第36話 思春期に大人に変わる少年 その③
「えっ、どういうことよ。部活作るのをいまさらやめるなんて、変な冗談ならやめてよね」
山田さんが困ったような作り笑いを浮かべる。
「冗談じゃなくて。山田さんはアニメーション研究会に入っても良いって言ってただろ?」
「そ、そりゃ言ったわよ。言ったけど……」
「橘さんも、コンタクトで視力が矯正された今なら度の部活に入っても大丈夫なはずです。だってニュー橘なんでしょう?」
「……ええ、確かにニュー橘となった私なら、度の部活でも人並みにはやっていけるでしょうね」
「美澄さんは元々風紀委員だから、部活に入らなくてもいいはずですよね?」
「それはそうですがっ、しかしそれでは鈴仙副会長の件の恩返しが……」
「とにかく、新しく部活を作らなきゃいけない理由なんてもうないんですよ。だから、こんなことはやめましょう。そして、どこでもいいから部活に入って適当に三年間過ごしましょうよ。僕らには――とは言いませんが、少なくとも僕にはそれが似合っているような気がします」
静かになった。
誰も何も言わなかった。
山田さんは困ったような顔を浮かべたまま固まっているし、美澄さんはおろおろしたまま何もしない。
橘さんは何かを考えるように目を細め、黙ったままだ。
当然だ。
僕らは今まで目立たないように、他人と接しないように、場の空気を乱さないように生きて来た人間だ。
だから、誰かからはっきりした意見を言われれば、その意見に従うしかない。
そうすることしか、知らない。
反論が出ないのを確認して僕は口を開いた。
「話は終わりです。入部届は僕が貰ってきますから、ここで待っていてください」
三人に背を向ける。
これでもう全部終わりだ。
やっぱり無駄な努力だったよな。
改めて、僕に何かをやり遂げるような能力も気力も根性もないってことが分かった。
これからは今まで通り、余計なエネルギーは使わずに生きていこう。エネルギー資源も問題になっていることだし。
「一つだけ確認させて、宇津呂くん」
橘さんの凛とした声に僕は背後を振り返った。
「何ですか?」
長い髪をたなびかせ、橘さんは立ち上がる。
「あなた、今更部活に入ってうまくいくと思ってるの?」
「どういう意味です?」
「簡単なことよ。今まで陰キャとして生きてきた私やあなたが、今更一般人と迎合できるとでも思っているの――そう訊いているのよ」
「何言ってるんですか。さっき、どんな部活でも人並みにはやっていけるって言ってたじゃないですか」
僕の言葉に、橘さんはフッ、と息を漏らすように笑う。
「バカね。この数週間で既に部活内には人間関係が出来上がってしまっているのよ。たとえ常人であっても、完成した関係性の中に入り込むのは容易じゃないわ。たとえニュー橘となった私であってもね。そして――」
と。
橘さんは白く細長い人差し指を立て――僕を、指した。
「あなたにその能力があるとも思えないわ。悪いけど」
「ぼ、僕は、入部手続きだけ――」
山田さんが視界に入って、僕は言葉に詰まった。
そう言えば僕、山田さんにアニメ研究会入ったら部活も行くって言ったんだった。
もしここで入部手続きだけやって部活に行くつもりはない、なんてことを言えば山田さんはアニメ研究会に入るって話を撤回するかもしれない。
そうなれば部活を作らなくていいって前提が崩れてしまう。
くそ、その場の空気で適当なことを言った数日前の僕を恨むぞ。
「これまで孤独を友人に生きてきた人間が、今更一般人と迎合できるとは思えないわ。宇津呂くん、私たちに逃げ場はないのよ。私たちが生きられる環境は私たちの手で作り上げるしかないのよ」
僕は反論しようとして口を開いた。
が、言葉はすぐには出てこなかった。
それでも語彙力を総動員し、ようやく一言を紡ぎ出した。
「――そこまで言うなら、橘さんがやってくださいよ」
我ながら最低の台詞だった。
これじゃまるで小学生の言い訳じゃないか。
だけどそれでもいい。
なぜなら僕はプライドのない人間だから。
プライドがないから、小学生が使うような台詞も平気で口に出せる。
しかし。
「嫌よ」
「……え」
「他人を集めて新しい組織を作るなんて無理。何もしないことを目的とする組織なんて猶更よ。そんな無意味な団体に誰かを勧誘するなんて難易度が高すぎるわ。健康になる壺や幸せになるアクセサリーを売りつける方がまだ簡単よ」
「じゃ、じゃあ」
「そんなことができるのは、きっとプライドも何もない人だけね」
「――つまり、僕?」
橘さんが頷いた。
「そう。あなた。あなただから、何もしない部活なんて無意味なものを作るために、3人もの人間を集められたのよ。だからあと少し、プライドや倫理観を失くしてみたら?」
「どういうことですか」
「今ここには三人の美少女が居るわ」
「僕と……あと二人誰でしょう」
「次つまらないことを言ったら殺すわよ、宇津呂くん。私と山田さん、美澄さんのことよ」
この人、自分を美少女って言ったよな。
二十歳で美少女を名乗ることが許されるのか? 本人が言ってるんだから間違いないか。
「すみません。で、その三人の美少女がどうしたんですか」
「古来より女という存在は多くのものを狂わせてきたわ。楊貴妃しかりクレオパトラしかり――私たちの望む部活を作るためには、利用できるものは利用するべきではないかしら。ひょっとすると私たちの色香に騙されてコロッと入部してくれる人がいるかもしれないわ」
それはつまり、橘さんたちが宣伝をしてくれるってこと?
「ですが、前も言ってたじゃないですか。コミュ障だから大っぴらな宣伝はやりたくないって」
「それは以前の私の話。今の私はニュー橘。かつての自分を超えてこその私なの。宇津呂くんはこれまで頑張って来たのだから、美澄さんはもちろん、山田さんだって頼めばやってくれるわよ」
「え、本当に?」
僕は思わず山田さんを見た。
山田さんは一瞬僕から視線を逸らしたが、すぐにこちらを見て、
「ぅあ、あたしだって、宇津呂がどうしてもって言うなら何だってやってあげるわよ」
と、たどたどしい口ぶりで言った。
「ですって。だからまだ諦めるには早いわ。私たちの未来を懸けて最後の作戦を練りましょう」
「橘さん……」
涼し気な橘さんの笑顔の前に、僕は既に反論する気を失っていた。
なんとなくやれそうな気分になっていた。
うまく言いくるめられた気がしないでもないけど。
「さあ、宇津呂くん。人を集めるためにあなたの考えつくことを、なんでも言ってちょうだい」
なんでも――なんでも、か。
橘さんの台詞を頭の中で反芻する。
同時に今朝見た夢の記憶が脳を駆け巡り、頭の中に電流に似た衝撃が走った。
「なんでも――ということなら、僕に考えがあります」
「ええ、聞かせて頂戴」
僕は橘さんを、それから山田さんと美澄さんの顔を見た。
一瞬の静寂。
そして僕は、僕の中に残っていたかもしれないプライドの残滓のようなものを捨て去り、言った。
「バニーガールの……バニーガールの衣装を着て、ビラを配ってください」
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