第17話 教師

余裕はない、が、今回ばかりは慎重にならざるをえなかった。あの後地下から戻ってすぐに突撃しようとしたところ、関係者と思しき人物が、物理の教科担任だったためである。


(面倒だな・・・ん、こう言うのは厄介って言ったほうがよさそう。)


目の前で授業をしている、高身長の教師を見上げる。誰の家かなんとなく分かっても、まあ大丈夫だろうとタカを括って屋敷に侵入したところ、運悪く鉢合わせし、教師、もとい谷島に見つかってしまったのだった。


(放課後呼び出しか・・・お菓子持って来ておいてよかった。)

丁寧で几帳面な字が黒板に書き記されていくのをぼんやりと眺めつつ、これが二件目になるはずの学校関係者への突撃に憂鬱になっていく。


「どうした?さっきからため息ばっかりついて。」

隣の席が、またうるさい。なぜこうもこのクラスは席替えをしないのか、不思議になる。


(三峰か小室だったら、楽しいだろうに。・・・そもそも僕、あんまり人付き合い好きじゃないんだけどね。)

死なない、老いない、すぐ治るの三拍子揃い踏みを知られると、仲良くしているその人は何も言わなくても、其の周囲の反応が面倒なことが多い。こいつに関わるな、と注意するくらいならまだ良心的と言えるが、役人に突き出そうとしたり、見せ物小屋に売ろうとしたり、まあ碌な目には遭わないのだ。

(その度に刃傷沙汰とか、流石に飽きたし・・・この手の好奇心の塊が一番最悪。)

頭を振り、窓の外に意識を向けると、開かれた窓から、夏の初めの緑の薫りが吹き込んできており、ふっと息をついた。とりあえず、色々となるようになるだろう、と。



菱津は学校でも指折りの、行儀のいい生徒だった。

居眠りはしない、制服は着崩さない、掃除は・・・たまに放擲するが問題になるほどであない、敬語は話せないがなんとなく従順で、早退と欠席も多い気はするが、体が弱いようで仕方がないし、遅刻はしない、などなど。言うほどしっかりはしていないが、普段の生活は雰囲気だけでなんとかなるレベルだった。


しかし、成績に関しては、救いようのない悪童である。


「今回の呼び出しはその件ではないことは、分かっているな。」


理科系準備室の扉が、其の声と同時に閉まった。黒い合皮のソファに座り見回すと、ほとんど個室扱いのようで、事務的な机と椅子の他に、菱津がおよそ理解しようとは思わない種類の本が所狭しと詰められている。全く、面白みにかける部屋であった。


「・・・で、さっきから何を食べている?」

「コインチョコです。・・・・あげないよ?」

座ってこちらを見上げている青年は、特に物理のテストは惨憺たるもので、いくら起きていれも全く実を結んでいない様子なのは、他の教師にとっても頭痛の種だった。


「別にいらない。それより・・・私の家になんの用が?あんな夜遅くに。」

目の前まで歩いてきた教師は目を合わせるためにローテーブルに座り、身を屈めて膝の上に手を置き、指を組み合わせた。


「あれ、先生って結構イケメンなんだね。僕の背だと、普段よく見えないんだけど。」

「質問に答えてくれるかな。」

答えようにも、まさか、よくわからない世界の、よくわからない生き物を助けるために盗まれたらしい力を探していて、それが偶然先生のところにあったんだよ、とは言えない。


「え、いや、友達の家と間違えちゃって。」

その答えに満足していない、と言うのが、表情からありありと伝わってくる。どうやら胡散臭いと思われてしまったらしい。

(それにしても、こんな先生だったんだなあ。結構しつこそうだ、かっこいいけど。)

目の前にある男の顔を正面からじっと観察してみる。清潔感のある髪型に、整った、ちょっと日本人離れした顔立ちが、いかにも几帳面な理系、と言った感じでやはり若干苦手なタイプである。


「鍛えているの?結構がっしりしているよね。」

「・・・話が噛み合っていないこと、わかっているか?私は君の交友関係をよく知らないが、あのあたりは治安も悪い、この学校の生徒は少なくともあそこら辺にはいないはずだ、誰のところへ行くつもりだったのかと聞いたんだ。」

「誰って言われても・・・先生の家に用があったので。」


話が右往左往して、何が本当の話なのかと、教師は眉間に皺を寄せる。

「私の家に?なぜ。」

厳しい目が自分を射抜いて離さない。菱津はそんな形相を面白く見ながら、こんな一面もあるのかと、普段あまり感情的ではないタイプの教師を見つめ返す。

「おい。」

「僕、先生の弱みを握っているんですよ。」


半分本気で、半分嘘だった。一つの世界を破壊させる原因になっている、と言う事実である。しかし教師は無論其のようにはとらえず、目に鋭い光が宿った。

「へえ、そうか。たとえば?」


困ったことになって来ているらしい自覚はある。答え方によっては掴みかかって来そうな雰囲気があり、困惑は時間を置くごとに好奇心に変わった。

「何かあるんですか?」

「俺が聞いているんだが。」

「先生って、普段隙なんかなさそうなのに、どうしたの?」

鬼気迫る顔で睨まれれば、誰でも多少物おじするものだ、とこの教師は思っていたが、どうにもこの生徒は異端らしいと思い始める。

「隙がない、か。そもそも私には弱みなんてない。さて、なぜ家に用があったのか、そろそろ話してもらおう。」

菱津は菱津で、話が通じない相手には、最後には問答無用で暴力に訴えてくるものだと思っていた。しかし目の前の教師からは苛立ちが感じられず、長引くこの会話が自分の首を絞めているように思えてならない。


「・・・物理の先生の家って、どんな感じなのかなって思って。」


絞り出した答えがそれである。教師は前傾姿勢のままぽかんとしている。


「ではこれで。」


引き止める声は「聞こえたような気がしたけど、きっと気のせいだろう」と言うことにして、さっさと部屋から退出した。

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