第19話 友情

「マルさん、どう?痛む?」


ヘドロは心配そうに、ベッドに横になるマルに顔を覗き込んだ。

マルは冷や汗を額に浮かべながら、それでも笑顔を作って見せた。


「大丈夫だ。痛みには強い方だから」


嘘であった。


本来であれば、痛い痛いと喚いて、泣き出してしまいたいのが本音だった。しかしマルは、ヘドロを心配させまいと、無理やり口角を上げて笑った。


大腿部から切断された脚は、もうないはずの部分がじくじく痛み続けている感覚がした。ずっとノコギリで脚の根元を切られている、そんな風にも感じられた。

マルは貧血気味で、喋ると脳がくらくらした。目の前が少しだけぼやけている。


手術は、ヘドロの部屋で行われた。ヘドロのGPSが不自然な場所にあると、ガスたちに訝しく思われると考えたからであった。伊東がその日のうちに、あれこれと大型の機材や器具を準備して、ヘドロの家のリビングは小さな病院と化していた。

マルの血は黄金の血と呼ばれ、とても稀な血液であったため、輸血が出来なかった。そのため、伊東が、運が悪ければ死ぬな、と言っていたが、どうやらそれは免れたらしかった。マルは心の中で、神と、伊東の異常な腕の良さに感謝した。

マルと伊東の脚の手術の前に、ヘドロの手首からチップを取り出す作業も行われた。一ヶ月後に、出来るだけ傷口を目立たせないようにするためであった。


マルは開けっ放しになっている扉の向こうの、伊東に目をやった。折り畳み式の検査椅子に寝ている伊東も同じく、大腿部から下を切断しており、しかし、マルとは正反対にとても上機嫌であった。ニコニコと笑いながら、鼻歌を歌ってテレビを見ている。

マルはそれを見て初めて、伊東が本物のマゾヒストであることを理解した。


ヘドロはタオルで、マルの額の汗を拭いながら言った。


「やっぱり、無茶だったんだ。こんなの…」

「オイ、そんな顔をするな、ヘドロ」


マルはヘドロの、心配と不安が入り交じったような瞳を見て、ヘドロの頬に手を当てて、もう一度笑って見せた。ヘドロはそれを見て、泣くのを我慢するみたいに小さく笑った。


「ねえ!ちょっと!イチャつかないでくれる!」


テレビを見ていたはずの伊東が、リビングで叫ぶ。

どうやらヘドロに関しての言動には、何かしら勘のようなものが働くらしかった。

マルは伊東にひらひらと手を振って、乾いた笑い声を上げた。

それが精一杯であった。


そうしていると、ふいに家のチャイムが鳴った。

ヘドロが一度寝室を出て、それから家を出て行く音がした。そして数分経ってから、またドアの開く音がして、ヘドロはマルの元へ戻ってきた。


「ラックさんが来たよ」


マルがリビングに目をやると、扉からひょこっと、車椅子に乗ったラックが顔を出した。よぉ兄弟、と言って、スーパー袋を手にしていた。昨日よりも顔色が良く、声に張りがあった。


「調子はどうだ」

「そりゃあもう、絶好調だ」

「ハハ!そりゃ良い!俺も今度、伊東に切ってもらうかな」


ラックがそう言うと、ヘドロは振り返ってラックを睨んだ。ラックはそれが相当恐ろしかったのか、冗談だよ、と言って引きつった笑い方をした。

マルはラックに聞いた。


「誰に送ってもらったんだ」

「トキさんだ。うちに報酬を貰いに来たから、ついでに乗せてってくれって頼んだんだ。ほれ、これトキさんから。イチゴだ。手ぶらで良いって言ったんだけど、毎回会う時は差し入れを持ってくる。今は何でも物価が上がって、果物なんて高級品だ。ありがたいね。イチゴは今が旬だから、きっと甘いぞ」


ラックはヘドロにイチゴを手渡した。後ろで伊東が、食べたい!と声を出した。


「伊東がうるさいから、洗ってくるね」

「うん」


ヘドロはそう言って、キッチンへ向かった。それと入れ替わるように、ラックが寝室へ車椅子を押して入ってくる。ラックはポケットからメジャーを取り出して言った。


「義足はすぐ用意する。って言っても、特急で一週間はかかるがな。歩くどころか走れるまで練習せにゃならん。それまでに、お前さんの傷口が塞がるといいな」

「アア、そうだな」


ラックはスマホのメモ帳に、マルのだいたいの脚のサイズを記録した。そうしていると、後ろで伊東が騒ぎ始めた。


「やだ!にぃにに食べさせてもらわないとやだ!」

「お前さ…手はあるんだから自分で食べなよ」

「やだ!やだやだ!」


ラックは振り返って、呆れたように笑いマルを見た。

痛みに苦しんでいるマルも、それにつられて笑った。





______________________




それから一週間後。


ヘドロの家に再びラックが訪ねてきて、重い重いと言いながら、ダンボール箱を二つ、リビングにどかっと置いた。ラックはすっかり立てるようになり、元気を取り戻しているようだった。


