第21話 回り回って重なり合った未来 その
「山田さんの機嫌もよろしくないようだから、僕はやっぱり生徒会室に戻ることにするよ」
僕はそっと中庭から校舎の中に入ろうとした。
しかし相手は僕のそんな行動を目ざとく見つけて、すぐに距離を詰めて来る。
「だから、あたしもついていくって言ってるでしょ? どうしてあたしを置いて一人で行こうとするのよ」
「あ、もしかして気づかれてた?」
「あんた自分が武道の達人だとでも思ってるわけ? あんなバレバレな動きなら、気づくに決まってるわよ! ほら、行くなら急ぎなさい! 言い忘れてたけどあたし、待つのは苦手なのよ!」
そんな人がよく四時間もアニメを見続けられるものだ。
待つのが苦手でも、やっぱりアニメは別なんだろうか。
今度機会があれば聞いてみよう。
「ほら、立ち止まらないの!」
山田さんが後ろから僕の背中を押してくる。
それが両手で押すだけならまだマシなのに、体全体を押し当てるようにしてくるから、僕は背中で山田さんの体の柔らかい感触を味わうことになった。
「ちょ、ちょっと、あんまり押さないで山田さん」
「あんたがのろのろしてるからいけないんでしょ?」
「別に急いで戻る必要もないだろ⁉ それに、橘さんにこんなところを見られたら!」
「……誰に、こんなところを見られたら、ですって?」
静かな廊下に、凛とした声が響き渡る。
続いて足音が僕らの方へ近づいて来た。
「もう一度聞くわ。誰に、何をしているところを見られたら、どうなると言うの?」
廊下の向こうから現れたのは橘さんだった。
最悪のタイミングだ。僕と山田さんが体を密着させている場面を完璧に目撃された。
唯一言い逃れできるとすれば、密着させてきているのが山田さんの方で、僕が求めたわけではないという点だけだが、恐らく橘さんにそんな言い訳は通用しないだろう。
「一応弁解させてもらいますけど、橘さんは誤解しています。僕らはただ、急いで生徒会室へ向かおうとしていただけです。……だよね」
「当たり前だわ! 大体ね、あんたが変な言い方するからいけないのよ!」
ぐっ、と山田さんの手が伸びてきて、僕の体の一部をつねった。
「い、痛い痛い、そんなところを思い切り引っ張らないで!」
「そ、そんなところって……頬よ、頬! 変な言い方しないでって言ったばかりでしょ!」
「それはさておき橘さん、元に戻ったんですか?」
僕らの目の前に現れた橘さんは、いつもの黒髪ロングヘア優等生スタイルに戻っていた。
今朝の、オタクのステレオタイプみたいな姿の面影は微塵もない。
それなのに橘さんは不思議な顔をして、
「元に戻った? 何の話をしているのかしら」
「え? だって、ついさっきまで物凄い恰好をしていたじゃないですか」
橘さんは首を傾げる。
「分からないわ。私、気がついたら生徒会室の椅子に座らされていたのよ」
「あんなにガンガムの話をしていたじゃないですか。忘れちゃったんですか?」
「ガンガム? 一昨日あなたたちが話していたアニメのことかしら。全く記憶にないわね」
橘さんが嘘を言っている様子はない。
どうやら洗脳――もとい人格の上書きは成功したらしい。
いつもの清楚系優等生ヒロインに戻ってくれて本当に良かった。あんな見た目をされていたら、ビジュアル的にも問題がある。
見た目が全てじゃないって言うけれど、実際のところ人間は他人と出会ってから三秒くらいでその人の印象を決めてしまうらしいし。
ガンガムファンが一人減ってしまったことは悲しいが、オタク風の橘さんと優等生風な橘さんどちらかを選べと言われれば僕は間違いなく後者を選ぶ。
美人に靡いてしまうのは男の悪い本能だよな。
「橘さんも元に戻ったことですし、さっそく部員集めを始めますか」
「そうね。部員になってくれそうな人をゼロから探さないといけないと考えると、時間もあまり残されていないわ。光陰矢の如し、少年老い易く学成り難しとも言うし、急いだほうが良いかもしれないわね」
「ええ。だったらここは三人バラバラになって部員の勧誘をしましょう。何もせずただ校内に残っているだけの人が狙い目だと思います」
「ちょっと待って、宇津呂くん。私たちは一緒に行動するべきだわ。三人寄れば文殊の知恵、一人では小さな火でも二人集まれば炎に、三人集まれば大火事になるわ」
「そ、そうですか? えーと、それじゃあ三人で回りますか。とりあえず一階の一年生の教室から」
「ちょっと待って、宇津呂くん」
歩き出そうとした僕を橘さんが止める。
「またですか? 今度は何ですか?」
「より高い場所の方が、位置エネルギーが大きいのよ。ここは、より強大なエネルギーを求めて三階から回るべきだわ」
おや、橘さんのようすが……⁉
「馬鹿と煙は高いところに上るとも言いますよ……?」
「あなたは何を言っているの、宇津呂くん。教養ある私に口答えをするつもりなのかしら」
「あの、一つ聞きたいんですけど」
「何かしら。教養ある私が答えてあげるわ」
「橘さん、生徒会室でどんなテレビ番組を見せられたんですか?」
「その辺りの記憶は曖昧なのだけれど、さっきから私の頭の中を『一からわかる数学』『サルでもわかる高校物理』『試験で差のつく国語』というタイトルがチラついているわ。どうしてそんなものが思い浮かぶのかは教養のある私にも分からないけれど、ほんの一つや二つの分からないことなんて誤差みたいなものだわ。統計学でも、あまりに例外的なデータは無視するのが決まりなのよ」
だ、ダメだ。
教養番組に洗脳されたせいで、今度は方向性を間違ったインテリみたいになってしまった。
「えーと、橘さん……」
「これ以上何を話す必要があるのかしら。時は金なり。お喋りをしている暇があったら一人でも多く部員を集めるべきだわ」
機敏な動きで橘さんは回れ右をする。
そして、歩き出そうとした瞬間に頭から転んだ。
躓くはずのものなんて何もない平らな廊下なはずなのに。
「こ、これが重力なのね……。こうして私が地に伏しているのは運動エネルギーが摩擦によって減退した結果なのね」
転んでもなお、どこか満足げな橘さん。
教養番組を見せられてコレなのだから、R18のどスケベなビデオなんかを見せてしまうとどうなっちゃうのだろう――なんて邪な考えを僕は脳内から追い出し、橘さんを立ち上がらせるべく彼女に歩み寄った。
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