第67話 何も得ることができなかった(※sideアレイナ)

 私は恐怖に震えた。

 嫌だ。冗談じゃない。このままじゃ私だって栄養失調から病気になるわ。そしてこんなボロアパートの一室でひっそりと孤独に死んでいくことになる…。


(冗談じゃないわ!私はかつて公爵令嬢だったのよ?!こんな……こんなところでくたばってたまるものですか!!)


 私は働くことを放棄して、一切連絡のつかなくなっていた親戚たちの家に押しかけた。でもどこに行っても厄介者扱いで面倒くさそうに追い払われる。元々両親が何度も助けを求めていたのに無視していた冷たい連中だ。当てにするだけ無駄だった。


 嫌で嫌でたまらなかったけど、ダリウスにアプローチする前に婚約させられていたベイル伯爵家の三男にも連絡をとってみた。かつて結婚できる可能性のあった美しい元公爵令嬢が自分を頼ってきたら、おそらく天にも昇る心地だろう。気持ちの悪い不細工だから美女とは縁がないはずだ。


 そう思っていたのに。


 はるばる会いに行ってか弱いそぶりで助けを求めてみても、その不細工は鼻で笑うだけだった。


「はっ、今更僕のところにやってきて何事かと思えば…、随分なめられたものだな。困っているから何だっていうんだい?まさか、この期に及んで僕に結婚してほしいなんて言うつもりじゃないだろうねぇ。あいにくと、僕にはすでに可愛い可愛い婚約者がいるんだよ。社交界から遠ざかって久しいから、ベイル家の話なんて聞くこともなかっただろうけどね。年下でしとやかで良い子なんだぁ。君みたいな家柄以外に一つも取り柄のない高慢ちきな女とは雲泥の差さ。…今となっては家柄ももはや大きな欠点だしね。王家を敵に回して落ちぶれた元公爵家なんて、関わりたくもないよ」

「…………な……、何ですって……?!」


 ずっと下に見ていた男にこれでもかと馬鹿にされて私はブルブルと震えた。握った拳の爪が肌に食い込んで鋭い痛みを感じる。


「……ああ、まぁ誰にも相手にされなくて寂しいっていうのなら、愛妾ぐらいにはしてやってもいいかなぁ。その代わりお手当はごくごく最低限だよ。君にはそんなに価値がないんだからさ。あっははははは」

「…………く……っ!!」

「かつてのあの生意気な元フィールズ公爵令嬢を愛妾にしただなんて、これはいい話のネタになるなぁ。くっくくく……、……いたぁっ!!」


 私はベイル伯爵令息の不細工な顔に平手打ちをお見舞いし、彼の屋敷を後にした。後ろからまだまだ罵詈雑言が飛んできていたけれど、悔し涙に濡れた顔を見られたくなくて振り返ることなく立ち去った。




 それから数日間、私は街を彷徨った。

 長いこと家賃を滞納していたアパートにはもう戻れなかった。昼も夜もドアを乱暴にノックしながら怒鳴りつけてくる大家の声が私を追いつめていた。


 私はようやく辿り着いたこの修道院の院長に泣きついて、しばらく置いてもらうことになった。ありがたいけれど、いつまでここにいられるのだろうか。いい男を引っかけて妻の座に納まり悠々自適な生活を手に入れたいけれど、社交界の男たちは誰ももう私など相手にしない。貧しい平民の男なんかたぶらかしたところでその後の生活はたかが知れている。

 毎日ぼんやりとそんなことを考えながらここで流されるままに生活し、言われるがままの労働をしていた。そんな時に突然、王太子妃となったあの女が私の前に現れ、声をかけてきたのだ。




 私は結局、何も得ることができなかった。

 地位も名誉も、社交界の連中からの賛辞も。

 初恋の王子様も、真実の愛も。

 いつか必ず見返してやると心に誓っていた妹にも、そしてクラリッサ・ジェニングにも、勝てなかった。


 クラリッサ……。彼女は全てを手に入れたんだ。


 私は彼女から愛する婚約者を奪って、いい男から選ばれたのだと、そしてそれは自分の方が価値があるからだと有頂天だったのに。

 今は全く逆の立場になってしまった。


 可愛い王子と王女を産んだことは知っている。美しい王太子妃の出産はどこへ行っても皆が話題にしていたから。

 

(……たしかに……驚くほど美しさに磨きがかかっていた……)


 先ほどの彼女の姿を思い出す。



『こんばんは』



 慈愛に満ちた優しい声に何気なく振り返ると、そこには美貌に磨きをかけたあの女が立っていて、私の方に身を屈めていたのだ。透明感の際立つ澄んだオーラはその辺の女たちとは比べものにもならない気高いもので、肌も髪も艶やかで、紫色の瞳は深い輝きをまとっていた。

 あのエリオット殿下に溺愛されているというのだから、そりゃ自信に満ちて美しくもなるだろう。



『ア…………アレイナ、さん、ですわよね……?』



 一瞬の後そう言った彼女からは、心底驚いた様子と、そして私への憐憫が透けて見えたのだった。


「………………っ!」


 思い出すだけで恥ずかしさと惨めさに頬が火照る。あんなに啖呵を切った相手なのに、あんなに貶めた相手なのに、向こうは何不自由ない幸せな王太子妃となり、逆に私は金も家族も何もかも失った最下層の女となった……。


(ああ……もう……、……消えてなくなりたい……)


 私は、負けたのだ。完全に。






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