「ほれ見ろ、特注品だ」


ラックがそう言って、ダンボール箱から取り出したのは、脚、そのものだった。

…否、そう見えるほど、見事な出来の義足であった。


ヘドロは義足を触り、驚いた表情でラックに言った。


「柔らかい。色も、本当に肌みたいだ」

「だろ?だけどコイツは、鋼鉄の8倍の堅さを持ってる。しかも、銃弾の衝撃を分散させるように特殊な加工が施されてる。一発二発じゃあ、まず壊れない」


ラックが義足を抱えてマルの元へ近寄ってくる。

マルは、強い痛み止めで脚の痛みを忘れるぐらいには回復していた。ラックはマルに義足をつけながら話した。


「傷口の治りはどうだ」

「伊東が言うには、もう一週間はかかるみたいだ。これでも早い方らしいんだ」

「そうか。じゃあ二週間で走れるようにならなきゃいけねェな。俺も、ここまで両脚を切って義足で走ってる奴は見たことがない。だから、死ぬ気で頑張れ」

「わかってる」


ラックが親指を立てた。

見ると、義足はぴったりマルの脚にはまっていた。マルは自分の脚が戻ったような気持ちで、少しだけ片脚を持ち上げた。ずしりとした重みを感じた。


「おー、上手い上手い。そうやって、ベッドでも少しずつ動かせ。なんでも慣れが重要だ」


ラックはマルの肩を叩いた。マルは、うん、と頷いて見せた。


すると、その後ろで、わー!というヘドロの大きな声が聞こえた。マルとラックはリビングを見た。


そこには、ヘドロに抱きついている伊東の姿があった。驚くことに、伊東はもう義足をつけて立ち上がったらしかった。


「にぃにー!」

「重い…どいて…」


ヘドロはとても鬱陶しい、というような顔で、伊東の頭を叩く。ラックは笑いながら、愛は地球を救うな、と呟いた。そこに、確かに、とマルは付け足した。


「兄弟も、負けてられんぞ」

「うん」


ラックが拳をマルに向けた。マルも、同じように拳を作ってタッチした。




______________________




それからというもの、伊東の成長は凄まじく、一週間も経った時には立って歩ける程にまで義足を使いこなした。ヘドロが歩く先からついて回って、うざったがるヘドロに殴られる、というのがお決まりになった。


反対にマルは、立ち上がるのがやっとで、それも、誰かに肩を貸してもらわなければ出来なかった。マルはそれが歯がゆかった。身体の重心が上手く掴めず、ぐらりとよろめいていつも倒れてしまう。マルは悔しかった。何度も何度も、立ち上がる練習をした。


伊東はそんなマルを見て、ため息をついた。ヘドロが買い出しに出て行って暇なのか、伊東が、また体勢を崩して倒れ込むマルに近付いて、見下すようにして呟いた。


「アンタさ、自転車とか、補助輪無しで全然乗れなかったタイプでしょ。ずっと親に後ろを持ってもらってさ。そういう奴はさ、決まって臆病なんだよ。アンタは、所詮その程度の心持ちってこと。にぃにを助ける気持ちより、怖いって気持ちが勝ってる。だからダメなんだよ」

「……」


マルは伊東の目を睨みつけた。伊東はそんなマルを見て、鼻で笑った。


「俺は、完璧な手術をした。世界中で、最も優秀な治療もした。それなのにアンタは…マジで無能過ぎ。使えないし邪魔でしかない」


伊東が笑いながら言う。いっそ死ねば?と。


マルは、歯を食いしばった。

そしてベッドに掴まり、震える脚で、だけれど確かに、立って見せた。そして伊東の胸ぐらを掴んだ。


「…俺は、絶対に生きて、帰ってみせる」

「……やれば出来るじゃん」


伊東は同じように、マルの胸ぐらを掴んでにやと笑ってマルを見た。マルもまた、伊東を見て笑ってやった。


「……なにしてんの?」


帰ってきたヘドロが、掴み合う二人を不審そうな眼差しで見つめていた。


それから伊東は、事あるごとにマルを罵倒した。クズだのゴミだの、言いたい放題でマルを見下した。その度にマルは、だんだんと立ち上がれるようになり、そして歩けるようになっていった。伊東の原動力が"愛"なら、マルは"怒り"だった。そうして二人にはいつしか、奇妙な友情が生まれていった。


「アンタって本当に鈍くさい、それに愚図。そろそろ俺の頭の良さを見習って欲しいんだけど。もういっそのこと、母さんの子宮からやり直せば?」

「お前こそその減らず口をどうにかしろ。自分は利口だと言う癖に、俺を罵ることしか脳が無いように見える。負け犬はよく吠えるらしいからな、それと一緒か」

「あ゛?なんだと」

「オオ、やるか?」


…こんな調子で、二人はいつもいがみ合い、最後にはお互いを笑って終わった。ヘドロはその様を見て、最初は止めるように仲裁に入っていたが、すぐにやめた。これが二人にとって一番良い関係値であると、ヘドロは理解した。


そして、マルと伊東は公園に出掛けて走る練習をした。


伊東は、以前からマルが思っていた通り、車から降りるなり真っ直ぐに走り出した。そしてブランコに飛び乗って、立ち漕ぎをしていた。伊東という男は、本当に飲み込みが早かった。


マルも負けじと、公園をぐるぐる歩いて回り、徐々に駆け足をしていった。途中で躓いて倒れたり、息切れを起こしたりしていたが、ブランコに乗った伊東がシーシャを吸いながら、頑張れー、と棒読みで呼び掛ける度に再び立ち上がり、脚を動かした。ラックが言ったように、文字通り、死ぬ気で頑張った。


脚の痛みも、息の苦しさも、辛い過去からも、振り切るように走った。


マルがようやく人並みに走れるようになった時、残された時間はあと1日だった。


「マルさんも、良いとこ見せるじゃん」

「ありがとよ」



二人は笑いあった。

これだけ一生懸命になる目的は、ただひとつ。


ヘドロを救いたい。それだけだった。

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