第3話 はちみつとバナナ🍯🍌



――あれは2ヶ月ほど前。


佐久間熊が工程管理課へと異動してきた日のこと。


製造部門でゴリラと同じく主任という役職を担っていたが、ここは工程管理課。


製品を定められた工数で正確に作り、その改善を行う。

もちろん、製造での経験が全て無駄にはなることはない。


だが、モノづくりをする側から管理する側へと移ったということはとても大きな変化だった。


それは優秀な佐久間熊主任も例外ではなく、その仕事の違いに戸惑っていたのだ。


『はぁ……評判のいいこの場所にきたというのに……ここまで違うとは……やはり、外から見るのとでは違いますね』


熊主任は、昼休憩に社員が行き交う食堂ではなく、工程管理課の横にあるカフェスペースで1人静かに休憩していた。


広さは街中にある個人店ほどのこじんまりとした店内。熊が座っている場所は、窓際にある木製のカウンター席だ。


そんな熊主任の手には、白いティーカップがあり、中身はハンガリー産アカシアはちみつが使用されたカフェラテ。


ちなみに、ハンガリー産のはちみつは柔らかくまろやかな甘さが特徴で、はちみつの女王と呼ばれる逸品だ。


そして、この日の豆はエチオピア産のイルガチェフェモカを中煎りにした酸味の少ない香り豊かなものが使用されていた。


そのカフェラテを一口飲んでは、ため息をつくを繰り返している。


『ここへ来るのには、まだ早かったのでしょうか……きっと上ばかり見すぎたのでしょうね……』


すると、その店内に紺と白色のカラーリングの作業服を着た黒く大きなゴリラが入ってきた。


外に出ていくわけでもないのに、いつもパソコンが入るほどのリュックを背負っている。


彼はキョロキョロと店内を見渡すと、レジに向かい注文を手早く済ませて、熊主任の隣に座った。


『ウホウホ!』

『あ、どうも、ゴリラ主任……』


そして、肩をポンポンと励ますように優しく叩いた。

『ウホ!』

『はは……すみません。お役に立てると思い異動してきたのですが、なかなか上手いこといきませんね』


そう言うとカウンターにティーカップを置きそれを見つめている。


ゴリラは、そんな熊主任に白い歯を見せて話し掛けた。

『ウホウホ……』

『どんな人も初めはそうですか……』

『ウホ』

『ですが、私はこの役職を引っ提げて自らここへ来たのですから、そんなことも言えませんよね』

『ウホ、ウホウホ!』

『そんなことは関係ないですか……』

『ウホウホ』

『ですが――』


熊が塞ぎ込み彼の励ましに耳をかそうとしなかった。


――その時。



ゴリラは、普段はあまり持ち歩かない珍しいバナナを背負っていたリュックから取り出し、熊主任へと差し出した。


それはビニールに包まれた綺麗なスイートスポット出ているバナナ。


この品は【ともいきバナナ】といい、何度も試行錯誤を繰り返したことで、皮ごと食べることが出来るようになった日本産のバナナ。


ねっとりとした濃厚な甘さに、芳醇な香りが特徴だ。

そんなバナナを落ち込む熊主任へと渡した。


これはゴリラなりのエール。


どんなプロだって初めてすることは手探りで挑む。


それに時間だって掛かる。


でも、諦めないことが大切。


そんな想いを込めていた。


『ウホ!』

『これを私にですか?』

『ウホウホ』

『いいんですか?!』

『ウホ、ウホウホ!』

『ははっ、確かに知らないことをするのに役職もへったくれもありませんね……』

『ウホウホ……』

『そうですか……このバナナを栽培された方もですか。失敗しても挑戦し続けたのですね。ゴリラ主任、ありがとうございます』

『ウホウホ!』



――こうして、2人はバナ友となり、佐久間熊主任はゴリラの影響を受けて、バナナを自ら仕入れてバナナはちみつを作るまでになっていた。


そして、今、その出来事を思い出したからこそ、ゴリラは縦に首を振らなかったのだ。


なかなか元気にならない彼へ熊は目を見つめて話し掛けた。


「いつか、言いましたよね? これは初めてのことではないかも知れませんが、次に同じことを起こさないようにすればいいだけではありませんか?」


それに犬太も呼応して続く。


「そうっすよ! 僕なんて何回主任助けられたことか!」

「ウホ……?」

「ええ、なので気にしないで下さいね」

「はい! 佐久間さんの言う通りっす!」

「ウホウホ……」


もちろん、ゴリラの部下である他の工程管理課の仲間たちも「気にし過ぎですよ! 主任」などとあたたかな声を掛けている。


「ウホ!」


そして、ゴリラはまた元気を取り戻した。


バナ友と仲間たちのおかげで――。




🦍🦍🦍




――10分後。


時刻【9時30分】


彼は視力検査を受けていた。


右手には材質が樹脂だった為、なんとか元に戻った遮眼子がある。


「では、早速検査を行いますね」

「ウホ……ウホウホ!」

「いえ、大丈夫ですよ! 遮眼子も元通りですし」

「ウホウホ!」

「はい、ではお願いします」


犬太と熊主任のおかげで、復活したゴリラは覇気のある返事をした。


「ウホッ!」


その返事を受けて男性看護師は、検査の説明を始めた。


「では、あちらにあるアルファベットのCのような記号のを見て隙間があいている方向を答えて下さい」


そう言うとゴリラから手渡された問診票に目を通した。

「えーっと、前回が両目ともに1.5ですね」

「ウホ」

「何か見えにくいとかありますか?」

「ウホウホ」

「わかりました。でしたら、上から順にどうぞ」

「ウホ?」

「はい、右からでお願いします」

「ウホ」


ゴリラは、その指示に従い左目を遮眼子で隠した。


念の為、白い床に貼られた赤色のテープを見て立ち位置を確認している。


巨体でひょこひょこと動くゴリラ。


「大丈夫ですか?」

「ウホウホ」


彼は立つ場所が定まったことで、その動きを止めた。

そして、やっと視力検査が始まった。


「一番上は見えますか?」

「ウホ!」

「はい、上ですね! では、これは?」

「ウホ」

「はい、下です。次にこちらは?」

「ウホ……?」

「そうですね。右です」

「ウホウホ」

「この辺から、見えにくい感じですね」

「ウホ」

「では、次は反対を――」

「ウホウホ――」


落ち着きを取り戻したゴリラの検査は、特に止まることもなく、順当に進んでいった――。

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