第10話

「あの、ご馳走さまでした」


 お店を出る時。


 鬼塚さんは後ろから俺をツンツンとしてから、振り向いた俺に対して深々と頭を下げた。


「い、いいよそんなにかしこまらなくて。大したことしてないし」

「ううん、美味しかった。それに、か、可愛いって言ってくれて、嬉しかった……」


 もじもじ照れる彼女を見て、「いや、可愛すぎるわ」と声が出そうになったが堪えた。


「……俺も、楽しかったよ」


 できればまたご飯でも、と。

 続けたかったけど、その言葉も飲み込んだ。

 ほんとうに彼女が吸血鬼で、俺のことを餌としか見ていないとすれば。

 勘違いしてあまり仲良くするべきではないとさっき心に決めたから。


 ただ、


「あの、明日もご飯行かない?」


 そんな俺の決心は、彼女のそんな言葉と甘えるような仕草でグラグラと揺らぐ。


「あ、ええと」

「あ、明日は私が奢るから。今日のお返ししたいの。ねっ、ダメ?」

「うっ」


 首を傾げながらおねだりする彼女の猛烈な可愛さに俺は悶絶しそうだった。


 もちろん、そんな彼女を見て決別なんてできるわけもなく。


「……じゃあ、明日またご飯行こっか」

「うん、やったあ! じゃあどこに行くか、また相談しようね」

「……うん」


 己の意志の弱さに辟易としながらも、明日もまた、こうして鬼塚さんとデートできるんだと思うと嬉しいと思ってしまっていた。


 彼女は吸血鬼で。

 俺に向けられる気持ちは恋でも友情でもなく、ただ「美味しそう」というもので。

 それでも、彼女になら血を吸われたっていいかなって。


 そんなことを考えてしまう俺はやはり単純なバカなのだろうか。

 それとも、そう思わせることすら吸血鬼の狙いなのだろうかとか。


 複雑な気持ちが俺の中をぐるぐると駆け巡るまま。


 鬼塚さんと別れて静かに帰路についた。



「……可愛いよなあ」


 夜。

 一人で風呂に浸かりながらずっと鬼塚さんのことを考えていた。

 

 太陽みたいに眩しい笑顔。

 照れると紅葉のように赤く染まる頬。

 小動物みたいな愛くるしさ。

 何もかも、可愛すぎる。


 そんな子が、明日もまたご飯に行こうって。

 たとえ相手が化け物だろうと、嬉しくないはずがない。


 雪女や吸血鬼に魅了されて命を落とした人の逸話は枚挙にいとまがないけど、その人たちの気持ちが今ならわかる気がする。


 それほど、魅力的なのだ。

 彼女に恋して、その恋に溺れて、そのまま溺死しても後悔はないと、そんなことを思う自分がいる。


「……はあ」

 

 ため息をつきながら、どうして彼女は吸血鬼なんだと悔しくもなった。

 でも、逆にいえば彼女が吸血鬼でなければこうして仲良くなれることもなかったのかもしれないし。


 何をどう悔やんだところで、現状は変わらない。

 それに、鬼塚さんも必死に俺の血を吸いたい気持ちを抑えてくれているみたいだし。

 その上で、明日も会おうと言ってくれるのには一定の好意があると思っていいのかもしれない。


 ……まだ全て気を許すことはできないけど。

 もう少し、彼女のことを知ってみたい。

 その気持ちに素直になって、明日も鬼塚さんといっぱい話そう。


 いっぱい、話したいな。



「……まだ、ドキドキしてる」


 夜。

 お風呂に浸かりながら、私はずっと橘君のことを考えていた。


 もちろん今だけじゃない。

 彼とぶつかった日からずっと、私の頭の中は彼のことでいっぱいだった。


 優しい目、私を気遣ってくれるさりげない仕草。

 それに、血の匂い。


 今まで、他人の血の匂いが気になったことなんてなかった。

 小学校の時にクラスの子が怪我をして、保険係だった私が手当をしたこともあったけど、だからってこんな気持ちになったりしなかった。


 でも、橘君は違った。

 彼の血の……ううん、側にいてその匂いを嗅ぐだけでも、胸の高鳴りがおさまらなくなる。

 人よりも大食いではあるけど、彼といるとその食欲もいつもの倍はひどくなる。


 お母さんが吸血鬼で、私には半分その血が流れていることは知っているけど、だけど血が欲しいなんて思ったことは一度もなかったのに。


 なんで橘君を見ると、美味しそうって思ってしまうんだろう。

 血が飲みたいって、そんな気持ちが頭をよぎるのだろう。


 ……やだ。

 せっかく仲良くなれたのに、彼の血なんか吸いたくない。

 最初は、この吸血衝動は何かの間違いだと信じたくて、彼に近づいてみたんだけど。

 やっぱり私は、彼といたら血を欲してしまうことを自覚した。

 私にはやっぱり、吸血鬼の血が流れているのだとわかった。

 そして何度も醜態を晒してしまった。

 怖い思いもさせたに違いない。

 でも。

 彼はいつも優しくて、こんな私のことを責めることすらしない。


 そんな彼のことが、頭から離れない。

 でも、それは決して血が飲みたいなんて理由だからじゃない。

 私は多分、橘君のことを……


「……私のバカ。なんなのよ吸血鬼って」


 橘君を傷つけたくない。

 だからといって、距離を置いたりするのもやだ。


 もっと一緒にいたいし、もっと一緒に色んなところに行きたいし、美味しいものを一緒に食べたい。


 私が我慢すれば済むんだ。

 私が、この吸血鬼の血に打ち勝てばいいだけの話。

 我慢できなくなったらいっぱい食べて、食欲を満たしたらいいだけだもん。


 もっと彼のことを知りたい。

 明日もいっぱい、話聞いて欲しい。


「君のこと、聞かせて欲しい……」

 


 


 

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