プレゼント

永里 餡

序 1

 世の中のあらゆる現象。


大きな事件・事故、取るに足らない小さな出来事も切っ掛けは往々にして些細なことである。誰の記憶に残らないような現象が、時として誰もが忘れられない現象になることは実は珍しくはないのだ。




 野茂登優希のもとゆうきが透明人間になったのは高校2年の新学期が始まったばかりの4月中旬だった。


 その日、優希は友人の千川せんかわみのりと昼休みの廊下を歩いていた。初めて通う女子高は思い描いていたような清楚なものではなかったが、そういった空気感にも慣れ、また思春期にありがちな異性に対するちょっとした恐怖感から逃れられた事に安堵もしていた。


「あっ」


 不意に聞こえた声に優希とみのりが振り向くと、同じクラスの中川陽菜なかがわひなが慌てた様子でしゃがみ込んでいた。


「何?どうしたの?」


「あたしのハンカチ」


 陽菜は優希の足元を指さした。指された先に目を向けると優希の上履きの下で一枚の布が潰されている。


「あっゴメン!」


 慌てて足を引くと、レースで縁取られた薄い桜色のハンカチがクシャクシャになっていた。


「酷い。お母さんに貰ったばかりなのに」


「中川さん、ゴメンね、ほんとにゴメン」


「陽菜、昨日誕生日だったんだよ、今日使ったばっかりだったんだよ」


 陽菜は泣きそうな顔で抗議をはじめた。女子の中では平均的な身長の優希より頭一つ小さい陽菜は、言葉使いも相まってクラスの中でも妹のような印象の存在だ。


 その彼女が意外なほどの勢いで優希に詰め寄る。


「汚れちゃったじゃん、まだ皆に見せてないのにっ」


「ちょっと中川さ~、優希だってワザと踏んだんじゃないんだからさ~」


 陽菜の剣幕に少し呆れながら、みのりが口を挟んできた。


「だってこれイタリア製だよ」


「そんなの関係ないじゃん、中川が落としたのが悪いんでしょ」


「ちょっちょっと、みのり。踏んだのは私なんだから少し黙っててよ」


 みのりは小中から高校生になった今でもバレーボールを続けているバリバリの体育会系なので、陽菜の供っぽいとも感じる態度に苛立っているようだった。


 長身のみのりと陽菜が並ぶと大人が子供に注意しているようにも見えなくもない、中学からの友人である優希はみのりの直情的な性格を分かっていたので、慌てて仲裁に入る。


「とにかくゴメンなさい。これちゃんと洗って返すから」


 そう言いながら優希が拾い上げたハンカチを陽菜はひったくる。


「もういいよ、こんなの要らない、またお母さんに買って貰らうもん」


「えっダメだよ、ちゃんと洗うから」


「だからもういいっ」そう言って陽菜は走り去ってしまった。


「何だよ、あいつイラつくな」


「まあまあ、みのり同じクラスなんだし、私も後でまた謝っておくから」


「はあ?優希が謝る必要なくない?」


「いや、ねっ、ほら彼女ちょっと子供っぽいところあるから、ねっ」


「優希はほんと大人しいよね」


 みのりはそう言うと、つい今しがたの出来事にはいっさい関心を示さなくなった。

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