17
***
さて、手紙である。
「これを」
二通の手紙が手ずから渡されるのに、対面の男はそれを恭しく受け取った。
「確かに。必ずお渡し致します」
「頼んだぞ」
しっかりと頷いて一拍、瞬きの間に男は消えてしまう。そのまま心の内で十数えたヒネビニルが隣室のドアを開けると、マイスが慌ただしく椅子から立ち上がり「もう行きました?」と首を長くして室内を窺った。
「とっくに行った。気にするくらいなら一緒にいればいいだろう」
「嫌ですよ! あいつら顔を合わせると将軍を寄越せって言うんですよ! 皇太子殿下と交換してくれるって! いらんわ!」
「お前達は何を話しているんだ」
眉間に皺を寄せてヒネビニルは溜息を吐く。部下と伯父の密偵が何やらやり合っているらしいことは知っていたが、まさか己そのものをやいのやいのと取り合っているとは思わない。
「皇太子殿下のお守りなんて御免被ります! 将軍はずっとこの国にいてください!」
「何をどうしたって、俺と殿下が交換なんてされんから安心しろ……」
聞くに、やはり皇帝に似すぎたヒネビニルを諦められない勢力がいるらしい。実際ヒネビニルは皇室の血を引くわけだし、そうした話は……実は水面下で存在した。皇帝サンスクワニの威光が素晴らしすぎた弊害と言える。
ただ、そうした案はつまりデレッセント公爵家を侮る話であるし、皇后をも馬鹿にする話だ。ヒネビニルは空気を読み、大皇国に用事がある際でも努めて陰にいた。
しかし、それでも表立つものは表立つのだ。
ヒネビニルはどんどんとサンスクワニに似て、武勇をも誇るようになる。そして皇太子トロニエスは……こちらはなんというか、とてつもなく自由に育ってしまった。言えば聞くのだが……どうにも興味関心の我が強すぎる嫌いがある。
皇太子としてきちんと学び、過ごしてはいるのだ。だからこそ残念な面が目立ちすぎ、ヒネビニルを注視していた皇后でさえ皇太子を半ば諦めてしまっている。
妹の皇女を立太子させるか、或いは高い権限を与えて皇太子の抑止力とするか、大穴でヒネビニルを立てるか。そうした話を聞いた時ヒネビニルは大皇国に足を踏み入れることをやめた。どんな理由を付けてヒネビニル派(そんな名を付けられること自体嫌だ)に接触されるかわからないし、それを理由にとやかく言われてはかなわない。不測の事態は避けるに限るのだ。
そうこうする内、ヨナビネルの問題が抜きん出てきた。それと同時に大皇国からグランドリー王国を挟んで反対隣、ティルベル国が侵攻を開始する。
ティルベル国は策謀のティルベルと渾名されるほど謀略に満ちているが、反面武力には恵まれていない。しかしその時分の第二王子は珍しい武闘派であり、ほとんど独断で軍部を纏めグランドリー王国に攻め入った。大皇国に近く、長年反目しつつも敢えて事を荒立てずにいたグランドリー王国をその手にすれば、王位に最も近付くという目算があったに違いない。
だが、そこには既に副将軍の地位にあったヒネビニルが待ち構えていた。
体躯に見合った大剣で風を薙ぐように、一閃。勝ちに逸り単騎で突撃してきた第二王子の両脚を馬ごと両断し、捕縛せしめた顛末は今でも語り草である。
その後両国の会談を設け、グランドリー王国は賠償金と引き換えに両脚をなくした第二王子を引き渡した。第二王子は虫の息であったが、それでも確かに生きているのだから王族として価値がある。……価値があるとして死なぬよう血止めに脚を焼かせたのはヒネビニルだ。
以降、ヒネビニルは彼の国において最も避けるべき悪魔として認識されている。ヒネビニルがいるだけでティルベル国は手を出さぬのだから易いものだろう。そして、ティルベル国への牽制を思うのであればますます大皇国には向かえない。
万が一ヒネビニルが大皇国を背負って立つような事態があるとして、その際にはヨナビネルを連れた上でグランドリー王国を大皇国に併合させなければならない。そうではなければグランドリー王国は再度ティルベル国と戦争になる。
