも立たないのだけれど、捨て置くのももったいない。貧乏性の僕は、手を加えてカクヨムで公開することにした。

 現実の講演会場とちがってカクヨムでは寒いギャグを後に残して逃げるということができないので、『50の嘘』などという嘘は最初からつかず、小説家に関わるあれこれを思いつくままに書き連ねるエッセイという形式をとることにする。テキストにしてあるアイディアは20ちょっとだけだし小粒すぎて一話分にならないものも多いので早晩ネタ切れは避けられない。もし小説家とか出版社について知りたいことがあったら気軽にコメントなどでどうぞ。もちろん返答はお約束できない(絶対に書けないことというのもいっぱいあるし、単純によく知らないことというのも少なからずある)けれど、参考にさせていただく。


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 ということで第1回のテーマは「小説家は儲かるのか?」である。

 講演会でも、作家志望者がたくさん聴きに来るのではないか、と言われていたので、これを一発目に話そうと思っていた。みんな気になっているでしょう?

 結論から言うと「人による」。

 なにを当たり前のつまらないことを……と思われるかもしれないが、これ、他の業態における同じ質問――たとえば「ラーメン屋は儲かるのか」とか「美容師は儲かるのか」とか「ボールベアリング製造は儲かるのか」とは意味合いがまったくちがう。

 ラーメン屋に関しての需要を考えてみると、人々はまず「ラーメンを食べたい」という欲求があって、足を伸ばせる範囲のラーメン屋からひとつを選択して、美味しかったらまた行くわけだ。美容師に関しての需要も同じで、「髪を切りたい、整えたい、きれいにしたい」という欲求があって、いくつかの美容院からひとつを選び、満足したら次からそこに通うわけだ。部品製造なんかもっと切実ですね。とにかくボールベアリングを仕入れなきゃ仕事にならないのだから、予算と納期と品質から考えて最良の仕入れ先を選ぶ。

 小説は?

 小説を読みたい、という欲求がまずあって、書店に行って並んでいる本の中から良さそうなものを買う?

 もちろんそうしている、と即答できてしまうあなたは数千人に一人の特異な人間であるということを自覚しよう。世の中の大多数の人間は「面白い本がもしあるなら読みたい」としか考えておらず、その「面白い(らしいと聞いた)本」を書店に買いに来るのである。そして、面白い(らしい)本がなかったら、なにも買わずに店を出るのだ。代わりに面白いかどうかわからない別の本を買ったりはしない。一方で、面白い(らしい)本を一回の来店で絶対に一冊しか買わないなんてことはなく、面白い(らしい)本が複数あったら複数買うこともある。ラーメン屋や美容院とはここもちがう。食事・散髪は、とりあえず目についた店で済ませる可能性が濃いし、一方で、行きたい店が複数あったとしてもはしごしないでしょう?

 小説に限らず娯楽や芸術すべてにあてはまることだが、生活必需から最も遠いところにあるので、無数の選択肢の前にという選択肢がでっかく提示されているものなのである。

 さらに言えばリピートもしない。面白かった本を二冊も三冊も買ったりはしない。してる、という人は数十万人に一人の特異な人間であることを自覚しよう。


 つまるところ娯楽芸術には。だれもneedしないからだ。顧客のニーズがあって市場に複数の選択肢が競合していて品質や価格や付加価値でそのどれかが選ばれる――というマーケティングの基礎的な理屈がまったく通用しない。

 そして、小説はその本質がデジタル情報であり、いくらでも完全コピーを作成することが可能なので、代替性もない。

 これがたとえば「クラシックコンサートで○○を聴くのが流行っている」なんて状況であれば、一度のコンサートを聴ける客の数は限られているので、同じような曲目を演るいくつものオーケストラへの需要が生まれ得るわけだけれど、小説はそうではない。「○○という小説が流行っている」のだったらその○○をみんな買い求めるだけだ。せいぜい増刷までのタイムラグがあるくらい。


 これらを総合して考えると、

「そもそも小説家というのはまとめてひとつの業界ではない」

 ……と考えるのが理に適っている。


 小説家一人につき、ひとつの業界。もっと言えば、出した本一冊につき、ひとつの業界。マーケットの観点から見るとそんな不思議な業態なのである。うさんくさいコンサルっぽく胡乱な横文字を使うなら、「小説はコモディティ化しない」といったところだろう。


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「小説家は儲かるのか?」という質問をしてくる人(いっぱいいます)は、二種類に大別される。

 一つ目は、純粋な好奇心から訊いてくる人。

 こういう人には、上記のような説明をした上で、詳しいことは杉井光業界のことしかわかりませんが、しばらく儲からない時期が続いたものの2023年はまあまあ儲かりましたよ、と答えるしかないだろう。

 二つ目が、小説家になろうとしている人。

 こちらは回答が難しい。実際に知りたいのは小説家が儲かるかどうかではなく自分が食っていけるかどうかだからだ。

 たしかに今は出版不況だ。はっきり出ている数字として、僕のデビュー当時に比べて2020年代の現在、新シリーズの初版部数平均は半分から三分の一くらいにまで落ち込んでいる。

 でもそれは出版業界の話であって、杉井光業界で見れば、ライトノベルも電撃文庫も絶好調だったデビュー年の収入より、出版不況まっただ中でコロナ禍もさめやらぬ2023年の収入の方がはるかに多い。出版は隣接業界だから当然影響は小さくないのだけれど、書いた本が売れたかどうかが大きすぎるのだ。

