3-06.またかよぉ……

「おはよう、ひーくん」


 教室。授業が始まる前。

 僕が窓の外を見ていると、昨日と同様にあいつが現れた。


「……おはよう、神楽さん」


 僕は精一杯の笑顔で返事をした。

 大丈夫。覚悟はできてる。妹の加護を得た僕に敗北は無い。


「また後でね」


 だけど彼女は何もしなかった。

 上品な笑みを浮かべ、そのまま自分の席に戻ったのだ。


(……何を企んでいる?)


 彼女は僕に覚悟しろと言った。

 これも何らかの作戦に決まっている。


(……ふっ、この僕をその辺のチョロインと一緒にしないことだ)


 僕が好きなのは、清楚なヒロインだ。

 彼女の本心を知り、妹の加護を得た今、如何なる策略だろうと屈することは無い。



 *  お昼休み  *



「ひーくん、今日も一緒にどうかしら?」


 ……来やがったな。

 僕は笑顔の裏側で呟いた。


 午前中、彼女は不気味な程におとなしかった。

 それはきっと嵐の前の静けさ。このお昼休み、何か仕掛けてくるに違いない。


「たまには友達と食べたら?」

「……とも、だち?」


 本気で動揺しちゃった。


「ごめんなさい」


 僕は素直に頭を下げた。

 今後しばらく、この話題は避けよう。


 お詫びの意味も兼ねて机を合わせる。

 今日も立花くんが気を遣ってくれたから、神楽さんは彼の机を借りた。


「今日はサンドイッチを作ってみたの」

「ピクニックみたいだね」

「教室の外に移動する?」

「君が居ればどこでもピクニックだよ」

「ふふ、なんだか照れるわね」 


 彼女はサンドイッチを手に取る。

 それから僕に向かって両手で差し出した。

 

「どうぞ」

「……どうも」


 手の平サイズ。中身は玉子。

 僕は少しだけ警戒しながら口に入れる。


(……普通にサンドイッチだ)


 過剰な砂糖や甘味は無い。

 普通の、ごく普通のサンドイッチだった。

 

「おいしい?」

「……うん、おいしいよ」


 僕は笑顔で返事をする。

 彼女は安心したような表情をして言う。


「良かった」


 ……なんだ、これは。


「色々な具があるわよ」

「……へぇ、そうなんだ」

「外れもあるかも」

「僕に嫌いな食べ物は無いよ」

「本当かしら?」


 彼女は僕の反応に一喜一憂する。

 ただ普通に、ありふれた日常を共有するだけの時間が流れた。


 ……妹を、心に妹を召喚するんだ。


 僕はチョロくない。

 これは捨て猫を拾った不良だ。


 だから神聖なる存在を思い出す。

 妹と比較すれば、こいつなんて……。


「ひーくん」


 彼女は僕に向かって手を伸ばした。

 ほら来た。やっぱり来た。ここから奇行が始まるんだな!?


「ほっぺ」


 彼女は白い指を伸ばし、僕の頬を撫でた。

 

「意外と抜けてるのね。かわいい」


 まるでお姉さんのような微笑み。

 彼女は自分の指先をじっと見る。


 照れたような表情。

 僕と自分の手を交互に見て、そして……。


 そっと、ティッシュで拭き取った。


(……かん、ぺきだ)


 主人公の頬に付いた食べカスを取り、口に入れる。

 ラブコメでは頻繁に見る行為だが、出会って数日の相手に対する行為としては正直どうかと思う。その点、彼女は完璧だった。


 その姿が妹と重なる。

 僕が展開した聖域はいとも容易く貫かれた。


 ──ドクンと心臓が跳ねる。

 僕は胸を押さえ、顔を隠すように俯いた。


(……またかよぉ)


 確かに彼女の外見は理想的だ。でも僕は例のアレを目にしている。どれだけ取り繕ったところで、変態であることに変わりはない。


 だから、おかしい。こんなはずはない。

 信じられない。断固として認めたくない。


 僕は……こんなにもチョロかったのか?


「どうしたの? 急に苦しみだして……」


 彼女は心配そうな声を出した。


「……ちょっと、持病の心不全が」

「大変。直ぐ保健室に!」

「……平気だよ。深呼吸すれば治るんだ」


 僕は自己暗示を始める。

 妹が最強。妹が最強。妹が最強。


「ごめん、驚かせちゃったね」


 僕は顔を上げる。

 

「……本当に、平気なの?」

「もちろん。よくあることなんだ」

「……そう」


 彼女は心から安堵した様子を見せた。

 その直後──瞳に涙が浮かぶ。


「ごめんなさい」


 彼女は慌てて顔を隠した。

 そして数秒後、何事も無かったような笑顔を見せる。


「サンドイッチ、まだまだ残ってるわよ」

「……ソウダネ」


 これは演技だ。これは演技だ。

 彼女は僕が喜びそうな行動をしているだけ。


 その目的はゲームに参加すること。

 彼女は自分の野望を叶える為に、都合の良い仲間が欲しいだけなんだ。


 だから、静まれ。

 熱くなるな。僕の頬。


 僕は主人公だ。僕は主人公だ。

 変態ヒロインに攻略されるパターンなんて、


(……割と、たくさんあるじゃないか)


 僕は窓の外を見てサンドイッチを食べる。

 今度の具はマヨネーズたっぷりのツナだ。


「……うん、おいしい」

「ふふ、良かった。あなたは、マヨネーズ系が好きなのかしら?」


 これはこれで主人公っぽいかな。

 僕は遠くを見つめながら、そう思った。



 ──再び命を賭ける瞬間。

 それが直ぐそこに迫っているとも知らずに。

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