26

 *




 事件が収束し、ナジュマ達はヒネビニルと分かれ、先んじて帰路に着いた。

「うう、やっと帰れた……」

「おやおや、このわたしと旅が出来てその言い草!」

「そういうところですよ……」

 疲労を隠さないヨナビネルはさておき、ナジュマ達は婚礼の準備だ。とはいってもほとんどのことは公爵家で既に決められていて、ナジュマが決めることといえば初夜の寝巻きはどれにすれば夫に響くかという、そういった新妻の秘め事である。

 普通はあれこれと勝手に決められるのは嫌なことなのだろう。しかしナジュマは学んできたとはいえこの国の作法に明るいわけでないし、そもそも着飾られることが当然すぎて特別なこととは思わない。

「ネビィの好みはどんなものだろうかね!」

「姫様はなんでもお似合いなので悩みます!」

「ハッハッハッ、あるだけ全部持ってきて! 商人と針子も呼ばねばかな、相談しよう! ペレーナ、テルダはいる?」

 実家がそれぞれ別々にドタバタしているなどとは知らぬヒネビニルも数日遅れで演習を終えて軍を王城に戻し、公爵邸に帰ってきた。なんと大仰なまでの一団を伴って。

 先触れを受けた公爵一家はもとより、兵士使用人全てがその光景を呆然と見つめた。──それは花の季節が強襲してきたような勢いであったとのちに人は言う。

 大型の馬車を何十も引き連れ、先頭の騎馬の上など、カチコチに固まる騎士に掴まる女がこの世の楽園とばかり花弁を振り撒いている。その花の嵐の中多くの女達が如何にも楽しげに馬車から顔を出し、或いは辛抱堪らぬとばかりに馬上の騎士すら追い抜いて走り、馬車留めまでやってくるのだ。

 これには遠くから一団を見ていたナジュマも腹から声を出した。

「皆!」

「ナジュマ様!」

「母様達!」

「ナジュマ!」

 気付けば辺り一帯が花と不思議と強さのある香りで満ち満ちていた。ナジュマが足元に平伏する女達の頭を撫でてやりながら見つめる先、馬車からは次々と女達が降りてくる。目を白黒させる外野をよそに、言われもせず女達はナジュマを中心に素早く放射状にどんどんと並び平伏し、最後そっと代表たる三人の母が頭を垂れることでしんと静まった。

「我らが太陽ナジュマ姫、よき日とどうぞお喜びください。貴女を慕いヨノワリ後宮三百人、本日罷り越しましてございます」

「ああ、母様! 堅苦しいのは構わないよ! 三百人どうしたんだい? 観光?」

 近寄ったナジュマがそれぞれの肩に触れると三人の母は立ち上がりナジュマに抱き付いた。

「呼ばれたのよ貴女の旦那様に」

「離宮を整えるからこちらで暮らさないかって」

「だから来ちゃったの〜」

 聞くところによると、あれから大皇国の騎士に娶られるなどして後宮の女達は数を減らしていたらしい。結果として夫人五十、騎士下女二百五十の計三百人ほどが残っていたところでヒネビニルから旅行ならぬ移住の伺いがあり、三百人ほどなら離宮を与えてくれるというので大皇国皇帝の手も借り勇んでやってきたのが本日のこと。ヒネビニルは帰宅時に早馬で彼女らの到着を知り、部下らを引き連れて迎えに行ったのだという。

「勝手に進めてすまない」

 厳つい顔もそのままに謝罪するヒネビニルを見、ナジュマはその太い腕に取り縋って大声をあげた。

「そんなことない! というか、あそこはわたし達の住まいになるのかと思っていたんだよ!」

「私達だけでは広すぎるだろう」

「そう?」

「そうだ。それに彼女達が住まうには狭いかもしれないが、当座三百人ほどなら宮の管理も含めて全て任せてしまえばよかろうと思ってな」

「あはは! こんなにも早く夢が叶うなんて! 本当に嬉しい!」

 喜ぶナジュマに女達も喜んでいる。まるで異国のようなその光景は、それからもしばらく公爵邸の人間達を浮つかせた。

 そんなわけで、離宮では三人の母が中心となり、ナジュマを戴いての生活が始まる。女達はナジュマを如何に癒し飾りと、とにかく忙しい。ラディンマラ夫人やテルディラは「なるほど、これが生粋の後宮生まれの王女……」と新たな知見を得つつ、女達と馴染んで随分仲よくやっているようであった。

 そんなある日の夜である。

「ちょっと! 思ったより寒い!」

「頑張ってくださいまし!」

「気合ですわ!」

「根性ですわ!」

「ああ、ああ〜、お、おやめくださいまし〜……!」

 様々な声音が夜の庭を駆け抜けた。ここでとやかく言われずに済んだのは先んじて女騎士を配していたからで、つまりこの団体は離宮からやってきたナジュマ達である。

 裸足のナジュマ達は邸内をも音を立てず静かに駆け抜けた。そうしてやってきたのはヒネビニルの居室だ。

「ネビィ!」

 軽やかに扉を叩くと室内でばたつく音がする。そのまま大きな足音が近付いて、

「ナジュマ? 夜更けにどうワァ!」

 開けた途端に思いっきり閉められた。おお、なんということでしょう!