真に情勢を読む者はそうしたグランドリー王国の危うい事情を知っているからこそ、あれこれ思惑はあれども敢えて何も口にはしない。ヒネビニルはそれに甘んじて〈公爵位をいまだ継がぬ将軍〉という立場にあるのだった。
と。
「ワプ」
突風にマイスが呻いた。空気の入れ替え目的で少しだけ開けていた窓が勢い全開になっている。
「大丈夫かマイス」
声をかけながら窓を閉めたヒネビニルは、立ったまま震えるマイスを見て……「あっ!」。
「こら、マイス!」
「将軍! なんですかこれ!」
マイスはぶるぶると震えながら二枚の紙を手にしていた。一方はナジュマからの手紙、もう一方はそれを受けてのヒネビニルの手紙である。……手紙を書いている最中に皇帝の密偵がやってきたのだ。
「こ、こんなっ」
「マイス!」
「箱入り娘っぽい手紙を書いているのが将軍で、男らしすぎる手紙を寄越してきてるのが姫とか信じたくない!」
「マイス!!」
なお、同じ感想を持った者が別の場所にもいた。
「……嫌だわ」
手紙を手にしたテルディラがその目を細める。細目にするとほとんど目がなくなる、という理由でテルディラは笑顔の時以外はしないよう努めているようだったが、ここは社交の場ではないので存分に素の顔を出していた。
「何が?」
「自分の義兄の繊細な部分を見てしまった罪悪感です」
「そうそう! 繊細! あんなに大きい男の人なのにね! 可愛い!」
「可愛い……」
アハハと軽快に笑うナジュマはヒネビニルからの手紙を広げてご満悦だ。折しもヒネビニルからの手紙の返事を書いていた最中にテルディラがやってきたので、「ほら見て!」とばかり他人の手紙を押し付けたのがナジュマである。テルディラが無作法に他人の手紙を読んだわけではない点だけは承知置き願いたい。
さて、ナジュマとヒネビニルは会えない分手紙のやり取りを続けていて、これがなかなかの頻度なのだった。何せ軍部の早馬を駆り立てての数日置きのやり取りで、私用に見えるが早馬に適性のある馬と騎士の選別作業にもなっているという小狡さもある。
実際のところ担当になった騎士は一日帰宅出来るし、特別手当も出るので不満はない。そもそも婚約者同士の手紙のやり取りに使われていると知らないわけだが、隠密行動も言い渡されているのでそれなりの訓練にもなっていた。
何故隠密かといえば、王家の側のいずれかに重要書類の類かと目を付けられ、手紙を奪われる可能性があるからだ。……中身は交換日記と大差ないのだが。
「『本日の演習中、誠に剛毅なアヒルが池の中で浮いておりました。私達が訓練をしていることも介さず呑気なものでしたが、実に白くもっちりとした風情は心惹かれるものです。ナジュマ姫にはアヒルの知識はございましたでしょうか』──どういう内容ですのこれは」
「アヒルっていう鳥だと聞いたけれど違うの?」
「違いませんけれど。で、貴女の返信が?」
「『アヒルというものを知らないので色々調べてみたよ。とても白くてもっちりとしてるけれど、犬のように血気盛んなので玄関先に番兵のように置く家もあると聞いた。可愛いのに強いとはまるで貴方のようだね。是非その羽を梳くように貴方を撫でてみたいな』」
「違う……」
「駄目だった?」
「書き手が逆……」
テルディラはとんだ内容を聞かされて頭を抱えている。マイスも同じ羽目に陥った事をのちに知るのだが、とにかく「あまりひとに、家族にもこうした手紙を見せるものではなくてよ……」とこっそり釘を刺すので精一杯だ。
「あら、テルダはとやかく吹聴しないでしょ?」
そんなテルディラの心境を知ってか知らずか、ナジュマはそう言ってにんまりと笑う。いたずらっ子のような笑顔を見せられるくらい砕けた間柄になった二人は、
「まあ、勿論よナジュマ」
このようにすっかり打ち解け、互いに名で呼び合うようになっていたのだった。
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