 それに、儲かるかどうかという話は「他の稼ぎ手段」を選べる場合でないと実際的な意味を持たない。小説家になる人間というのは小説を書く以外に食っていく能力を持っていないことがものすごく多い(僕もそうだ)。1円だろうが1億円だろうが無収入よりは上である。


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 他の稼ぎ手段を選べる人にとっては、小説家が儲かるのかどうか(より正確に言うなら、小説家となった自分が小説家になっていない自分より稼げるのかどうか)はとても現実的で切実な問題だろう。現にいま手に職がある人とか、内定が出ている人とか、継げる家業がある人とか。

 これもその人自身が「俺業界」を打ち立てて市場に問うてみる以外に正解は出ないのだが、実は、答えを出す必要もないのだ。他の手段で稼ぎつつ小説家もやればいいだけの話である。

 昨今、文芸編集者はデビュー作出版前の新人に向かって「仕事は辞めるな」と必ず言うそうだ。専業で食えるかどうかわからないから、という理由だけれど、僕がここで説くのはそういった後ろ向きで夢のない話ではない。もっと心奮い立つ、それでいてしっかりした根拠もある話だ。

 のである。

 そんな馬鹿な、と思うかもしれない。他の仕事を続けていたら執筆に充てられる時間が削られるのに?

 しかしこれはすでに結果が明らかな定説なのだ。「兼業作家が仕事をやめて専業になると執筆量が必ず減る」。これを出版業界では《恩田陸の法則》と呼び習わしている。なぜこんな法則名がついているかというと、法則の唯一の例外、つまり兼業から専業に移行してちゃんと執筆量が増えた作家が恩田陸だけだったから――という理由なのだそうだ。由来の真偽は定かではないが法則の正しさは僕も太鼓判を捺せる。知っている限りでは仕事を辞めた元兼業作家はみな執筆量が退職前より落ちた。

 理由もまた当人たちにリサーチしてはっきりわかっている。

 他の仕事をしていると、小説執筆が「息抜き」になる。楽しくてしょうがないから就寝前や休日のオフ時間はすべて執筆に費やす。仕事をやめれば仕事時間だったところもすべて執筆に充てられてペースが何倍にもなる、というのは人間の哀しい習性をわかっていない素人考えで、実際は「執筆」が「仕事」にシフトするだけ。仕事時間だったところはゲームとか漫画とか映画とか旅行とかもっと楽な趣味に費やされるようになる。そして限られた余暇を貪るようにして書いていた頃の情念が薄れてしまうため、辞める前よりも書かなくなる。

 ということで、のだ。間違いなく。


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 小説家が儲かるかどうかなど考える必要はまったくない、ということがこれでおわかりだろう。

 あなたが小説以外に稼ぐ能力を持ち合わせていないなら他にどうしようもないのだから小説家になるしかない。持ち合わせているなら兼業した方が絶対に得。ごく簡単な結論である。


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 同系列の質問で、「小説家は楽して稼げるのか?」なら、これはもう絶対の自信を持ってyesと答えられる。世の中こんなに楽して稼げる楽しい仕事はない。好きなことやって金をもらえるわけですからね。

 世間では「好きなことは仕事にしない方がいい」という言説がまかり通っているが、これは完全に間違いで、「原理的に稼げない、あるいは稼ぐ能力を持っていないことは仕事にしない方がいい」という当たり前の話に、多くの「好きなこと」が当てはまっているだけである。僕だって小説執筆以外にも好きなことはたくさんある。小説を読むのももちろん好きだ。漫画を読むのも美味しいものを食べるのも好きだ。でも小説や漫画を読むだけ、飯を食うだけ、で金を儲ける手段はどう考えても存在しない。音楽を演るのや料理を作るのも大好きで、この二つは稼ぎにつなげられるルートがちゃんと存在するけれど、残念ながら僕にそれだけの能力はなかった。

 だからこれら(読書・食事・音楽・料理)を仕事にしない方がいいのは明らかだ。「好きなことだから」ではない。シンプルに、稼げないからである。

 小説執筆はちゃんと稼げる。だから、その能力があるならとても楽しんで稼げる素晴らしい仕事と言える。

 でも「楽」はさすがに嘘では? と疑うかもしれない。

 このへんは半分言葉遊びになってしまうが、「難しいが苦しくはない」「仕事ではあるが労働ではない」という表現でわかってもらえるだろうか。

 たとえばショパンのエチュードが弾けるようになるまで練習する。たとえばティーショットで240ヤード出せるまで打ちっぱなしする。たとえばクラフトなしでエンダードラゴンを倒すために試行錯誤する。どれも、好きでやっているなら「難しいが楽しい」でしょう。苦しくはない。小説執筆も同じで、お金を出してもらえるほどの物語を書ききるのはたしかに難しいけれど、とても楽しい。難しいからこそ楽しい。僕は子供の頃から、人間が生きていくためにやりたくもないことを我慢してやらなければいけないという事実が呑み込めず、生活のために労働している自分がさっぱり想像できなかったのだ。なんとかして遊んで暮らしたかった。今でも僕にとって小説家は遊びという認識である。

 そんなわけで、自分の好きなことの中に偶然「小説執筆」という選択肢があった幸運を噛みしめつつ、今日も楽して楽しんで稼がせていただいている。僕を取り巻く環境のすべてに感謝したい。この偶然がなければ、僕はきっと野垂れ死にしていただろうから……。

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