第4話

「……遅いな」


 鬼塚さんの手料理は、それはそれは絶品だった。

 何がどう、という細かい説明は難しいがとにかく俺の舌に合った味つけで、あっという間に完食してしまった。


 しかし鬼塚さんは戻ってこない。

 トイレに行くと行ってたけど、さすがにちょっと心配だ。


 でも、トイレならさすがに様子を見にいくのはまずいしなあ。


 いや、だけどここは我が家だし……んー、廊下から呼んでみるか。


「……あのー、鬼塚さーん?」


 廊下に出て呼びかけてみる。

 しかし返事はない。


 そして、廊下の奥にあるトイレの明かりは、どうやら消えている。

 洗面所でも探して迷子になってるのか?


「おーい、鬼塚さんってばー」


 奥に呼びに行くと、風呂場の方からガサゴソと音がした。


 なんだ、いたのか。


「鬼塚さん、ご飯いただいたよ……ん?」

「すんすん、すー。はあ、やっぱいい匂い。橘君ってどうしてこんなにいい匂いなんだろう。あー、体液でこれならきっと血はもっとすごいんだろうなあ」


 声をかけようと脱衣所の暖簾を捲ると、そこにいたのはもちろん鬼塚さん。

 しかし様子がおかしい。


 男物の下着を顔に近づけてうっとりしながら息を荒くしている。


「な、何してるんだよ!?」

「え? た、橘君!? あ、いや、ええと、ご、ご飯は?」

「い、いただいたよ」

「そ、そうなの? ええと、お口に合わなかった?」

「いや、むしろめっちゃおいしかった……じゃなくて! 手に持ってるの、俺のパンツだよね?」


 話を逸らそうとする鬼塚さんを咎めると、明らかに動揺しながら鬼塚さんはパンツをポイっと洗濯機に放り投げた。


「せ、洗濯してあげようかなって。ほら、橘君のお母さんがね、洗濯する時間なかったーってぼやいてたから」


 最もらしいことを言うが、明らかに動揺している鬼塚さんは洗濯機の方を見て、残り香を探すように鼻をヒクヒクさせた。


 そして、


「くんくん……ああ、もっと嗅ぎたい……」


 思わず本音が漏れていた。


「……あの、鬼塚さんってもしかして」


 もしかしても何もなく、どこをどう見ても変態にしか見えないわけだが。

 女の子に向かって変態呼ばわりというのも少々失礼なのかと躊躇する。

 

 しかししかしだ、男のパンツを持ってその匂いにうっとりする女の子を変態と言わねばなんというか。

 彼女には悪いが敢えて言おう、変態であると。


「鬼塚さんって、へんた」

「わ、私は吸血鬼なんかじゃないんだから!」

「あ、うん、まあそれはそう……んん?」


 鬼塚さんの発言に俺は耳を疑った。

 今、確かに吸血鬼って言ったよな?


「あの、鬼塚さん吸血鬼って?」

「ち、違うの! 私、全然橘君の匂いで興奮して橘君の血が飲みたいとかそんなこと微塵も考えてないから!」

「……なるほど」


 どうやら、そう思っているらしい。

 あまりに情報量が多いと、かえって人は冷静になれるようで。

 俺は鬼塚さんの発言を聞いてもなぜか驚くことはなかった。


 つまり、彼女はやはり吸血鬼なのだ。

 そしてなんらかの理由で俺の匂いに興奮して吸血鬼の本能が疼いていると、混乱して放心状態な俺の頭は冷静にそう分析した。


「鬼塚さん、血が欲しいの?」


 朝からずっと、彼女が吸血鬼ではないかと考えていたせいか、こんなとんでもない質問がサラッと口に出た。


 もちろん、この段階でも俺は半信半疑というか、まだ彼女のことを吸血鬼というよりただの性癖のおかしな変態女子だと思っていたわけだけど。


「え、いいの?」


 ごくりと生唾を飲みながら、目を丸くする彼女は二、三歩俺の方に寄ってくる。


 そして、


「血……橘君の血……」

「ちょっ、ちょっと? お、鬼塚さん?」


 前のめりになる鬼塚さんの様子が段々とおかしくなっていくと共に、俺はある異変に気づいた。


 鬼塚さんの目が、徐々に充血していく。

 じわりと、大きな瞳が血溜まりのように赤くなっていくのだ。


 それを見て俺は思わず、


「ば、化け物!」


 そう叫んで、脱衣所から飛び出した。



「こ、殺される……」


 無我夢中に逃げた俺は、なぜか家を飛び出さずに自分の部屋に逃げ帰っていた。


 そして部屋の片隅で震えながら、どうして玄関から外に出なかったのかと後悔する。


 この家には化け物がいるというのに。

 吸血鬼が、俺の血を狙っているのに。


「コンコン」


 扉をノックする音がした。

 あの化け物が追いかけてきたんだ。

 でも、身を隠す場所もないしここは二階だし。


 ど、どうしよう。


「あの、橘君……開けてくれないかな?」

 

 少し悲しそうな鬼塚さんの声が扉の向こうから聞こえる。

 その声を聞いて、化け物呼ばわりしてしまったことへの罪悪感が俺を襲う。


 咄嗟のことだったしあんな姿を見せられたら当然だとはいえ、女の子に向かって化け物と叫んだんだから傷つけてないわけがない。


 きっと扉の向こうで悲しんで……いや、同情したら負けだ。

 あの子は確かに俺の血を欲しがっていた。

 それに、あの目は普通ではなかった。

 やっぱり鬼塚さんは化け物なんだ。

 ここを開けたら俺は……。


「ごめんなさい橘君……私、もう大丈夫だから。だから、お願い開けて……」


 今にも泣き出しそうな声だ。

 俺は思わず立ち上がって扉を見た。


 あの向こうで鬼塚さんが……いや、演技かもしれない。

 でも、もし本気で襲うつもりがあるならこんな扉くらいぶち壊して中に入ってくればいいだけの話だ。


 ……それに、このままでは埒があかないし。


「わ、わかった。開けるよ」


 震えながら扉のノブを手にして、ゆっくり扉を引く。

 すると、ひどく悲しそうな鬼塚さんが姿を現した。


「……鬼塚さん」

「さ、さっきはごめんなさい。取り乱しちゃって」


 両手を前でもじもじさせながら赤面する鬼塚さんの目はとても澄んでいて、うっすらと涙が浮かんでいた。


 そんな姿を見て咄嗟に「ごめん」と呟くと、鬼塚さんは「学校、遅れるよ?」と言ってそのまま一階へと降りていった。


 俺は心臓の高鳴りを必死に抑えるように胸を抑えながら、部屋で一人着替えを済ませる。


 このドキドキは決して恋とかではなく。

 でも、それがなんなのかはわからないまま。


 やがて俺は部屋を出た。


 

 

 


 

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