「ネビィ! 開けてちょうだい! 寒いのよ!」

「当然だろう! なんて格好をしているんだ!!」

「夜這いよ夜這い!!」

「そんな団体の元気な夜這いがあるか!!」

 このヒネビニルの言葉を不思議に思ったのか、俄に隣の扉が開き「ワアアー!!」、閉まった。顔を出したのはヨナビネルで、この時デレッセント兄弟は久々に水入らずで酒を酌み交わしていたらしく、つまりヨナビネルは運悪く事態に巻き込まれたわけである。

 開けてもらえぬ部屋の奥、窓からヨナビネルが外に向かって「誰かー! 誰かテルダを兄上のところに!! あと男は来るな! 女だけ、絶対に女だけだ!!」と吼えている声が響いている。悲しいことに夜這いは失敗だ、堂々と立つナジュマがそれでもしょんぼりしているとガウンを羽織ったテルディラが侍女を伴ってやってきて、部屋の前の一団を見るなり頭を抱えた。

「何をしているの貴女達は!」

「夜這い」

「わかりますわそれくらい! なんて格好なの!」

「母様達がどれがいいかと悩むものだから、まあいっちょ試してみるかと思って」

 言うナジュマはほとんど素っ裸である。その身体を覆うのは金細工と投げれば人死にが出そうなほどの紅玉で、お情けとばかりに局部をかろうじて隠しているのだった。ついでにナジュマに従っている十数人からなる女達もルゥルゥも含めて全員ほとんど裸同然であり、服を着ているのは先導役の女騎士達と縮こまっているペレーナばかり。数十人からなる夜這い、ほとんど襲撃である。

「ヨノワリではぜ〜んぜん寒くなかったんだけどここはダメだね! 寒いや!」

「寒いやじゃありません! そもそもなんで皆裸なの!!」

「わたしが主菜でしょ、他は旦那様の身体をほぐしたり色々して勃たせる役目。勃たなかったら困るでしょ、ネビィは若くはないんだから」

「……それはそうね」

「いらん!!」

 妙な方向に行きかけた会話を部屋の中のヒネビニル自身が割った。

「そもそも婚前だ!」

「ネビィ、そんなこと言って勃たなくて子供が出来なかったらどうするんだい。ネビィの歳も歳だし結婚ももうすぐ、こんなの誤差だよ」

「誤差どころか事件だ! むしろ驚いて役に立たん! さっさと上着を着て離宮に帰りなさい!」

「もう、しょうがないなあ」

 ほらー、皆帰るよー。ナジュマが言うと女達が軽やかに「はぁい!」と声をあげる。男一人を襲おうとしていたとは思えない軽やかさであろう。

「あ、ネビィ! 初夜に着る物が決まらなくてね! 宝石と薄物と裸とどれがいい?」

「着なさい!!」

「ナジュマ様、裂ける絹に致しましょ!」

「旦那様の手がかかったら終わりの薄物にしましょ!」

「アッハッハッ! 楽しみにしててねネビィ! おやすみ!」

「帰りなさい!! おやすみ!!」

 ナジュマは扉の奥に投げキッスをして、テルディラの言うまま飛ぶように離宮へと帰った。

 なお、その離宮では母達が残念そうに迎えてくれた。本懐を遂げられず申し訳ないばかりである。

「強情な男ねえ。まあ軽い男よりはずっとましですけれどもね」

「折角だし今日は皆でぎゅっとして寝ましょうよ〜」

 こうしてその晩はほとんど裸の女達が毛布を手に広間に集った。慣れぬペレーナはそのまま外れることを許され、ドキドキしながら自室で眠れぬ夜を過ごしたという。

「では絹を誂えましょうか」

「前に買った綺麗な絹があるじゃない〜? あんまり繊細だから放っちゃっていたけど、あれならいいんじゃないかしら〜? 刺繍とかほんとに一発勝負になるけど〜」

「明日にでも見てみましょうね」

 広間に敷き詰められた布団の上、にこにこと会話をする母達の様が平和で何よりだ。ナジュマが転がりながらそれを眺めていると、彼女達はそれぞれにナジュマを柔らかく撫でてくれる。

「んふふ」

「どうしたの?」

「母様達が嬉しそうで嬉しい」

「それはそうよ。貴女がきちんと、幸せに結婚をしようというのですからね」

 政略でも貴女が幸せだと思うのならそれでいいの。貴女の幸せが一番よ。

 ──これが母というものだろうか。ナジュマは母を知らないから、本当のところがわからない。

「……母様達はわたしの母様を知っている?」

「いいえ。私達が入った頃には宿下がりをされていたわ」

「どんな方なのかも知らないの。あの頃は宿下がりが多かったものだから、一番の古株はメーヤなのよ」

「ごめんねナジュマ〜。でもきっと、貴女が幸せなら喜んでくれるわ〜」

「そうよ。メーヤもとても喜んでいたわ。怪我は治っているのだけれども、長期旅行に堪えられないからと今回は断念してね。オルローに任せてきたのよ」

「オルローには頑張ってもらわないとね〜」

「ほんとにねえ」

 くふくふと笑いながら会話は穏やかに続き、そのままナジュマ達は眠りに落ちた。幸いの夜の話である。

 なお。

「……私が入るのかあそこに」

「兄上が整えた事態ですよ……」

 同時刻、脂汗を掻くヒネビニルの背に幼少期ぶりに縋ったヨナビネルはそのまま朝まで兄の部屋から出ず、朝迎えに来たヒューロイに事の次第をうんざりと話すことになる。

「裸の女もあれだけいるともうなんの感慨もない」

「えっ、ルゥルゥさんも裸だったんですか!? 見たんですかヨナビネル様!!」

「素っ裸有象無象でわかるわけないだろ馬鹿!」

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