第39話 思春期に大人に変わる少年 その⑥


「自由部ですっ、よろしくお願いしますっ!」


 真面目な美澄さんが何のためらいもなく、昇降口から外へ出てくる生徒たちにビラを配っていく。


 明るいオーラを見に纏う美澄さんは、その顎を伝う汗すらも輝いているように見えた。


 一方の僕らは何を言っているのか分からないようなボソボソした声で、警戒するような様子で目の前を通り過ぎていく人にビラを押し付けてはその場を離れ――を繰り返していた。


 なんか、人間としての質の違いを感じてしまうな……。


「もうあたし耐えられない! 限界よ!」


 隣で山田さんが音を上げる。


「フッ、この程度のビラ配りに耐えられんとは」

「この程度ってどの程度よ! 殺人的な羞恥プレイだわ! あたし本当に無理!」


 と、その時、山田さんの背後を通った女子生徒数名の会話が聞こえた。


「あれって山田さんじゃない?」

「ほんとだ、気づかなかった。っていうか日本語喋れたんだ……」

「私も、てっきり英語しか喋れないんだと思ってた」

「――――っ‼」


 山田さんの顔が壊れた信号みたいに赤くなったり青くなったりした。


「落ち着くんだ山田さん。まだ慌てるような時間じゃない」

「――みんな星になってしまえぇーっ!」


 そう叫ぶと、山田さんはバニーガールの白い尻尾を揺らしながらどこかへ走り去ってしまった。


 残されたのは僕ら三人。


 せめて手持ちのビラを配り切って、この宣伝活動を終えなければ。


 刹那、僕は背後に強烈なプレッシャーを感じ、思わず動きを止めた。


「……あなたがた、何をなさっているのですか」


 この鋭いナイフのような声音は!


 振り返ると、そこに立っていたのは生徒会副会長にして美澄さんの想い人、鈴仙千鈴その人だった。


「れ、鈴仙副会長……っ!」


 先程までノリノリでビラを配っていた美澄さんが強張った表情を浮かべる。


「公序良俗に反する仮装をしている集団が宣伝活動を行っていると耳にしてやってきたのですが、まさかあなたがただったとは。先日の屋上での一件に続き、意外というかもはや呆れる行為なのです」


 しまった、生徒会の動きがここまで早いとは。


 手元にはまだ数十枚もビラが残っている。


 僕は咄嗟に美澄さんと橘さんを見た。二人とも行動を起こす気配はない。


 ならば、ここはプライドのない僕が土下座でもして見逃してもらうしか――。


「……おや、新しい部員が入ったのですか?」

「え?」


 顔を上げると、鈴仙さんが妙に熱っぽい視線で僕を見つめていた。


「なかなか可愛い顔をしているのです。あなた、名前は何というのですか?」


 ……えっ。


 僕⁉


「いくら顔が可愛くても、その煽情的な服装はダメなのです。ここは学校なのです。早く制服に着替えるのです。……あなたさえ良ければ、着替えを手伝ってあげるのですよ?」


 鈴仙副会長は、しおらしい仕草で僕の手を取った。


 視界の端で、美澄さんが嫉妬の籠った目を僕に向けているのが見えた。


 こ――これはマズい状況だ。


 このままここに居てはデメリットしか無い。


 そう判断した僕は咄嗟に鈴仙副会長の手を振りほどくと、昇降口から校舎の中に飛び込んだ。


「あっ、ま、待つのです! 待って欲しいのです!」


 後ろから鈴仙副会長が追ってくる。


 これならば美澄さんの視線からも逃れられるし、ビラ配りの障害である鈴仙副会長をあの場から引き離すこともできる。


 まさに一石二鳥のアイデアだ。


 そして鈴仙副会長を振り切った辺りで空き教室に飛び込み、このミニスカを脱ぎ去れば、追われていたはずの美少女は綺麗さっぱり姿を眩ますというわけだ。


 我ながら完璧な作戦。


 背後を見る。


 鈴仙会長はついてこない。


 どうやら撒いたらしい。


 よし、あとは着替えるだけだと空き教室に入り込んで、気づく。


 いや待て待て、ここで脱いだら半裸のまま学校を闊歩することにならないか?


 僕の着替えは橘さんたちが着替えをした教室にまとめて置いてある。


 つまり、あそこまで行かなければこの扮装を解くことはできないということだ。


 しまった、つい数秒前までは完璧なアイデアだと思っていたのに。


 さてどうするか――頭の中で次なる名案を練り始めた瞬間、教室のドアが勢い良く開いた。


「私から逃げられると思わないことです。私は、狙った獲物は逃さないタイプなのです」


 獲物を借る獣のような雰囲気を漂わせ、鈴仙副会長が姿を現す。


 しまった、見つかった。


 反射的に鈴仙さんが立っているのとは逆のドアに走ったが、相手の動きの方が速かった。


 鈴仙さんはドアに先回りすると、鮮やかな手つきで僕の両手首を握り、そのまま僕を床へ押し倒した。


 ま、まさかクオリティの高い女装がこんなところで仇になるとは。


「さあ、無駄な抵抗はやめるのです」


 今にもよだれをたらさんばかりの鈴仙副会長が、荒い息が近づいてくる。


 これ、僕が男だから許されてるシチュエーションだけど、逆なら弁解の余地なく犯罪だよな。


 童貞より先に処女を散らすことになろうとは。これもまた運命。天井の染みの数でも数えておこう―――。


 僕が覚悟を決め、染みの一つ目を数えようとしたとき、廊下の方で女子生徒の悲鳴が聞こえた。


「きゃーっ! 筋肉モリモリマッチョマンの変態が全裸で校内を闊歩しているわーっ!」


 鈴仙さんが舌打ちをする。


「ええい、これからというときに……! あなた、ここで待っているのです。その破廉恥な服装で宣伝活動を行っていたことについてあとで取り調べをするのです。いいですか、逃げてはいけないのですよ」


 そう言い残し、副会長は教室を出て行った。


 誰だか知らんがラッキー、今のうちに逃げよう。


 廊下の方を伺い見て、副会長の姿が無いことを確認し教室の外へ。


 僕の着替えがある空き部屋の方へ体を向けたとき、タイミングよく橘さんが現れた。


 バニーガールの衣装からいつもの制服姿に戻っている。


「あれ? どうしたんです、橘さん」

「貞操の危機を救ってあげたというのにそっけない態度ね」

「あ、さっきの声は橘さんだったんですか? それはどうも」

「いいわよ。私だって、宇津呂くんが辱められるのは気に入らないもの」


 なるほど。おかげで助かった。


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